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燃え尽きる世界

 朝のニュースでまたひとつ街が燃え尽きたとキャスターが言った。テレビはつけてあるが、夫は新聞を読んでいる。どちらかにしてほしいものだと毎朝思うのだけれど、それは言わない。
「また街が燃え尽きたって」と、わたしはコーヒーを出しながら夫に言う。
「うん」と、夫は新聞から目を離さずに言う。「聞いてたよ」
「どんどん燃え尽きていってる」
「そうだね」
「この世界は、どうなっちゃうんだろう?」
 どこからその火が燃え始めたのか、一応定説のようなものはあるが、様々なことを言う人が多すぎてなにが正しいのかはわからない。事実として、どこからか燃え始めたその炎は、次々と燃え移り、家を焼き、マンションを燃やし、高層ビルを焼き払い、延焼に延焼を重ね、街を燃やし尽くすに至った。どんな手段を使ってもその炎を消すことはできなかった。それは単なる炎とは一線を画すなにかだった。
 ひとつの街を焼き尽くすと、その炎はアメーバが動くみたいに次の街を目指した。正確に言うと、その炎のアメーバはどんどん大きくなっていっていた。水面に波紋が広がるみたいに。炎のたとえに水を使うなんておかしいかもしれないけれど。
 街は簡単に焼き尽くされ、大都市が燃え尽き、島が、大陸が燃え尽きた。一年たっても、二年たっても、炎はその勢いを弱めない。いつしか、炎に燃える世界は日常になっていた。世界は、燃え尽きようとしていた。ニュースの映像では、炎が建物を次々飲み込み、煙と灰に変えていっている。それは、いつかわたしたちの身にも降りかかることなのだ。このまま、それを消す術を見つけられなければ。そして、それが見つかることはなさそうなのだ。
 夫はため息をつきながら新聞をたたんだ。そして、じっとテレビ画面を見つめる。黒い煙が上がり、炎の赤い舌がチラチラと垣間見える。
「あの建物と一緒に」と、夫は言った。「そこに住む人も燃えてしまうらしいね」
「そうみたいね」わたしは答えた。
 炎が目前に迫ってくれば、誰しもが逃げ出しそうなものなのに、不思議なことに誰ひとりとしてそうしないらしいのだ。建物が燃え尽きるのと一緒に、そこにいる人も燃え尽きてしまう。
「どうして逃げないんだろう?」わたしは呟いた。
「たぶん」と、夫は言った。「それが日常だからさ。そこにいること。そこで暮らすこと、仕事をすること。いつの間にか炎が燃え盛っていることも日常になってしまったものだから、たぶんそのまま燃え尽きてしまうんだろう」
「そんなことって」と、わたしは鼻で笑った。「あると思う?」
 夫は肩をすくめた。「ぼくは仕事に行くよ。日常としての仕事」
「家のローンもあるからね」
「いずれ燃えてしまうのに」と、夫は笑った。わたしも笑った。笑っている自分たちが怖かった。
 炎がわたしたちの日常を飲み込んだとき、わたしはそこから逃げ出すことができるだろうか。できると言う自信は無い。そのまま、その日常の中で、日常になった炎に燃やされてしまうのかもしれない。その炎は、熱くも冷たくも無いのだろう。


No.614

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