思い煩うことなく楽しく生きよ
何のために生まれて、何をして喜ぶ
分からないまま終わる そんなのは嫌だ
この有名な某アニメのテーマソングは、私たちが潜在的に抱えるマインドを実に簡潔に表している。
誰の人生も覗き見できるような現代社会で、『何のために生まれて、何をして喜ぶ』かはっきりしている人は魅力的であり、目立つし人気になる。
でもそう簡単に、自分が何者か、何をしたいか分かる人はいない。
最近悩んでいたことは
何者でもなく、どこにも行く予定のない自分は、人生の義務を放棄して怠けているのではないか、という、漠然とした
ある意味モラトリアム的な不安だった。
私は、時にその不安は、歪んだ形で現れることを知っている。
人生の目的が明確な人、何者かである他者を否定することで、自分の心と立場を守ろうとしてしまう。
否定をするのは楽だ。
何者かである誰かを否定することで、自分のポジションが明らかになるからだ。
何者でもない私は、せめて、自分が何者か、何が自分の幸せかを、他者の考えや存在の中に見出さないように努める。
人生は短い。
毎日こつこつと、生きていることの喜びを集めて、悲しみを捨てる。
立派な人は、他人の分までその作業ができるかもしれない。
他人の分は手が空いたらでいいから、まずは自分を幸せにすることだ。
せめて死ぬ時には、何のために生まれて、何をして喜ぶのか、
分かっているといいんだけど、、
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