muma

OLの気ままな思考回路あれこれ。

muma

OLの気ままな思考回路あれこれ。

最近の記事

2024年8月20日の日記

思いついたことは大抵日記に書くまえに消えてしまう。 吉本ばなな先生のnote「どくだみちゃんとふしばな」は定期的に文庫化されている。人の日記を読むのは面白い。ましてや好きな小説の作者の日記というのは素晴らしい。好きな箇所がたくさんあるので、お風呂から上がったら写経しておこう。 さて、そんな吉本ばなな先生の「どくだみちゃんとふしばな」は、読んだ本、観た映画、会った芸能人のことまでわりと忖度なく自由に書いてある。そこで、坂口恭平さんについて言及されていた。ばなな先生は坂口さん

    • キティちゃんになる

      3歳の頃の将来の夢は、お花屋さんだった。まあ結構、ポピュラーだよね。 幼稚園のお誕生日会。 お誕生月のリナちゃんと私。 大人になったら何になりたい? リナちゃんは「キティちゃん」って答えた。 えっ?キティちゃん、ありなん?なれるん?なってもいいん? わたしもキティちゃんと答えた。 人は、なれると想像できたものにしかなれない。人生は引用先を増やせば豊かになる。自分だけの厚みある事典をつくっていく。事典になっていないことはどんなに捲ってもでてこないから。だから思っている

      • あたらしい概念をとりいれてしなやかに生きる・分人

        久しぶりに越後妻有へ。 その前に駅で「私とは何か 個人から分人へ」(平野啓一郎)を購入。 ざっくりと解釈。 個人という概念こそが私たちを苦しめている。個人すなわちindividual、それ以上分節できないもの。そこに私たちは、統一された、一貫した自己を夢見る。自分にはひとつの核みたいなものがあると想像する。しかし、相手やコミュニティに応じて自分の思考や態度が変わってしまう。それは「ウソの自分」なのではないか、本当の自分はどこにあるのか、葛藤する。でもそれは「個人」という概

        • 筆が遅くて全然直島に着かない朝には

          宇野について  宇野は予感に満ちた街だと思う。  宇野港から見る瀬戸内海は、なぜか心がときめく。  遠足の前日のように、わくわくする感じがある。  潮風はほどよく、波は穏やか。小さな船が行き交い、青いもやの向こうにはいくつもの小島が見える。  ここで暮らすことは、自動車のアクセスがいい適当な郊外に家を建てることよりも、魅力的に感じられる。それは旅人の気楽さによるフィルターかもしれないけれど。 草間彌生ふうのフェリーに乗って  さて。  固いベッド、夜中のわさび付き焼

        2024年8月20日の日記

          不安なままでいるのが不安な夜には(瀬戸内にて、雑記)

          職場で泣いた  職場で泣いた。  原因はいくつもあった。  直近の仕事がストレスだったこと。中長期的に職員に求められるスキル・姿勢が見えているけれど、それを身につけたいと思えなかったこと。周りがみんな優秀で、自分はこの仕事が実は苦手で、逃げたいのに、平気な顔をして、頑張りますと言い続けるのが、自己と乖離して辛くなってきたこと。仕事にはフルコミットするべきだという理想と、やる気が出ない自分。その板挟みで毎日自分を責める気持ち。自分が選んだ仕事だから、その仕事の本質的な部分

          不安なままでいるのが不安な夜には(瀬戸内にて、雑記)

          シリーズ室内装飾100〜家具、建築、読書時々アート

          誰もが経験する部屋づくり。 家具との出会い。めくるめく室内装飾の世界。 「あなたの家具との出会いは、どこから?」 私は… 家具と人生が交錯する、どこにでもありそうな、でもここにしかない話。ある女の語り。 そんな感じのエッセイ、はじまりはじまり。 エピソード0は、「シルバニアファミリー。ぶどうの森のおうちと私の膝小僧について」 おたのしみに

          シリーズ室内装飾100〜家具、建築、読書時々アート

          つら性について

          人生がつらい。あまりにもつらい。 辛くない時期もあるけれども、結構頻繁につらい。 何の不安もなく満ち足りて幸せを感じる期間は、人生を1日に凝縮すれば、朝露ほどしかない。 幼稚園、辛かった。 話の通じない乱暴な男の子、よく不機嫌になる幼なじみ。食べられない緑の野菜。拾えないプールの底の小石。 小学校、辛かった。 多感な時期の仲間はずれ。マラソン。誰かを嫌うやり方を教えてくれるおせっかいな同級生。親友と好きな人が被ってしまったこと。 中学校、かなり辛かった。 上下関係の厳

          つら性について

          050528

          朝から憂鬱で泣いている。 話してごらんと言われて洗いざらい話す。かんてんぱぱで買ったかんてんスープ(かんてんの麺が入っているやつ)をすする。麺に味がからまなくてそれがおいしい。夫みたいな麺だ。味がからまなくて淡白だがそれが良さだ。家を建てる場所を探しに出かけようと思う。いわゆるニュータウンに建ててもいいかなと思う。ニュータウンは大抵高台にある。誰も住まなかった不毛の地をニュータウンと銘打って売り出そうというわけだから。『未来ヶ丘』とか『きぼう町』みたいな名称の土地は、かつては

