えんぴつさん

24歳。あまりこだわりすぎずに、書きたくなったときに。

えんぴつさん

24歳。あまりこだわりすぎずに、書きたくなったときに。

最近の記事

痛みのない喪失のために

 誤ってベッドの高さから落としたスマートフォンが動かなくなった。先月のことだ。調べてみると、もう使い始めて三年になるらしい。高校一年生になったときに初代を買い与えられてこれが三代目になる。決めてあったわけでもなかろうに、先代も先々代もちょうど三年くらいの任期で壊れてしまった。どちらの亡骸も今は押入れの奥で一度も取り出されることなく静かに眠っている。今回もそろそろ寿命だったのか、と思った。  学習能力の乏しい私は久しくバックアップをとっていなかったため、機種変更を避けて非正規店

    • 歩調を落として

       近頃の私は歩調が速い。理由ははっきりしていて、歩いている時にはいつも目的地があり、そこに着かなければいけない時刻も決まっているからだ。移動は常に無意味なプロセス、時間の消耗で、できるだけ回避することが望ましいものとして私の生活には存在している。  思えばそんなのは今に始まったことではないのだ。私の生活にはいつからか、常に短期的あるいは長期的な目標が付き纏うようになっている。始まりはいつかと遡れば、中学校に上がって定期考査なるものが私を試すようになり、三年後に高校受験が待ち構

      • ただの無力感

        以前に比べて、感情が溢れてどうしようもなくなってしまうことが増えた。やり場のない思いを誰かに伝えたいのだが、元来他人に相談をするということをあまりしなかった私には適切な相手がいない。 こうなってしまうと手がつけられない。気持ちに因果関係を見つけて無理にでも整理したがる私にとって、正体もはっきりしない激情はストレス以外の何物でもない。 大学院の修士課程を修了することになり、こういう状況だが何もしないのも切ないと研究室の同期数人で小さな日帰り卒業旅行に出掛けたのだが、そこでたま

        • 今もどこかで

          考えがまとまっているわけでもなく、書かなければいけないわけでもないのでこのまま胸にしまっておこうかとも思ったのだが、どうにも思った以上に感動してしまって、外へ出さずにはいられなくなったのでここに書く。 二年前のことだ。大学三年生から四年生にかけて、個別指導塾でアルバイトをしていた。 そこは大学受験をする中高生に教えるという学生にとってはややハードルの高い塾で、二年目になった私はどういうわけか塾長からの信頼がそれなりに厚く、一人の高校三年生の女子生徒を専任で担当していた。

        痛みのない喪失のために

          時代錯誤以前に

          森会長の発言が波紋を呼んでいる。流石にあれはまずかったと私も思う。 こういうことを書くのは少し勇気が要るのだが、目まぐるしく変わっていく世間の潮流に合わせて自分の価値観をアップデートし続ける作業は、特に年齢を重ねてきた人にとっては若者が想像する以上に大変な作業なのだろうと思う。 以前まで通用していた考えに頼ろうとする姿勢自体はそんなに悪いものではないように思うのだ。もちろん、指導者のような立場にある者ならば、過ちがあった時には早急に自覚して修正すべきではあるのだが。 しか

          時代錯誤以前に

          先入観に甘えたくない

          どんな集団でもある程度の人が集まれば、内部で仲の良いグループができてくると思う。やっぱり人にはいろいろな違いがあるから、意識をするしないに関わらず、好感の持てる人とそうでない人が現れてくる。 この辺りに、少し危うさを感じるようになってきた。 自分が高く評価している人は、いつも正しいこと、良いことを言っているような気がしてしまうのだが、よくよく考えてみると「自分の価値観と一致していること」を言っているのに過ぎないような場合も実は多々あって、それは客観的に正しいということとは根

          先入観に甘えたくない

          疑った手で掴んで 大切に信じるしかなかったグライダー

          今日は私にとって重大なイベントがあり、昨夜は不安でよく眠れなかった。これほど緊張したことはここ二、三年では記憶にない。 恐らく私が人生でもっとも緊張したのは、大学受験のときだ。前夜の焦り、会場に向かう電車からの眺め、席についてからのことなど、ここまで子細に思い出せる一日は私の人生にそう多くはない。 何か緊張することがあると、その日のことを思い出す。特に克明に思い出すのは、その日に聴いていた音楽だ。 不安を解消するために何かをするのは、却ってそれを増長させてしまう気がするので

