許すってまず、自分を許して
多分、自分を傷つけた相手も、自分を蔑ろにした過去の自分も、許せば色々と良いことがあります。
でも、反省していない人を許す必要はないと思います。
許す義務は全くありません。許すかどうかは完全に私・あなたの自由です。
逆に、反省していない人、謝らない人を頑張って許そうと思っても、許しようもない気がします。どうやって許すのですか? 謝罪もないのに?
許せたらラッキーです。
結論から述べます
多分、他人を許そうと、少しでも考える人は優しい人です。
許そうと考えるということは、何らかの被害にあった、ということです。
残念ながら、今の社会は良い人の方が、被害にあいやすいと思います。被害にあったあなた、あなたは良い人です。まずそういう前提があります。
別に無理して許さなくてもいいと思います。
それが結論です。
ここからは、中学一年生の時に、暴力こみで半年ほどイジメられた私が、いかにして相手(謝罪なし)も自分も完全に許したかと、許しに対する持論や考察、そして自分を許すことの意味、について書こうと思います。
また、自分を許すのは大事であり、過去に苦しんでいる人は、それが原因の一つになっているのではという推測もあります。
だって、自分を責め続けている訳でしょう? そりゃあ、いつまでも苦しいですよ。
運動オンチ、親の期待を裏切れず運動部に入る
私は生まれながらに運動オンチで、小さい頃は怖がりの弱虫でした。
幸い勉強は出来る方だったので取り柄はありました。
母は少しばかり教育熱心でしたが、満点の母です。
小学校時代は、いじりはあってもイジメにまで発展することはありませんでした。
運動オンチの私は圧倒的にいじられることが多かったですが、こちらも言い返していましたし、子どもの喧嘩を超えることはありませんでした。
友人にめぐまれたこともあって活発に育ちました。
運動オンチな私でしたが、中学では無理をして運動部に入りました。
十年以上昔のとある田舎の学校。運動部に入らない者は、人に非ず、という風潮がありました。
本心では乗り気ではなかったし、嫌な予感もあった気がします。
人に非ず、という風潮は父からも感じました。
私の運動神経が悪いことは分かっていたでしょうが、それでもスポーツから得られる青春や経験、運動部ならではの人間関係を得て欲しかったのかもしれません。
私はその期待を感じ、裏切ることもできず、気丈に入部した話を食卓でしました。
懸命な父母の皆さん。
どうかお子さんの適性を、よくよく見抜いて下さい。
適性の低い分野では、期待し過ぎないことを強くオススメします。良い面を見つけてホメてあげてください。
退路の確保、いざとなったら逃げるという手段も、話しておくことをオススメします。
イジメ蟲毒
運動オンチの者は、頑張ろうが頑張らなかろうが、馬鹿にされ、笑われ、呆れられます。
小・中学生であれば99.99%以上はまずいじられると思います。
確か、最初は二・三年生の先輩にキツイいじり(もう実質イジメ)をくらいました。
相手は上級生で、部活も長くやってる分、当然実力は上です。言い返せるはずもない。
何をやっても上手くできない私を部員ほぼ全員で嘲笑し、少しずつ暴言が混ざり始めました。
そんな中、イジメの主犯になったのは同じ一年生のW君です。
部活動はとある球技でした。W君は暴言の他に、ボールを剛速球で私に当てて遊びました。メチャクチャ痛いんですよ。
イメージとしては野球のデッドボール。あそこまで硬い弾ではありませんが。
暴言はどんどんエスカレートしていき、記憶は定かではありませんが、まあ酷いことを言われたものです。
イジメの暴言には、それこそ自殺に追い込みうるほどの暴言、というものがあります。
罪に例えるなら侮辱、脅迫には収まりません。自殺教唆までいきます。
当時の私には部活を辞めるという選択肢は浮かんでいませんでした。
部活を辞めるということは父の期待を裏切ることであり、父と母に失敗を告白することでした。
イジメられている自分を親にだけはどうしても知られたくない、とも強く思っていました。
部活を辞めるということは、当時の中学校において落ちこぼれ・弱者の烙印でもありました。以後の中学生活三年間をまるごと負け犬として過ごすことにもなりかねません。
当時の私はそう思っていましたし、そういう空気を感じていました。
そんな一年生のイジメでしたが、米ソ冷戦にも似た、陰惨な蟲毒のごとき様相を呈していました。
ということで登場人物が増えます。
一緒にイジメられていたT君と、もう一人のイジメの主犯であるK君です。
最初に登場したW君が私をイジメて、K君がT君をイジメるという構造です。
