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2024年8月20日の日記

思いついたことは大抵日記に書くまえに消えてしまう。

吉本ばなな先生のnote「どくだみちゃんとふしばな」は定期的に文庫化されている。人の日記を読むのは面白い。ましてや好きな小説の作者の日記というのは素晴らしい。好きな箇所がたくさんあるので、お風呂から上がったら写経しておこう。

さて、そんな吉本ばなな先生の「どくだみちゃんとふしばな」は、読んだ本、観た映画、会った芸能人のことまでわりと忖度なく自由に書いてある。そこで、坂口恭平さんについて言及されていた。ばなな先生は坂口さんをモテる人だろうと評していた。坂口さんといえば、「いのっちの電話」として死にたい人のために自分の電話番号を公開して24時間電話を受け付けている人だ。自身は早稲田の建築を卒業してから就職せず、躁鬱に苦しみ、躁状態の自分に振り回されたり周りを振り回したり、鬱状態の自分が仕事をおじゃんにしたりしながらも、躁鬱との付き合い方、自分の能力の使い方を模索し、魅力的な生き方をしている人だ。幸福人フーしか読んだことがなかったので、モテそうというイメージはなかったが。

そこで、チラホラ目にして気になっていた「生きのびるための事務」という坂口さんの著書を買うことにした。ついでに気になっていた「躁鬱大学」「現実脱出論」「自分の薬をつくる」この3冊もAmazonでカゴに入れる。ちなみにAmazonで複数冊買うと、大抵ダンボールの包装の中で揺れまくって本が傷ついているのでおすすめはできない。焦る気持ちをおさえて1冊ずつ買うのがベターである。今回は傷つくのは気にせず一気に買う。

早速、週末に「生きのびるための事務」を読む。坂口さんのイマジナリーフレンド「ジム」が登場して、無職で不安を抱えながらも芸術や音楽をやって自由に生きていきたいと夢見る坂口さんにビシバシ事務をたたきこむ。事務といっても、家計簿をつけたり、書類整理をしたりという事務仕事のことではない。必要なのはノートだけ。ノートに今の1日の過ごし方を書く。10年後に「こうだったらいいな」と思う過ごし方を書く。そしてその差を埋めるためにやるべきことを淡々とこなしていく。こう書いてしまうと自分が1番苦手な「なりたい自分になる!運を引き寄せるジャーナリング😌」みたいに感じてしまうのだけれど、この本はスッと実践する気分になる。それは、自分が10年後どんな人間になりたいか、何を成し遂げたいか、という問いではないからだと思う。何を成し遂げても、やってくるのは1日24時間であり、その時間をどんな気分で何をして過ごしたいか、それに尽きる。つまりジムが語る事務は、まさに「その時その時の気分を大切にして、人生に自由の風を吹かせておく」ための土壌をつくる事務なのである。

とまあそんなふうにして他の本もビシバシ読んでいく。自分の薬をつくる、はよかった。吉本ばなな先生も結構似たようなことを言っているのだが、人生は、自分に合うことを見つけて、それを続けていくためのもの、そしてオリジナルの自分の調整方法を編み出していく、その過程も楽しむようなものらしい。

なんというか、こういう類の話は半ばスピリチュアルで、にわかには信じがたいわけである。なぜなら私の10代は忍耐と勤勉の上に成り立っていたものであり、そしてその果実を20代に食いつぶして暮らしているという感覚があったからだ。

続けて躁鬱大学を読む。さすがに降伏する。躁鬱病とは躁鬱の程度の問題であり、診断には至らずとも多かれ少なかれ人には感情や行動力の起伏がある。

どちらかといえば私は躁鬱の波が大きい方だと思う。だから書かれていることがかなり参考になった。まあ目から鱗というか、自分の中の神話(登場人物・過去の自分)が崩れて行く感じがした。つまり私は、とにかく褒められたく、人に感謝されたり影響を与えたい。1人が好きなのに山から降りて人前で踊ってみせ、もらったリアクションを布団にして寝るみたいなところがあるのだと認めざるを得ない。認めざるを得ないわ。10代は忍耐と勤勉ではなく、10代でやらされていたことは私の気質と合っていたのだろう。けっこう勉強が得意だったから簡単に一目置かれることができていつでも気分が良く、じっとしてても新しいことを教えてもらえて、放課後は静かに勉強しつつも気のおけない友人と交流できるという適度な人間関係が担保されていた時代。だからあれは、鬱になりようのない黄金時代だったのだ。大学はそれとは違うけれど、とにかく毎日自由だった。明日何をしてもよかった。選びとって1人で過ごす冬の午後、崖の上のカフェに向かう時のすがすがしい日差しや、店の窓辺から見る向こう岸の豊かさといったら!

問題はすべてお金だった。安定した人生のために安定した職業につき、そこで失われたのは自分の価値や自由、付き合う人間の選択肢、静けさと集中。それはまあ、とりあえず失ったことを受け止めるとして。私は失う必要のないものを失っていた。自分の中の創造性や、好奇心や、なにかを語りたい、つくりたいという欲求を全て、価値のないものとみなして無視してきた。そのフラフラした気分は確かに、組織の中では価値がなかった。私はいつでも、努力すれば価値のある人間になれると、果実が手に入ると信じてきた。今やその神話は崩壊した、と思う。なぜか?今や手の中には腐りかけた果実しか残っていないから。

観測した限り、多くの幸福論は「価値のある人間であるべきだ」「他者に評価され、感謝されるべきだ」こういう他人軸の考えを否定する。自分に集中することこそ幸福への道である、コントロールできないことに目を向けるべきではないと説く。幸福を探し求めるがあまり、私は常に自傷行為を繰り返していた。「このままの自分では幸福にはなれない」「物事の見方を変え、他者への期待を捨てるべきだ」

そうではない。私はこのままで問題ない。私の幸福はそういうものではない。かつて嗅いだことのある自由の香り、思い出すときに漏れる時間の甘い蜜、伸び縮みした夜。こういうものがそれまでの憂鬱を全て帳消しにしてくれた。人生ってなんて素晴らしいのだろう、突然夢みたいに幸せな気分になるなんて。

幸福という単語に騙されていた。私の幸福とは、無我の境地みたいなものではなく、常に過去事例があるものだ。特定の気分のことだ。だからそれを再現するために生きている。最近、それは同じシチュエーションを用意すればいいというものではないということに気づいた。またここからが戦いである。

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