夢を持てるか

将来の夢は何ですか、と初めて訊かれたのは、確か保育園の頃のことではなかっただろうか。
園児の抱く夢など、多くの場合は文字通り夢物語で、同級生が何と答えていたのか覚えていないが、自分はパン屋ですらなくパンと答えた記憶がある。
この質問は一度答えたらそれでおしまいではなく、人生の中で幾度となく問われ続ける。中学生か高校生くらいになると、君は将来何をやりたいの、と幾分か現実味を帯びた語調になって、実際にその時の返答が眼の前の進路選択を左右するようになる。
そして当時は予想もしていなかった事だが、この問いは二十三歳になっても浴びせられ続けるものなのだ。

さて、我が身を振り返ってみて、今までこの質問に何と答えてきたか思い出してみる。
保育園児の頃はパン。小学校の序盤で一度、パン屋と答えた記憶がある。コンセプトは首尾一貫しながらも現実を知ってしまった感じがする。
転機が訪れたのは、確か小学校の五年生の時。私は教室の後ろに掲示される「みんなの自己紹介」といった紙に、将来の夢を「公務員」と書いた。
私は当時、父はかなり平凡な会社勤めをしていると聞いていた。具体的にどんな仕事をしているのか、訊ねると何故かはぐらかされてしまうのでそのうち訊くこともやめてしまったのだが、どうやらそれは単に説明が面倒臭かっただけで、平凡な会社勤めであること自体は間違っていなかったようだ。
そして我が家の暮らし向きはあまり良くない、と母からは聞かされていた。こちらは恐らくあまり事実ではなく、今になって推察するに収入の程度はかなり平均的だったと思われる。少なくとも子ども二人を教育して食うのに困らないだけの経済力はあったのだ。
母は父に対して優位に立つために、不平不満があるということにしておきたかったのだろう。そして私は常々こう言い含められたのである。
「公務員になれば将来は安心だ。少なくとも首を切られることはないから」と。

別に全てをそのせいにするつもりはないし、実際に私の周りには進路選択に慎重な友人が多かったので全体的にそういう風潮だったのだと思うのだが、私はそれから安泰を最優先事項に置くようになった。
もともと数字が好きだったこともあるが、高校では就職に強いと言われる理系を選び、大学では理学部に進むと食っていけないという流行り文句を真に受けて工学部に入った。
その後大学院にまで進むことにしたのも、多数派についていくことにしたというのが正直なところだ。
そして幸せなことに、その頃まで、自分の進路選択に疑いを持ったことなどなかったのである。

大学院というと、大学で遊び呆けていた連中が社会に出るまでの猶予を延長するための期間、と捉えられることが多々あるのだが、あまりそのイメージは正しくないように思う。
先輩を見ても同級生を見ても、精神的な苦痛から休学や退学を選ぶ者が少なくない。事実、私としても、もしかすると今がこれまでの生涯で最も辛い期間かもしれない。
昨年、一人の友人が大学院進学と同時に休学し、就職活動を開始した。彼は首尾よく半年で内定を獲得し、三月いっぱいで退学して私よりも一年早く働き始めている。
化学を専攻していた彼だが、就職先はゲーム業界に絞っていた。もともとゲームが好きで、趣味を仕事に繋げることを選んだのだ。

私の方は六月一日を以て、内々定を頂いていた会社から正式に内定を受けた。
大学での専攻と直結する業界の会社だった。公務員とはならなかったものの、OBなどの噂によれば首を切られる心配はほとんどいらないという。

そして先日、たまたま小学校の卒業文集を見つけた。うっすら記憶には残っていたものの、私のページを開いてみると、将来の夢の欄には「小説家」と書かれていた。

中学、高校、大学での生活を振り返り、若者が夢を持つのが難しいような時代になってはいないか、と思う。
繰り返し問われる「将来の夢は何か?」という質問は、むしろ徐々に少年に現実を見せつけていくのかもしれない。
公務員と答えた十一歳から理系を選んだ十五歳までのわずかな間だけが、私が自分に正直に向き合えた期間だっただろうか。
いずれにせよ、今から内定を辞退してもう一度夢に向き合うだけの勇気を私は持っていない。
しかし、まだまだ人生は長い。やり直しは効くどころか、実はほとんど始まってすらいないのかもしれない。
私は明日からの一歩目を、昔の刹那の夢をしっかりと胸に刻んで歩み出していく。

※一部フィクションを交えています。

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