さらに言うと、W君はT君を庇い、K君は私を庇っていたのです。
平成の片田舎に生まれた社会の縮図、それはアメリカとソ連の茶番よって苦しむ、朝鮮戦争・ベトナム戦争なのでした。
W君、K君、T君では分かりずらいですね。
W君をアメリカ、K君をソレン、T君をカンコクとしましょう。私はベトコンです。
最初に登場したW君ことアメリカは、私・ベトコン(ソレンの属国)をイジメますが、カンコク(アメリカの属国)のことは庇います。
ソレンはカンコク(アメリカの属国)をイジメますが、私(ソレンの属国)のことは庇います。
大罪
何もかもが茶番のイジメですが、当時の私にとってソレンの存在は助かりました。
ですがこのソレン、部活外でもイジメに手を染めます。
クラスの中で、ある女子生徒を標的に、暴言と汚物扱いのイジメを始めました。
そして属国のベトコン(私)も同じクラスにいました。どうなるかお分かりですよね。
このnoteを読む人って、イジメを問題視している人と、イジメの被害にあった人だろうと思います。私だって明言したくはないです。
私はそのイジメに加担しました。
数か月ほどイジメが続き、女子生徒は担任の先生に報告しました。
実はこの先生、部活の顧問でもあり再登場します。なのでコクレン(国連)先生と名付けます。
教師になって数年の若手で女性教師でした。
おぼろげな記憶ですが、私は女生徒をイジメている最中、楽しんでイジメはやってはいなかったと思います、嫌々しかたなく、ソレンのご機嫌を損ねないためにイジメをしていたはず。そのはずですが、本当に感情を覚えていません。
とは言え、深い洗脳・思考停止・現実逃避状態にあったと思います。
コクレン先生に呼び出され普通に怒られて、普通にやってはいけないことをやってしまったのだと号泣しながら自覚しました。
心は強くなった
女生徒のイジメは、私に自責の念を残して、表面的には解決しました。
もしかしたら、女生徒はイジメを乗り越えられず、その後も苦しみ続けているかもしれません。あくまで表面での解決です。
一方、私のイジメは続いていました。
自分の問題は、自分で解決するしかありません。他人に頼る力も含めて自分の力です。
他人を頼ったところで、裏切られたり、力になってくれなかったら、人は深く傷つきます。
そもそも頼りになる人がいるかどうかは、ほぼ運です。
コクレン先生は普通の先生でした。
イジメの報告があれば対応をしてくれました。一方、部活やクラスでのイジメを察知する能力は低かったですし、もしかしたら薄々感じつつも、見て見ぬふりをしていたかもしれません。
もっと良い先生なら報告されるまでもなくイジメを察知したり、イジメが起こらないための工夫や空気づくりが上手いかもしれません。
逆に外れの先生なら、イジメの事実を隠蔽したり、イジメに加担すらします。
運以外の何物でもありません。
なので基本的には自分の力が全て、と考えています。
コミュニケーションを上手くとって信頼できる友人を作ったり、いざと言う時に頼れる人を探せるかも、究極的には自分の力かなと思います。
イジメられた当時、私は対応方法を一つしか知りませんでした。耐えること、だけです。
ただ、終わりが見えない上に、イジメは軽減されるどころか日々エスカレートしていったので、もう耐えてられませんでした。
説得は意味を成しません。
メチャクチャ痛いボールぶつけを、やめてと言っても止めたためしがありません。相手が止める気になるまで続きます。
いつしか私は対応方法を1.戦闘 2.相談 3.逃走 と定め、耐えるという対応は削除しました。
(今はもっと対応方法が豊富で、戦闘は一番後ろの手段です)
戦うのであれば、筋トレするより他はありません。
日々暗い気持ちになり、暴言を吐かれている間はうつむいて耐え、ボールをぶつけられても止めてと訴えることを諦め、部活以外でも筋トレに励み、闇討ちの構想を練りました。
ある日、アメリカも部活以外でイジメをしていることを知ります。ついに覚悟が決まりました。
私はカンコクともう一人のイジメ被害者の三人で協力して、アメリカとソレンを闇討ちする相談をしました。
ここで、悪の帝国を粉砕していれば、綺麗な復讐譚として完結するのですが、現実はそうもいかず、一旦コクレン先生に相談する流れとなりました。
と言うのも、カンコクがいっそ部活を辞めよう、と提案してくれたのです。
負け犬だとしても一人じゃ無ければずいぶんと心が楽になるものです。私としては、コクレン先生に注意されたぐらいでアメリカはイジメを止める訳がないと思っていましたが、イジメの訴えと、収まらなければもう退部するという話をコクレン先生にしました。
