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つら性について

人生がつらい。あまりにもつらい。
辛くない時期もあるけれども、結構頻繁につらい。

何の不安もなく満ち足りて幸せを感じる期間は、人生を1日に凝縮すれば、朝露ほどしかない。

幼稚園、辛かった。
話の通じない乱暴な男の子、よく不機嫌になる幼なじみ。食べられない緑の野菜。拾えないプールの底の小石。

小学校、辛かった。
多感な時期の仲間はずれ。マラソン。誰かを嫌うやり方を教えてくれるおせっかいな同級生。親友と好きな人が被ってしまったこと。

中学校、かなり辛かった。
上下関係の厳しいテニス部。「先輩代わります!!」「1年生、2年がコート整備やってるよ?」「1年生、先輩見つけたら挨拶して?」毎日の外周。放課後の掃除を真面目にやらないクラスメイト。音楽祭で歌わないクラスメイト。やたらキレる生活指導の先生。ピアノの練習。

高校生、たまに辛かった。
謎の学校体操。応援練習。体育教官室。捻くれたコメントを連発する部活の先輩。実らない恋愛。勉強、勉強、部活、勉強、部活、勉強。友人と喧嘩しては、この世の終わりのような気がしたものだった。
正しい意見を述べるクラスメイト。正しくないけれど楽しい意見を述べるクラスメイト。また友人と好きな人が被った。なんでよ。

大学生、たまに辛かった。
チェンジして欲しいと生徒に言われた塾講師のバイト。古株にいびられたお弁当屋さんのバイト。よそ者に厳しい京都出身のオーナー。就職試験の勉強。書き終わらない卒業論文。

社会人、辛い。
働きたくないあまりに、目を瞑って仕事を決めてしまったツケが回ってきた。好きじゃないことをしている。どちらかといえば避けたいジャンルを。慢性的な職場のマンパワー不足。身動きが取れない。いろんな人の思惑や意見の海で溺れる。毎朝不安で目が覚める。

ああ、こう書き出してみると、平凡な、ありふれた苦しみたち。逆説的に幸せだと言いたいのかと思うような陳腐なエピソード。

でも毎回毎回、私は本気で絶望している。こんなに辛い気持ちを味わうならば、幸せな瞬間がいくつ積み上がっても無意味だと感じる。

辛さを感じやすいのだ。
自分に価値がないことが怖い。
責任を持つことが不安なのだ。
自分を諦めることもできず、思うように生きる決心もつかず、何も決められない。高校だって大学だって就職先だって、気づいたらそこにいただけで、私の意思などどこにもない気がする。見栄えのいい人生。なんとなく恥ずかしくない人生。何もかもが面倒くさい。面倒くさくないフリをして生きている。何かに夢中なフリ、情熱的なフリ、ユニークな人間のフリ。だってそうしないと、価値がないもの。生き生きとしていて、人を愛して、人生を謳歌していないと、魅力がないもの。そういう大人にならないといけないんだもの。

私は自分が何を求めているのか分からない。貧乏にはなりたくない。日々に刺激がないのも嫌。でも緊張はしたくない。何も我慢できない、全てを手に入れたい。

他人が10の幸せを掴んでいるなら、私も10欲しい。あるいはもっと欲しい。

きれいな人生を送りたい。
ふわふわとぬるま湯につかって、花の蜜を飲んで生きるように。難しいニュースは全部見ないふりをして、おとぎ話だけを読みたい。
でも社会的な考えを持っていないと立派な大人じゃないと思っているから、フリをする。社会に関心があるフリ。よりよい世界を願うフリ。どうでもいい。今この瞬間、私の心が安らかであれば、他のことはどうでもいい。本当は。

こうやって書くことさえ、甘えに過ぎない。私は自覚しています。自分の弱さを認めています。もう許してください。

子どもの頃読んだ女子児童向けの相談コーナー。「学校がつまらないんです、どうすれば?」当時は馬鹿みたいだと思った。斜に構えて格好悪い。自分が動いて楽しくすればいいのに。

今は謝りたい。楽しくする方法が分からない。どのクジを引いても、全部ハズレなんじゃないかという気がする。当たりに繋がる道はないんじゃないか。当たりの人生って何なんだろう。私は私を選んで生まれてきて、こういう感じ方を持っていて、そのことは、ハズレなんだろうか。いつでもうっすら辛いことは。平凡な人生なのに、細かく丁寧に辛い部分を拾って拡大して吐きそうになっているのは。

答えは保留する。
今は事実として受け止める。
冷え性みたいなもので、単なるつら性なのだと思うことにする。ベースが辛さを感じやすい人間なだけ。どうってことない。

大丈夫、大丈夫。








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