先入観に甘えたくない

どんな集団でもある程度の人が集まれば、内部で仲の良いグループができてくると思う。やっぱり人にはいろいろな違いがあるから、意識をするしないに関わらず、好感の持てる人とそうでない人が現れてくる。
この辺りに、少し危うさを感じるようになってきた。

自分が高く評価している人は、いつも正しいこと、良いことを言っているような気がしてしまうのだが、よくよく考えてみると「自分の価値観と一致していること」を言っているのに過ぎないような場合も実は多々あって、それは客観的に正しいということとは根本的に異なる。
また、もっと怖いのは、「あの人が言っているんだからこれは正しいんだろう」と思考を停止して信じ込んでしまうことで、こうなるともう疑うこともできなくなって、肝心なときに悪い考え方に引きずり込まれてしまうおそれがある。

そしてこれはどうやら反対の場合にも成り立つようで、苦手だと思っている人の意見は、どうも常に間違っているように聞こえてしまう。
ほとんど無意識的に、自分の他者評価は正しいのだと思い込もうとする機能が、私には備わっているのかもしれない。

そもそも私がこのことを考えるようになったきっかけは、気遣いがないと思っていたある知人のことをすごく優しいと評価している人がいたからで、ああ、私が見ていた彼の姿はだいぶ歪んでいたのだ、とその時に気づかされたのだった。
そう思って考えてみると、私のことを優しいとか賢いとか評価してくれる人たちは、何かの時に植え付けられたイメージでそう思い込んでしまっているだけで、現実の私を正しく見てくれてはいないような気がしてくる。
実際に、私が彼らに褒められた記憶は幾らかあるが、批判された記憶などほとんどないのだ。まあ、友人をわざわざ批判することなど、ほとんどないのかもしれないが。

妙なバイアスを持って他人に評価されるのは、なかなか気分の悪いことである。
であるから私も、できるだけ偏見をなくして他人を見るよう努めたい。先入観とは実に良くできた省エネのテクニックだと思うが、やっていることは他者に相当失礼なことであろう。

(話は逸れるが、恋は盲目、という言葉は、このバイアスが最もエスカレートした状態のことを指しているのではないか。)

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