どういうが話あったかは分かりませんが、その日以降、アメリカ・ソレンともにイジメはなくなりました。
まあでも、私のイジメはこの程度で良かったです。
どうも世の中には、こんなイジメは序の口、もっと過酷な目に合った人がたくさんいるみたいですから……。
イジメを見て見ぬふりすること
「イジメを見て見ぬふりすることは、イジメの犯人同様に恨めしい」という説を聞いたことがあります。
イジメを体験した身からすると、加担しないだけで、全然ありがたいです。
部員(またはクラスメート)全員がイジメてくるのと、一部だけがイジメてくるのでは辛さが全然違います。見て見ぬふりでも、全然かまいません。
私の印象としても主犯であるアメリカに対する恨み、怒りは風化しながらも10年以上続きましたが、副犯であるソレンやイジメに加担した上級生に対する恨みは、早い段階で消え去りました。
見て見ぬふりをしてきた人には、一切恨みを感じたことは無いと思います。
むしろ当時は、イジメられている自分が恥ずかしい、見られたくないと感じていた気がします。
贖罪
ということで、私のイジメも表面上は解決し、もやもやした気持ちを抱えつつも部活を続けることになりました。
ですが、アメリカに対する恨みと、女生徒に対する申し訳なさは、去年まで心から離れることはありませんでした。
恨みは風化するからまだ良いです。たまに思い出しても、怒りも恨みも微かにしか感じなくなりました。
女生徒に対する申し訳なさは、いつも「どうしてあんなことをしてしまったんだろう」と思わずにはいられませんでした。
贖罪という訳ではありませんが、中学二年になり部活に後輩がたくさん入ってきました。
この後輩たちが何と、米ソ以上の問題児でした。火星人がやってきました。
コクレン先生の仲裁以降、部活は健全な空気に戻り、アメリカもソレンも上級生もイジメをしなくなりました。
蟲毒みたいなイジメの話をしましたが、ソレンは登校路が同じでほぼ毎日一緒に登下校を続けていましたし、体力づくりのために走りながら登校したりしました。
私は下手くそだったので、二年生になるまで練習場に入れず、その外で練習していたのですが、ソレンとは朝早くに登校して、上級生が来るまでの数十分だけ、練習場で朝練をしたものです。
そういう面も知っているので、今にして思うと、彼はなぜ人をイジメていたのだろうと不思議にすら思います。
ソレンにしろアメリカにしろ、練習には声を張って取り組み、スポーツには真剣でした。上級生より実力がありましたが、先輩には敬語を使い尊重していました。
残りの二年半を近くで見てきましたが、以前のように人をイジメることも無かったと思います。
さて火星人ですが、まず練習は不真面目、スポーツは適当、アメリカ・ソレンより下手くそな先輩は三年生だろうとなめてかかる、敬語は使わずため口が標準。しかも一人じゃありません。軍団です。
衝撃を受けたのは、一人煙草を吸う奴がいたことです。
まあ、当然起こりますよね、一年生の間でのイジメ。
部で一番発言力があるのはアメリカです。二年生ながら一番スポーツが上手く、そして上手さこそが唯一絶対の発言力なのです。
でも彼はイジメを解決したりはしませんでした。いや、たまに注意していましたし、不真面目な態度に怒ったり、彼なりに部の秩序が崩壊するのを防ごうとしていた気がします。それだけで以前の彼と比べたら及第点だと思います。
ただ、イジメは見ていられないので、私が止めることにしました。
幸いタバコキッズを含め、後輩たちは全員私より小柄でしたし、私は運動神経は悪いものの身体が大きくなっていました。
そして、この戦場を生き抜くための筋トレは、欠かさず続けていました。
行き過ぎな暴言はたしなめ、暴行は止めました。間違いなく自分の時のイジメよりエスカレートせずに抑えられていたと思います。
さらに事態が急展し、火星人は何と、別の部活から頭のネジの飛んだ不良を呼び寄せて私に絡ませるようにしました。外国人傭兵部隊(ヨーヘイ)の登場です。
全くの部外者が唐突に、うちの部活にきて突っかかってくるカオスっぷりが伝わりますでしょうか。
マジで頭のネジが飛んでます。
漫画などの使い古された表現に、サイコパスなキャラクターがナイフを舐めという表現があります。
昭和に生まれたこの手法は、現代では最も底の浅い表現として、笑いに昇華されています。
逆に大真面目にナイフをペロペロするシーンはお寒い、クソださシーンとなってしまいました。
こんな底の浅い三下。火星軍団、傭兵部隊と戦った私なら楽に勝てます。
そのままナイフを押し込んであげればいいんですよ!
