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お看取りを控えた夜

うちの診療所では、24時間体制で自宅療養中の患者さんからの電話を受け、必要に応じて往診している。
夜は当番の医師がかわりばんこで夜間用の電話を自宅へ持ち帰り、呼ばれたら出動する、いわゆる「オンコール」体制をとっている。
当番の夜はいつ呼び出されても良いように心の準備が必要で、身体は自宅にあっても心はどこか落ち着かない。
お看取りが近い患者さんがいると、リラックスはできないなとあきらめる。

最近は癌の末期の患者さんを自宅で看取ることが増えた。
つい数か月前まで元気だったであろう彼らがみるみる衰弱し、ベッドに臥せっていく。
診ているのは当然辛いし、何とか最期だけでも苦しまずに過ごしてほしいと投薬などには細心の注意を払う。

とある夏の晩。
今晩も一人、旅立ちが近い人がいる。
「立つ鳥後を濁さず」という言葉がぴったりくるくらい生前整理を完璧に済ませ、訪問する私に「もうやりたいことはやった、会いたい人にも会った。食べたいものも食べたので、後はゆっくり過ごしたい。」と清々しい笑顔で話してくれた。
良い生き方をしてきた人は、逝き方も美しい。看取る側も背筋が伸びる。

辛くても気遣いを忘れなかったあの人は闘病を終え、今頃自宅で家族に見守られながら意識が少しずつ薄れ、あの世へ旅立つ準備を始めている。
あの世に逝く覚悟がどんなにできていても、いざその瞬間になるとこの世への名残惜しさを感じるんじゃないのかな。
どうか、苦しまず穏やかに最期を迎えられますように。
本人・家族にとって悔いのない最期でありますように。
自宅から祈りつつ、その時を待つ。

この世を去った人たちに直接話を聞くことはできない。
最期は本当に苦しくなかったか。
不安でおしつぶされそうじゃなかったか。
この世への未練を捨て、ちゃんとこの世とお別れできたのか。
聞けるものなら聞いてみたい。
そうすれば、推測でなくもっと確信を持って、最期が近い患者さんや家族を安心させることができる。

東京の夜空。明朝は雨予報。

大都会の東京は夜も明るい。
この夜空の下で、今晩どれだけの人があの世に旅立つんだろうか。
ひとり旅立つあの人が、寂しくないといいな。
東京の夜景が照らす雲が、夜空をゆっくり流れていく。
雲を眺めながら、寝られない夜を過ごす。


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