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全ての装備を知恵に置き換えるということ(石川直樹/集英社)

以下、上記の書籍からの引用を「」として表記します。

「今、この瞬間も川は流れている。たったそれだけのことを想うだけで、ぼくの心はほんの少しだけ軽くなるのだ。たったそれだけのことなのに。」(p.60)

「正面にあるチョモランマの頂上ピラミッドを見つめながら、やがてその直下に立って頂を仰ぐまでの時間。それは人生の幸福といってもいい。
宇宙と対面し、発する光を全身に浴びて歩くこと。たとえそのすぐ先で滑落しようとも、この瞬間瞬間に確かに自分が存在していることが、僕にとって生きている喜びなのだと思った。」(p.82)

「水平線の先に、見えないはずの島を見るとき、若い頃抱いた未来への不安はいつしか明確なビジョンへと変わる。
ぼくらはクジラの姿を追いながら、長い時の流れをさまよっていた。自分が乗る舟のナビゲーターは自分自身であることにぼくらは今ようやく気づこうとしている。」(p.42)

著者の石川直樹さんは、探検家であり写真家である。

なんと詩的な人。

繊細な感性に大胆な行動力。
未知の冒険への欲求に突き動かされ、それを実現する喜び。

人間は、そのポテンシャルに加え、圧倒的な「超個人的・腑に落ちた」体験を加えていくことで、どんな人生を送ることになるか運命づけられていく。

その不思議な巡り合わせのバリエーションの、最果てにいるような人だ、と思った。

途方もなく大きなものに触れ、自分はその一端にいると感じる瞬間、あらゆる些末な不安はどこかに消える。その感覚に共感した。

私の場合それは、古人の知に触れ、根源的な問いの深淵を覗き込むことにある。
あるいは、生活に根ざした家具という単位から、ものごとを考え、手を動かし、大きな理想への道筋を組み立ててきた人々から。

まだ見ぬ深淵や頂を見つめる人に出会う時、いかに自分が近視眼的になっていたかに気付かされる。

その圧倒的な気づきの前に、これまでの自分は赤子も同然だったと思わずにはいられない。

私はこれからも何度でも気づき直し、何度でも生まれ直すことができる。

クラッとくるような爽やかな喜びが、真冬のアパートの一室を、春一番よろしく通り抜けていった。






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