何が言いたいかと言うと、こういうエセサイコパスと違って、マジでヤバイと感じた敵、それがヨーヘイでした。
ただ、火星軍団も、ヨーヘイも恐ろしい敵でしたが、結局アメリカほどではありませんでした。
コクレン先生はじめ教師陣が、意外と使い物になると学んだ私は、パールハーバー作戦を実行しました。
後に学校や会社、親、社会にたいして不服従を貫く私ですが、この時はまだ模範的な優等生でした。
パールハーバー作戦とは、攻撃されたら攻撃をし返す。ただし、絶対に相手に先制攻撃をさせる。そうして大義を得て、出る所に訴えれば必勝。いっそ火星軍団を部から追い出せる。というものです。
そのためなら喧嘩も辞さない、むしろ先制攻撃させてやる、と覚悟したものの、ついぞ火星軍団およびヨーヘイとの大規模な抗争にはなりませんでした。
ナイフペロペロも、火星軍団もヨーヘイも、口だけは達者なトーシローばかり
高校一年のとき、クラス内でイジメが発生しました。それを私が指摘しても、あくまでイジメの主犯は、いじり・コミュニケーションなどとして認めず、イジメられている方もそれを受け入れてしまっていました。
私は二年ぶりにパールハーバー作戦を実行し、相手をハル・ノートばりに挑発し、裏拳を浴び、何やかんや先生と親が介入してイジメは完全になくなりました。
パールハーバー作戦は意外と用意周到で、教師陣に対して私は優等生のように振るまっていましたし、担任教師とはある程度会話をして、イジメに加担したり隠蔽したりするほど魂が落ちぶれていないだろうと見積もっていました。
仲の良いクラスメートにはイジメの問題提起をしていましたし、ある程度、味方(直接助ける勇気はないが、イジメを問題に思っている層)の発掘はしていました。
もし、イジメを止めようと思っても、味方なしで一人暴走して喧嘩を売っては解決しないどころか、状況が悪化する可能性すらあります。クレバーに、リアルな計画を練って実行しましょう。
高校二年生のとき、別のクラスのイジメを見ましたが、そこまでは介入出来ませんでした。別クラスではそういった見方作り(事前工作)が難しいからです。
大学に入学以降は、直接的な暴言・暴行は幸いにして見ずに済んでいます。
コクレン先生の欠点
中学校は、私の学年が模範的でイジメも少なかったものの(中一で怒涛のイジメラッシュを目にしましたが、残りの二年半では全く見かけませんでした)、妹の話ではもっと荒れた学校になってしまったと聞きました。
二十歳になり、成人式の後にコクレン先生と再会しました。
先生は若干心を病み教師の第一線からは退いていました。
説得だけではどうにもできない人は、この世にそれなりにいます。
その対処法が無かったのかもしれません。
私が中学を卒業してしばらくして、部活ではイジメがエスカレートし、その標的にあった後輩が退部をしたと聞きました。
高一の時のイジメも、大人を頼って対話を重視していたら、イジメはもっとエスカレートしていたかもしれません。
ちなみに高一のイジメ犯、パールハーバーの罠にかかったので二ホン君としましょう。
二ホン君はその性格が進学校に合わず、早々に退学してしまいました。パールハーバー事件後に学校に居ずらくなったというより、彼の自由な気性によるものだったと思います。
一年後、駅で階段を下りていると、ギターケースを背負った少年に明るく声をかけられました。
気さくに、友人に話しかけるように。二ホンでした。
ヤンキーは、マジで拳で語り合うと友情が生まれるのかもしれません。
私はヤンキーではないので特に友情を感じていませんでした。
二ホンに対しては人をイジメる奴という認識で、仲良くしたエピソードもないので心底ビックリしました。
彼は音楽に打ち込んでいることを嬉しそうに報告し、爽やかに駆けていきました。
行き場のないエネルギーや、窮屈でつまらない学校生活に対する怒りを、イジメという形で遊びで発散していたのでしょうか。
パールハーバー事件は、二ホン君の親、私の親まで話が届きました。私は情状酌量の余地ありで無罪放免、お互い大事にはしないことになりましたが、二ホン君の母親が私の母親に謝罪の電話を入れたみたいでした。
二ホン君は二ホン君で、家族関係が元々ぎこちなかったのかは分かりませんが、イジメと言う膿を出しきって、より良い家庭になれたのかもしれません。
