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ご臨終です

 祖父は厳めしい顔付きをしていたものだし、いつも眉間にしわを寄せ、口をへの字にしていたのもあって、厳格で頑固一徹だなんて思われていたけれど、ぼくのイタズラのレパートリーはほとんど祖父から教えてもらったものであるほど、本当はとてもひょうきんでふざけた人間だった。もしかしたら、長年連れ添った祖母ですら、その本性に気付いていなかったかもしれない。少なくとも、父や母がそれに気付いた様子は最後までなかった。祖父の手口はそれほど巧妙だったのだ。
 一例を挙げれば、祖父は孫によくボケたふりをして慌てさせた。簡単なことだ。誰か孫がやって来ると、他の孫の名前で呼ぶのだ。その孫は慌てて自分の名前を告げて自分が何者かを祖父に教えるのだが、祖父は聞く耳持たず間違えた名前で呼び続ける。そして、孫はその事実、祖父がボケてしまったかもしれないということを、誰か大人に報告すべきか否かで迷ってしまう。結局のところは誰にも言わずに自分の胸にしまっておこう、ということになる。どういう仕組みかわからないが、祖父がそうしむけるのだ。後でみんな揃った席では、祖父がちゃんと自分の名前を呼んでくれるものだから、イタズラをされた孫は胸を撫で下ろすとともに首を傾げることになるのだ。
 ぼくは祖父のボケたふりを一発で見抜いた。
「やるな」とだけ祖父は言った。それからというもの、祖父はぼくのイタズラの師匠となった。ぼくのイタズラで迷惑を被った人は、その責任の一端がぼくの祖父にあることを知っておいてほしい。
 どんなイタズラかって? それは秘密だ。祖父と、ぼくの。
 祖父のもとを訪れるたびに、ぼくのイタズラのレパートリーは着実に増えていったのだが、まさに晴天の霹靂、ある日涙目の母に、祖父が入院し、しかも先が長くなさそうだということを告げられた。
「ウソだ」
 母は何も言わずにぼくを抱き締めた。
 何度か見舞いに行ったが、そのたび祖父は「もう十分生きたさ。思い残すことはない」といった言葉を口にした。
「そんなこと言わないで、おじいちゃん」
 そして、その時はあっけなく訪れた。深夜に電話が鳴った瞬間にそれはわかっていたのかもしれない。鳴り方に何か切迫感があるように思われた。そもそも、緊急の用でなければ深夜に電話を鳴らすことはないだろう。緊急事態が起こりうる可能性の一番高いのはなにか、わかりきったことだ。当然のことのように、電話は祖父の入院している病院からで、すぐに来いとのことだった。
 寝惚け眼で病室へ行くと、様々な管で繋がれた祖父がベッドに横たわっていた。目は閉じられていた。
 ぼくはなぜか祖父の頭に一番近いところに立っていて、他の誰も気付かなかったが、祖父がうっすらと目を開け、何か口を動かしているのに気付いた。
 祖父は「死にとうない、死にとうない、死にとうない」と呟き、また目を閉じた。ぼくは驚いた。それまで祖父が言っていたこととまるで逆のことを言っている。本当は死ぬのが怖いんだ、そう思い、死に瀕した祖父が不憫になった。ぼくの動揺する様子を見たのだろう。祖父はニヤリと笑ったように見えた。
 しばらくして、祖父は息を引き取った。


No.611

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