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いしつぶて

 人垣が刑場へと続く道沿いにできている。それは果てが見えないほど長い。刑場まではまだ遠い。頭上では灼熱の太陽が燃え、大地を焦がしている。人垣の中にいた彼は、その人の壁の作る道の先、刑場のあるであろう方を見やった。丘の上の刑場は、彼のいる場所からは見ることができない。遠くの人々は陽炎で揺れている。
 人垣には、若者もいれば、年寄りもいる。女もいれば、男もいる。子どもさえいる。あるいは野良犬さえそれを見物に来ているかも知れない。
 周りの人々が口々に呪詛の言葉を吐き始めた。罪人が近づいて来たようだ。誰も彼もが罵倒している。人垣の隙間から罪人の姿が見えた。子どもが石を投げた。罪人は身をすくめた。石は標的をかすめ、力無く地面に落ち転がった。罵倒の声が高くなる。罪人には投げつけられた石を避ける権利さえないのだ。
 罪人の足首には鎖が、手首には荒縄が巻きつけられていて、その荒縄の端を刑吏が引いている。罪人は腰の辺りを覆う布以外には何一つ身につけていない。いや、おびただしい鞭の痕が背中を彩っている。鈍い赤は何かの模様のように見える。罪人の足取りは重い。それはその先に待ち構えているものがそうさせているのかもしれないし、単純に彼の足の自由を奪う足枷のせいかもしれない。彼を待ち構えているもの、死。
 人々は速く歩けと叫ぶ。罪人は答えない。罵声が激しくなる。
 罪人が空を仰ぎ見た。空には雲ひとつ無い。どこまでも青い空だけが続いている。風が吹いて、罪人の長く黒い髪を、繁茂した髭を揺らした。空の高い所を鳥が飛んでいた。見下ろすように。あるいは、地上のことには無関心のように。
 刑吏が縄を引き、罪人に歩くようにうながす。鞭が空気を切る。人々が口汚く罵る。また子どもたちが石を投げる。今度は大人たちも石を拾って投げ始めた。刑吏が何か怒鳴る。石が雨のようになる。しかし、石までもが罪人を忌避するように、まったく当たらない。
 人々は彼にも石を投げろと言う。投げない奴は罪人と同罪だと言う。彼は罪人がどんな種類の罪を犯したのかを知らない。知りたくは思うが、誰に聞いたものかがわからない。もしかしたら誰もそれを知らないかもしれない。
 彼は仕方なく石を拾い上げ、それを罪人に向かって投げた。石が風を切る。空中で緩慢に回転する。青い空を背景に、それは実に優雅に見える。人々が石を見上げる。石は人々を見下ろす。美しい放物線。それは確実に罪人に向かっている。当たる、と彼は思った。そしてそれは見事に命中した。標的のこめかみからは血が流れた。罪人が笑みを浮かべ、何かを呟くのが見えた。
 その時、彼は気付いた。自分の手首に縄がされ、足には足枷がされていることに。人々の自分に対する敵意に。彼はめまいを催し、目を閉じる。目を開くと、すべては幻だったことがわかる。縄も、足枷もない。いまのところは。彼は思った。罪人と自分の距離が思ったほど遠くなく、いや、むしろそれは表裏一体であったことに。彼のこめかみを赤い筋が走った。
 彼は呟いた。「そことここはそんなに離れちゃいない。次はお前らの番さ」そして笑みを浮かべた。人々は彼に罵声を浴びせ、いしつぶての嵐となるだろう。


No.609

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