よっぽど子どもを信用していないと、進学校を退学させて、バンドマンとして歩かせてあげることは出来ないと思います。
暴力
あくまで一例ですが、今の私はトラブルに巻き込まれた時の対応が複数あります。
1.説得 2.相談 3.逃走 4.交渉 5.司法・警察 6.威嚇 7.戦闘 です。
耐えることは削除済です。
説得・相談は話が通じる前提です。話が通じないと感じたら、まず逃走を考えます。会社なら退職、知り合いなら絶縁などです。とりあえず本気で逃げれば自体は改善します。
個人的には逃走で完結しています。例えば日本が戦争に巻き込まれようものなら、日本を脱することも選択肢に入れます。
逃走で完結させるだけあって、退路の確保はほぼ完璧です。具体的には1%の貯金と、98%の覚悟、それだけです。
すぐに逃げられない状況でも、ヤバいと感じたら逃走計画を本気で考え実行します。
交渉は司法や警察に訴える覚悟で説得すること、司法・警察はマジで訴えることです。独り身ならいくらでも逃げられますが、例えば子どもがいたり、知り合いがイジメられたりと、助けたい場合は選択肢に入ってきます。
威嚇と戦闘は本当に緊急用です。
例えばナイフを振り回す通り魔が現れたとします。当然逃げますが、逃げ道が無かったり、もしくは目の前で子どもが襲われそうになっていたらどうしますか。
その場面に遭遇しないと、実際に自分がどう動けるかは分かりません。
ですが、想定としては獣としての人間に戻って、殺すつもりで睨んで、歯をむき出しにして腹の底から「ごらああああああっ」と怒鳴るつもりです。
自然界では目である程度相手の感情が読める、という話があります。例えば熊は人間と遭遇した時、相手が怯えて逃げたがっているか、いざとなったら戦う気概があるかが分かるそうです。
火星軍団・ヨーヘイと本格的に争わなかったのも、こっちの覚悟が伝わったからだと思います。
いくらナイフを持ってて、相手が素手でも、こんなキチガイに遭遇したら怯むし、襲うのを止める可能性もあると思います。そもそもが通り魔何て自分が絶対に有利という思い込みで犯行に及んでいるでしょうし。
これはそこまで大げさなシチュエーションではなく、例えばアメリカでは、銃規制を推進している州より、推進していない州の方が銃乱射事件が少なかったりします。さらに乱射犯が市民の銃弾によって倒れ、被害者が抑えられることもあります。
その市民は打つ覚悟を持っていたし、ある程度いざという時を想定していたと思います。
暴力はこの世で最も凶い力だと思っていますが、同時に最も強い力だとも確信しています。いざ(殺人犯との対峙)となったら私は暴力を振るうつもりです。
どうでもいいオマケですが、初めて金縛りにあった時、黒い影にのしかかられて、首を絞められ息が苦しい、という夢を見ました。
私は目をガン開きにして影を睨みつけ、心の中で「ごいやあああああ!」と全文字濁点付きで叫び「テメー、こっちの身体が動いたら覚悟できてんだろうな!」と脅しをかけ、夢特有の不思議で手にしたハンマーで影のこめかみを殴るため必死で右手を動かそうとしてました。
私はヤンキーではありません。
右腕を振りかぶって夢と金縛りから醒めました。
許し①
ようやく本題の許しについてです。
私は長年、自分をイジメたアメリカが許せませんでしたし、女生徒をイジメた自分を責め続けていました。
大学入りたてくらいまでは、アメリカに対する復讐を良く考えていました。
物語で「復讐なんて何も生み出さない、意味はないからやめよう」というメッセージが出てきます。
復讐を考えた身からすると、よくそんなことが軽々しく言えるものだと思います。
相手を許すかどうかは私が決めることです。
本当にこの通りです。力強く明るく爽やか。シンプル。
イジメやそれに類似した被害は、マジで復讐したらスッキリすると思いますよ。
それに他人の痛みを思いやれない人が、自分が痛い目に合って反省することもあるでしょうし。
罪を重ね続ける悪党もいます。
それを止めてあげるのもまた、彼のためであり、次の被害者のためではないでしょうか。
それに比べて……
私がアメリカを心の底から許せたのは、本当にたまたまのラッキー。運命のめぐり合わせです。
それは私が、女学生のイジメに加担したという自責に他なりません。
贖罪として、部活の後輩やクラスメートをいじめから救った(と私が思っている)エピソードを紹介しましたが、彼らを助けたからと言って、女学生への自責の念は消えませんでした。