          働きたくない

          働きたくない。 子どもの頃、将来の夢は専業主婦だった。 働いてみたい、という気持ちがわいたことはない。 戦争から無事に帰って来て、以降まったく働かなかったという曾祖父のDNAが、今からだじゅうにみなぎるのを感じる。(DNAはみなぎるものなのか?) 『働きたくない』『遊んで暮らしたい』 ただそれだけの気持ちを、このブヨブヨとして脂の多い、日曜日の夜のスーパーに並ぶ50円引きの豚細切れ肉みたいな、庶民的で、ありふれた気持ちを、『職業訓練のために大学に行くわけじゃない、ただ

          働きたくない

          全ての装備を知恵に置き換えるということ(石川直樹/集英社) 以下、上記の書籍からの引用を「」として表記します。 「今、この瞬間も川は流れている。たったそれだけのことを想うだけで、ぼくの心はほんの少しだけ軽くなるのだ。たったそれだけのことなのに。」(p.60) 「正面にあるチョモランマの頂上ピラミッドを見つめながら、やがてその直下に立って頂を仰ぐまでの時間。それは人生の幸福といってもいい。 宇宙と対面し、発する光を全身に浴びて歩くこと。たとえそのすぐ先で滑落しようとも、こ

          スマートフォン

          心を揺さぶられる体験をしたあと、私は必ずスマートフォンに戻ってくる。 そこにはたくさんの人生があり、誰かの夢・妬み嫉み・美しいもの汚いもの・諦めと希望・新しい価値観と、それをさらに高次から捉えなおす人、否定する人、共感する人 さまざまな思惑であふれかえっている。 匿名性と肉体の不在が与える、むしろ人間そのものに迫るような そのデバイスの冷たくなめらかな手触りに、先ほどまでの感傷はインターネットの海の彼方へと放り出され、なにかこの世の核心めいたものに近づいたという神聖な感

          スマートフォン

          思い煩うことなく楽しく生きよ

          何のために生まれて、何をして喜ぶ 分からないまま終わる そんなのは嫌だ この有名な某アニメのテーマソングは、私たちが潜在的に抱えるマインドを実に簡潔に表している。 誰の人生も覗き見できるような現代社会で、『何のために生まれて、何をして喜ぶ』かはっきりしている人は魅力的であり、目立つし人気になる。 でもそう簡単に、自分が何者か、何をしたいか分かる人はいない。 最近悩んでいたことは 何者でもなく、どこにも行く予定のない自分は、人生の義務を放棄して怠けているのではないか、と

          思い煩うことなく楽しく生きよ

          結婚。可能性の死とときめき、その他。

          私がこよなく愛するドラマ、「愛の不時着」でも似たようなことを言っていた気がするが、 ときめきとは予測不可能性である。 冷え性にとっては寒さがより辛く感じられるように ときめきが心に与えるインパクトによって、結婚の意味は大きく異なるようだ。 結婚とは、人生の多くの可能性のうち、1つのルートを選ぶことであり、そこからどんなに様々な選択肢が待ち受けているにしろ、必ず、諦めたルートへの未練がつきまとう。 未来の自分の可能性こそがときめきであり、どうなるかわからない人生があってこ

          結婚。可能性の死とときめき、その他。

          発酵する記憶と香る春

          心のシャッターを切る場面がある 入試帰りの雪の坂道、甘いアフタヌーンティー 徒歩10分の引っ越しとカーテンのない部屋 小さな花火大会の帰り道 アーケードで歩き疲れたあとのカフェ 夏の終わりの美術館 心細い池袋のビジネスホテル、IUのpalette、泣いた夕方 交差点を見渡せるベローチェ 一人で突然行った日帰り温泉、鯖の味噌煮定食 川辺のカフェのさっくりしたスコーンと生クリーム 寄り道した街の知らない顔 抜けるような沖縄の青空、乾いた空気、優しい友人たち

          発酵する記憶と香る春

          サイダー

          どんなに美味しい飲み物を飲んでも、 忘れられない味というのは案外単純なものだ。 晩御飯がしょっぱくて、 みんなのどが渇いていて、 お風呂上がりの父親が買いに走った、自販機でしか見ないような150円のグレープフルーツサイダー。 あれが一番美味しかったような気がする。 あるいは、 子どもにはまだ早いと、キャップいっぱいだけ注いでもらったリポビタンDは、この世で一番神秘的な飲み物だった気がする。 心に残る一杯を探して、今日もうやうやしく一口。

          サイダー

          比較

          春の始まりの夜と夏の終わりの夜の空気の柔らかさは素晴らしい。 風が体にふんわりと纏わりついてきて、このまま歩いてどこにでも行けるような、自由で香り高い夜だ。 そう思うと、人生は比較の上に成り立っている。 生きている限りは、大なり小なり、いろんなことが降りかかってきて、現実に足をとられて息もできない。 それでも、死ぬまでにまたこんな夜がめぐってくるならば、 つまらない災難は、この夜をより際立たせるためのお膳立てでしかないならば、 どんな災難も我慢したっていいと思える