働きたくない
働きたくない。
子どもの頃、将来の夢は専業主婦だった。
働いてみたい、という気持ちがわいたことはない。
戦争から無事に帰って来て、以降まったく働かなかったという曾祖父のDNAが、今からだじゅうにみなぎるのを感じる。(DNAはみなぎるものなのか?)
『働きたくない』『遊んで暮らしたい』
ただそれだけの気持ちを、このブヨブヨとして脂の多い、日曜日の夜のスーパーに並ぶ50円引きの豚細切れ肉みたいな、庶民的で、ありふれた気持ちを、『職業訓練のために大学に行くわけじゃない、ただ知的好奇心を満たし、興味の持てることを学びに』と入学した文学部で購入した少しのプライドと学歴ブランド小麦粉を修飾語としてまぶし、反出生主義・ニヒリズム・生きる意味なんかをいい感じに隠れ蓑にして、あぁ、なんとか人様に見せられるような状態で社会というテーブルへ並べたものの、結局は________
働きたくない
ただそれだけのことなのである。
やりたい仕事などない。毎日自然と戯れ、レコードを聴き、本を読み、ラウンジチェアに座り、あらゆる美しいものごとのパトロンとなり…それだけなのである。
これが言えるようになるまでに、どれだけまわり道をしてきたのだろう。
好きなことを仕事にしたいのかもしれない、と希望を持ったこともある。しかし違うのだ。働きたくないのだ。働きたくないという気持ちで発電し、自動車を走らせ、脱炭素社会を実現できればどれだけいいだろう。まったく動機はクリーンではないエネルギーだけれど。
ああ、でもこんなふうに、自分の思いを言うことができてよかった。明日からの仕事も頑張れそう。いや働きたくない。
働きたくない。せめて今夜だけは。
欲を言えば明日も、いや、一生。
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