私は女学生に対して、まともに謝ってもいません。
なぜ自責を続けるかと言うと、アメリカのことを許していないからです。私はイジメの犯人を許せません、イジメの犯人とはアメリカであり、私でもあるのです。
十年以上が経ち、当時の悲しい感情を完全に忘れ、それでも許せません。
一年前にふと、中学の学年文集を取り出しました。部長としてアメリカの言葉が乗っていました。彼なりに、生意気な後輩がたくさん入ってきたことに困っていたり、部を強くするために苦慮していたりしていました。私は覚えていなかったのですが、そういった相談を私にもしていたことが書かれていました。
文集に良いことを書いただけなのでしょうか。イジメが終わった後、二年半、彼を見ていましたが、依然の彼とは別人のように、部長としてまっとうに頑張っていたと、何となく感じていました。
私は彼を完全に、心の底から許し、らせん構造のように、自分の罪を完全に許しました。
それは十年以上たって改めて、彼が反省しているように感じられ、そういえば、行動も変わっていたなと思えたからです。
私も女学生のイジメに加担しましたが、反省し、行動も変わりました。
反省した心と、それに伴う行動、それが見えれば許しても良いかもしれません。
簡単に人を許す必要はありません。
人を許さなくてはいけないという義務は一切ありませんし、人を許すかどうかは完全に自由です。
個人的に、反省していない人を許すのはナンセンスだと思っています。
私は本当にたまたま、罪のめぐり合わせでアメリカを許すことが出来ました。
ただ、許すことは本来もっと難しいことかもしれません。
もしかしたら、今生では学びきれず、来世に持ち越すほど難しい問題かもしれません。
許せたらラッキー、それくらい気軽な気持ちで取り組みましょう。
許し②
もう一つ、許すに許せない問題があります。
私とアメリカ、女学生の関係は非常にレアなケースで、あまり参考にならないでしょう。
多くの人がトラウマを乗り越えられずに、ふさぎ込み、苦しみ続ける後悔。
それは、自分で自分を許せない、ということではないでしょうか。
私の自責とは違います。私はイジメに加担と言う悪い行いをしました。
イジメの被害者には、一切の罪はありません。
当時の気持ちを思い返すに「悔しい、反撃したい、言い返したい、いつまで続くんだ、早く抜け出したい、死にたい」こういったことはイジメられていたら思うことではないでしょうか。
これは「イジメられてる自分を助けたい、早く楽にしてあげたい」という気持ちにも近いと思います。
頼っても助けてくれる人がいなかったケースもあるでしょう。
そうなるといよいよ、自分で自分を救うしかありません。
許すに許せないとは、もしかしたら自分を助けられなかった自分を許せないのかもしれません。
親にも周りにも助けられず、自分すらも自分を助けなかったとしたら、ただ耐えてやり過ごしただけです。それは状況を自分でコントロールしていません。
ただ単に、憎っくきいじめっ子が、気まぐれでイジメを止めた、飽きたから標的を変えた。憎っくきいじめっ子が、状況をコントロールしています。
同じようなことが起きたとき、また耐えないといけないかも知れない。他人のご機嫌をうかがわないといけないかも知れない。
私はイジメの規模はそこまで酷くありませんでしたし、母や祖母との仲は良好でした。
筋トレをして自信をつけ、復讐の覚悟と、いざとなったら退部するという逃走を決意して、コクレン先生に相談しました。
話し合いでイジメは解決しましたが、その後に周りのイジメを止めるという経験もしました。
幸い私は、自分で自分を許せない、という気持ちには陥りませんでした。
自分で自分を許せない人が読んでくれたら送ります。
「でも、助けられなくてもしょうがなかったよ! 耐えるしかなかったよ! よく耐えたよ! それだけ辛い追い込まれた状況だったよ! あなたはマジのガチで一片の疑いもなく悪くないよ! イジメに加担した私より、あなたはずっと立派だよ! 誇っていいよ!」
残酷な助言もさせてもらいます。
辛い状況を耐え続けるのは良くないと思います。本気で考えて見てください。
アナタはきっと、イジメられていた時より強く、賢くなっていると思います。
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