痛みのない喪失のために

 誤ってベッドの高さから落としたスマートフォンが動かなくなった。先月のことだ。調べてみると、もう使い始めて三年になるらしい。高校一年生になったときに初代を買い与えられてこれが三代目になる。決めてあったわけでもなかろうに、先代も先々代もちょうど三年くらいの任期で壊れてしまった。どちらの亡骸も今は押入れの奥で一度も取り出されることなく静かに眠っている。今回もそろそろ寿命だったのか、と思った。
 学習能力の乏しい私は久しくバックアップをとっていなかったため、機種変更を避けて非正規店に修理を依頼した。故障の原因は不明、直ったとしても費用も時間もどのくらいかかるかわからないといわれていたが、蓋(液晶?)を開けてみれば想定の範囲では最も安価なバッテリー交換だけで済んだ。データや機能には何の後遺症も残らなかった。
 電源が入らなくなったとき、私はまずこのまま失われたら困るものは何だろうと考えた。機種変更さえすれば、愛着とか馴染みは別として必要な機能はとりあえず戻ってくる。メールなどgoogleアカウントに紐付けられているものは、パスワードを覚えているから何とかなるだろう。取り返しがつかないのは、写真と、引き継げなかった場合はLINE、それから習慣としてメモ帳のアプリに残し続けてきた、日記のような散文の集まりだった。
 
 先週、私は大学院を修了した。学部から通い続けて六年になるので、これまでの私の所属としては小学校と並んで最長ということになる。小学生のころと比べると、情報の整理能力が格段に高まったし、価値観というか判断基準も身についたから、同じ長さでもより密度が濃いというか、私にとって意味の多い六年間だっただろう。
 そこで六年ぶりに再確認したことは、卒業に伴う別れの重さだった。高校の同級生に関してもそうだったように、特に仲の良かった友達とは今後もしばしば連絡を取るだろうが、それほどでもなくてただ同じ所属で比較的性質が合うからつき合っていた人々、むろん顔を合わせれば友達として盛り上がるし自分の一時代を形成してくれたことは間違いないのだが、それでも今後の生涯で私の意識を掠めることなどはほとんどなく、終生のつき合いとはなり得ない人々とは、もうそれきりで二度と会わなくなる。別に彼らと会えなくなったことを特別寂しく感じる日が来るわけではない。そのことは、このコロナ禍で卒業の前借りでもしたように親友以外とは会わない一年間を平気で過ごした私にはよくわかっている。だからこそ、出席率百パーセントの同窓会のように全員が久しぶりに顔を合わせた卒業式で、今度こそもう二度と会わないであろう人たちがそこにいくらでもいることを、殊更に感じてしまったのだ。
 冷淡に言ってしまえば、もちろんそれは初めからその程度の相性であり運命であったからで、働きながら交際できる友達の数が限られている以上どこかで線を引かなくてはならないのは当然の話だ。しかしこの六年間で、その時その時では友達だと心底から思っていた人々の言動が私の琴線に触れた瞬間は確かに幾度となくあって、それが何故この恣意的なタイミングで一気に断たれなければならないのか、そのことだけはどうしても承服できなかった。この別れは、切実な痛みを伴わないぶん残酷に、私たちの記憶や心から大切なはずのものをもぎ取っていく。失ったことにさえ気づかなければ、弔いの涙を流してやることもできないのだ。

 だから私は、喪失する前のものをその時の姿のままで残しておこうとして、今も文章を書いている。
 感情は血の通ったなまもので、時間によって身体から切り離されて記憶となると変質が始まる。私たちは緩やかな変化には気づきにくいから、それは遠ざかっていくにつれて全く違った感触へとひとりでに変わっていくのに、あたかもずっと自分の身体の一部であったかのように錯覚して抱きしめてしまう。それを美談と履き違えることもあるが、記憶の側からすればそのような自分勝手な扱いはたまったものではないだろう。
 できるだけ公正に生きた感想を模写しておくために、私は言葉と写真を使う。どちらも劣らず雄弁な手段だが、お互いに苦手とする部分があって、それをうまく補ってもらう。その時の私が見たものと、編み出せた文章を通じて、当時の尊いものの尊さそれ自身をいつまでも忘れずにいられるように。
 この習慣を始めたのも私が高校を卒業する頃で、今でも当時の私には深く感謝している。そうであればこそ、今の私は将来の私のために、この習慣を気安く擲つわけにはいかない。
 私は今日も、そしてこれからも、文章と写真の練習、それからバックアップの習慣づけを頑張らなければならないのだ。


※意識はしませんでしたが、書きながら乗代雄介さん『旅する練習』と小川洋子さん『密やかな結晶』を思い出しました。

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