見出し画像

ぼくはあなたみたいになんてなりたくない

 人間は理解可能なものしか認識できない。その出来事は少年の理解を遥かに越えていたため、その事について彼にあれこれ何か尋ねても要領を得ない返答しか期待できないかもしれない。
 少年の眼前に、銀色に輝く物体が忽然と現れたのだ。それは立方体で、一辺が少年の背丈の倍はあろうか。なんだ、これは?少年が愕然としていると、立方体にみるみるうちに穴が開き、そこから男が出てきた。男が出て来ると、その穴はまた閉じた。何事もなかったかのように。
「よお」男はぶっきらぼうに言った。少年は身動ぎ一つできない。少年のそんな様子を見て男は言った。「挨拶もできないほど礼儀知らずじゃなかったはずだがな」まるで少年を知っているかのようである。少年は自分の記憶を検索したが、こんな男には会ったことがない。断じて、無い。目に生気はなく、猫背で、虚ろな様子をしている。呼吸はすべてがため息と言ってよく、ため息をつくことでどうにか生きているような感じだ。
「誰です、あなたは?」少年は勇気を振り絞って尋ねた。膝が言うことを聞かず、ガタガタ震えている。それも仕方のないことだろう。
「誰かだって?」男は驚いた。なんて自明のことを訊くんだといった風に。「俺はお前だよ。未来のな」
 わけのわからないことを口走る男を前にし、少年は逃げ出すタイミングを探した。当然だろう。どう考えても男の頭はまともとは思えない。
「逃げるなよ」少年の気持ちを察して男は言った。「俺はイカれてなんかない。これはタイムマシンなんだ。俺が発明したんだ」
 男は自分が未来の少年自身であることを証明しようと、少年本人しか知り得ないことを次々上げていった。少年は耳を真っ赤にしながらその一つ一つに頷いた。だいたいにおいて、本人しか知りえないことは赤面するような事柄である。え? 違う? 
 そして、少年は確信した。確かにこの男は未来の自分であると。確信すると次第に興奮が少年の中に沸き上がってきた。
「タイムマシンを作ったんですか!この僕が!」すごい!大発明家に僕はなるんだ!
「ああ」少年の興奮とは対照的に、男はくたびれた感じで答えた。「お前に会うためにな」
「僕に?」
「ああ」
「なんのためにです?」
「忠告をするためさ」
「忠告?」
「忠告をして、未来を変えるんだ。今の俺みたいにならないようにな。俺の人生は後悔ばかりだった。これからその全部をお前に教えていくから、よく聞くんだ」
 少年の興奮が急速に萎んでいく音が聞こえた。風船がしぼんでいくような音が。
「変えたいのは未来じゃなくて、過去でしょう?」少年は俯きながら言った。
「どっちだって同じさ」男は肩をすくめた。
「心配しなくたって平気ですよ」少年は毅然として言った。「ぼくはあなたみたいな後ろ向きな大人になんてなりたくない」
 男は溜め息を吐いた。「俺だってそう思ってたさ。ガキの頃にはね」


No.613

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?