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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2021年7月の記事一覧

燃え尽きる世界

燃え尽きる世界

 朝のニュースでまたひとつ街が燃え尽きたとキャスターが言った。テレビはつけてあるが、夫は新聞を読んでいる。どちらかにしてほしいものだと毎朝思うのだけれど、それは言わない。
「また街が燃え尽きたって」と、わたしはコーヒーを出しながら夫に言う。
「うん」と、夫は新聞から目を離さずに言う。「聞いてたよ」
「どんどん燃え尽きていってる」
「そうだね」
「この世界は、どうなっちゃうんだろう?」
 どこからそ

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ぼくはあなたみたいになんてなりたくない

ぼくはあなたみたいになんてなりたくない

 人間は理解可能なものしか認識できない。その出来事は少年の理解を遥かに越えていたため、その事について彼にあれこれ何か尋ねても要領を得ない返答しか期待できないかもしれない。
 少年の眼前に、銀色に輝く物体が忽然と現れたのだ。それは立方体で、一辺が少年の背丈の倍はあろうか。なんだ、これは?少年が愕然としていると、立方体にみるみるうちに穴が開き、そこから男が出てきた。男が出て来ると、その穴はまた閉じた。

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釘が打てるもの

釘が打てるもの

 会議室に呼ばれたのは、わたしが提出した案に結論が出たからだろう。わたしが購入を主張している機械に関しての結論だ。
 それを導入することで、効率は飛躍的に向上する。論理的に考えて、これを導入しないという結論はあり得ない。そもそも議論の余地すらないのではないかとすら思えるが、組織というものは議論が好きだし、厳かに結論を下すのが好きなものだ。ある意味では儀式にすぎないかもしれないが、まあそれに付き合

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ご臨終です

ご臨終です

 祖父は厳めしい顔付きをしていたものだし、いつも眉間にしわを寄せ、口をへの字にしていたのもあって、厳格で頑固一徹だなんて思われていたけれど、ぼくのイタズラのレパートリーはほとんど祖父から教えてもらったものであるほど、本当はとてもひょうきんでふざけた人間だった。もしかしたら、長年連れ添った祖母ですら、その本性に気付いていなかったかもしれない。少なくとも、父や母がそれに気付いた様子は最後までなかった。

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別料金

別料金

 男がドアを開き、レストランに入って来た。夜もかなり更けたころのことである。出迎えるウェイターはいない。もしかして、もう閉店してしまっているのだろうかと男は一瞬不安に駆られるが、それであればシャッターを閉めるなり、鍵を閉めるなりしているだろう。時刻が時刻だからか、店内にひとりも客はいない。男はひとつ息をつき、適当なテーブルを選び、勝手に椅子に腰掛けた。
 テーブルの上に置かれた、だいぶくたびれたメ

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いしつぶて

いしつぶて

 人垣が刑場へと続く道沿いにできている。それは果てが見えないほど長い。刑場まではまだ遠い。頭上では灼熱の太陽が燃え、大地を焦がしている。人垣の中にいた彼は、その人の壁の作る道の先、刑場のあるであろう方を見やった。丘の上の刑場は、彼のいる場所からは見ることができない。遠くの人々は陽炎で揺れている。
 人垣には、若者もいれば、年寄りもいる。女もいれば、男もいる。子どもさえいる。あるいは野良犬さえそれを

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ある夏の朝

ある夏の朝

 夏休みのある朝のこと。
 冷蔵庫を開けると、牛乳が切れていたので仕方なく買いに出ることにした。
 サンダルをつっかけ、外に出る。朝から日差しは強いが、風は爽やかだった。夏の朝らしい夏の朝。風の心地よさに誘われて、少し遠回りして行くことにした。あくびしながら犬の散歩をする人がいた。ネクタイをしめて出勤しようという人がいた。ジョギングをする人がいて、ウォーキングをする夫婦らしき人たちがいた。朝の景色

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空っぽのぼく

空っぽのぼく

 街を歩いていると、人にぶつかられた。不注意でというわけではなく、明らかに故意だった。相手の故意だ。こちらはよけようとしたのだ。それが、その動きを追うようにしてぶつかられた。
 相手は小柄だったが、なかなかの衝撃だった。ぶつかる瞬間に力を込めたようだった。ぼくは一歩後ずさりし、相手を見た。
 ぶつかってきたその相手は女だった。若い女だ。小柄で、華奢で、その手にはなにか光るものが握られている。包丁だ

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あの日、君は

あの日、君は

 祖父母の家を引き払うことになり、その後片付けをぼくが担うことになった。不平を言うと、母はこう言った。
「だって、暇なのあんたくらいじゃない」
 返す言葉が無かった。その言葉はグサリとぼくの胸を貫き、ぼくがもう少し繊細な人間であれば致命傷になるところだった。
 ぼくはちょうど失業したばかりだったのだ。不幸中の幸いは、この歳になっても養うべき家族のいなかったことと、両親ともに元気だったことだ。ぼくは

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ぬるま湯

ぬるま湯

 昔、子どもの頃は風呂に入るのが嫌いだったけれど、最近はついつい長風呂をしてしまうようになった。そう言えば、爪を切るのも嫌いだったし、ニンジンも嫌いだったが、いつの間にか嗜好が変わって、今ではどちらも好きである。爪が伸びたままだと気持ちが悪いし、ニンジンはその味の深みがわかった。昔は爪を切ったあとの感覚が変わってしまうのが嫌だったし、ニンジンの歯ごたえが苦手だった。不思議なものだ。あんなに嫌がって

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戦争が終わった

戦争が終わった

 戦争が終わったという報せがもたらされた時、その土地の人々は一様に首を傾げた。
「戦争?なんの話だ?」
 その土地の誰ひとりとして、戦争が行われているということを知らなかったのだ。土地で一番の物知りの長老もそんなことは知らなかったし、目新しいことに敏感な若者たちの誰もそれを知らなかった。みな、顔を見合わせるばかり。報せ、それは小さな封筒に入れられていた、を持って来た郵便配達夫を捕まえて問い質し

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六つ子

六つ子

 六つ子と付き合っていたことがある。その全員とではなくて、その中の一人と。最初聞いた時は冗談だと思った。六つ子なんて。わたしの知り合いに双子はいたけど、六つ子なんて。証拠として見せられた家族はまるで合成写真のようだった。同じ顔が六つ並んでいるのだ。
「なんだか不気味」
「失礼だな」と彼は笑った。
 彼は六つ子である以外にこれといって何か特徴のある人ではなかった。そこそこ勉強ができて、クラブ活動も額

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彼女の嘘

彼女の嘘

 わたしが彼女についての話をすると、その人は笑い出したくなるのを噛み殺しながらそれを聞いていた。それを見て、わたしは内心腹を立てていた。人の話を聞く態度としてそれはいかがなものか。あるいは、わたしの言動になにかおかしなところでもあったのだろうか。それにしても失礼じゃないか。わたしのそういう感情を、相手も読み取ったのだろう。その人は真面目な顔をして謝った。
「ごめんなさい。あなたを馬鹿にしてるわけじ

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その夜

その夜

 その夜は、ぼくら夫婦には子どものできないであろうという事実のつきつけられた夜だった。可能性はゼロではないかもしれないが、限りなくゼロに近い。無限の時間があればもしかしたら、しかしながら、ぼくらの時間は有限である。無限から見ればほんの一瞬である。そう考えると、それはゼロと同義だった。
 結婚したときには、子どもはじきにできるだろうとのんきなぼくらだったが、それが一年、二年、五年とたつと、さすがに妙

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