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記事一覧
【エッセイ】生活の隣人
生きていると、気軽に命の危機を感じる。
例えばアパートの三階から窓の外を見ながら煙草を吸っている時、例えば包丁でやけに硬いジャガイモを刻む時、風呂に入った足の裏が石鹸の残滓を踏んだ時、何かがどこかに転べば俺は死ぬ事ができると何気なく思う。
誤解のないように言うと、特別に死にたいわけでは全くない。ただ、今は何の過不足もなく動いているこの生命は日常が孕んだ僅かな小石に躓けば簡単に止まる儚いもの
【短編?】会話の代替
「いらっしゃいませ、本日は何をお求めですか」
「"逃避による幸福の可能性"を一つ。支払いは…"幸福の代替物の代替物"は使えたよね」
「はい、お使いになれます」
「いくつか見繕ってもらえるかな」
「かしこまりました、ではこちらの"藝術"などはいかがでしょうか」
「うーん、今日は頭を使わないヤツがいいな」
「では、こちらの"快楽"などはピッタリかと」
「ラインナップは、あぁ、うん、"愛"
【エッセイ】カスの日常
本当に突然だが、私はカスだ。
軽い抑鬱、定期的な体調不良、ADD(最近はこの言い方をしないらしいが)など統合失調症の陰性症状お徳用詰め合わせパックのような人生を送るダウナー系のカスだ。
これは別に不幸自慢をしたいわけではなく、本当にかなり困っている。酷い時は食事や外出など生活の身動きが出来ない。
そんな自分にも、幸せなことに人並みに友人が居て、予定があり、暮らしがある。
友人には迷惑をかけ、予
【エッセイ?】檻を踏み外す
満ち足りた日常を生きてしまった。(当社比)
本当は不足の中で暴れていたかったのに。
自分の異常性を肯定してくれる背景が幸せの中には見つからなかった。
果たしてこれは嫌味なのだろうか。
誰かの嘆きは誰にとっても凶器足り得てしまう。
誰かよりも幸せな状態で不幸せを叫ぶ事を罪と呼んだ人間を許せる気は今のところしていない。
人には人の艱難辛苦。
いかに世間的に満ち足りていようと必ずしも幸せではない。
【エッセイ】『旅』の出発、その終着
経験は概ねの場合人を強くしてくれるらしい。
であるならば、趣味を聞かれ自意識が言い淀んだ経験でさえ人を強くしてくれるのだろうか。
趣味の話は初対面の人間がお互いのことを探る際によく用いられがちな話題だが、それでいて答える側はかなり気を遣う罠のような話題だと思う。少なくとも私にはそのきらいがある。
大半の場合、尋ねる側は話のとっかかりが出来ればいい程度にしか考えていないのだろう。内容がなんであれ
【短編】「星に願う」
「あの流れ星はね、大気圏で燃えるゴミなのよ」
何もそんなこと言わなくても。が君から始めてこの話を聞いた時の感想だった。確か中学生一、二年の、十代なりたてくらいの時だった。
年はあやふやだが日付はよく覚えている。なにせ七月七日、七夕の日の夜、空に向かって「サッカーが上手くなりますように」と二回唱えた後のこと。
七夕の日に流れ星を見つけた少年の気持ちは推して知るべきだと思う。さしてロマンチックな
【短編】継げない灯と
最近、また友人が死んだ。と言っても最近段々と珍しい事ではなくなっているのが怖いところだ。人生80年、100年などと言うことも多いが、人間というものは40数年も生きていればコロッと死んでしまう時もある。
私の周りだけでも、事故に巻き込まれたヤツもいれば、病に殺されたようなヤツもいた。それが同僚だったり同級生だったり、幼馴染だったりもした。
そんなヤツらを見ていると、死に兆候がある人間は案外少ない