          疑った手で掴んで 大切に信じるしかなかったグライダー

          同じ線の引きかた

          人間は集団になると他人を傷つけることに無自覚になる、と思う。誰もがやっていることならば、悪いことだと内心ではわかっていても、反省せずにできてしまう。 これはやや幼い例えだが、中学校のクラスのLINEで、誰かが明日の宿題に関する質問をする。自分はそれを見て、欲している解答を教えてあげることができると思ったけれど、誰も答えないから名乗り出る勇気がなくて、そのままにしておく。まあ、あまり出しゃばるとクラスでの立場が危うくなってしまうから、静観している方が総合的に見て吉、というよう

          同じ線の引きかた

          また一人忘れていた。

          その人も、悪い人ではなかった。 ただ、自分を客観視するのが少しだけ下手で、期待値を高めすぎて、請け負った仕事に応えきれなくなって、絶望して、ふっと消えてしまった。 上司ともうまくいくと思っていた。始めてからもしばらくの間は、自分がうまくいっていると信じて疑わなかった。ある時、自分がもう期待していたような人間ではなくなっていることに気づいて、尊敬する人たちからも見放されていると思い込んで、足元がぽっかり抜けてしまったんだろう。 僕は、その人のことが嫌いではなかったのだ。 そ

          また一人忘れていた。

          「正義」の旗が強すぎる

          都知事選の投票率の低さが話題になっている。 今回の投票率は55.00%で、前回から少し下がったらしい。仕方ないと割り切ってはいけないのだが、悪天候のせいもあっただろうか。 (出典、https://www.asahi.com/articles/ASN7600FDN75UTIL03N.html) 昨日は、多くの有名人が選挙に行ってきたとツイートをしていた。 私は都民ではないから今回の選挙には参加していないのだが、この間の衆院選の雰囲気からしても、おそらく都内の各所で「選挙行った

          「正義」の旗が強すぎる

          相手の気持ちがわからないけれど

          put myself in one's shoes という英語の表現は、大学受験をした者ならばどこかで目にしたことがあるかもしれない。 直訳すると「自分を誰々の靴に入れる」、意味としては「誰々の立場に立って考える」という感じか。 なんというか、比喩のわりにかなり直感的で、初めて見た瞬間に覚えてしまったような気がする。今でも何かにつけて思い出すのだ。 相手の気持ちを考えなさい、とは、この国で育つ子どもが何度となく聞かされる言葉だと思う。 とはいえ、エスパーではないので相手の気

          相手の気持ちがわからないけれど

          夢を持てるか

          将来の夢は何ですか、と初めて訊かれたのは、確か保育園の頃のことではなかっただろうか。 園児の抱く夢など、多くの場合は文字通り夢物語で、同級生が何と答えていたのか覚えていないが、自分はパン屋ですらなくパンと答えた記憶がある。 この質問は一度答えたらそれでおしまいではなく、人生の中で幾度となく問われ続ける。中学生か高校生くらいになると、君は将来何をやりたいの、と幾分か現実味を帯びた語調になって、実際にその時の返答が眼の前の進路選択を左右するようになる。 そして当時は予想もしていな

          夢を持てるか

          是非も無し

          人生とは苦難の連続で、私の場合はまず十五歳の時に高校受験という苦難があった。周りには十二歳や六歳で受験を迎えたという人もそれなりにいるから驚きだ。 日常に潜む苦難の数は限りないが、目立つものだけを取り出してみても受験、就活、と、まるで若者の希望を打ち砕きたいかのように障壁は連続して襲い掛かってくる。まるで休みがないのだ。 こうした苦難の何が悪いかというと、成否がはっきりしてしまうことだ。もちろんそうでない性質のものもあるが、私たちは時として、残酷にも失敗者の烙印を押されてしま

          復興は明るいばかりではない

          長かった自粛生活が一先ず明けようとしている。 終わりの見えない真っ暗なトンネルを四か月も走り続けて、ようやく前方に光の点が見えてきた、といったところか。 新型コロナウィルスは私たちの生活様式を大きく変えるだろう、と言われている。 惰性で続いていた数々の出勤、会合、移動が本当は必要ではなかったことが浮き彫りになり、これからの働き方、暮らし方はコロナ以前とは違ったものになる。 それを、能動的ではなかったものの間違いなく社会の進歩であると言う人もいる。 本当にそう呼んでいいのだ

          復興は明るいばかりではない