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寺巡りのきっかけ:医師の大先輩、薬師如来への問い

私が医師になりたての頃、神経内科医を目指して正しい診断・治療方法を学び習得することに必死だった。筋委縮性側索硬化症(ALS)やパーキンソン病などの神経難病や脳卒中の患者さんを相手に病棟を走り回っていた。
神経疾患の多くは治療法が確立しておらず、最終的に寝たきりとなり命を終える。不治の病と診断する側も気が重く、診断するからには最後まで責任を持ちたいと考えていた。
病院で診ていると、彼ら全員が病院で最期を迎えるわけでなく、通院が途絶え経過が追えなくなることも多い。医師10年目を超えた頃、私は病院に来られなくなった彼らの方が気になりだした。

そんなわけで、彼らができるだけ最後まで自宅で過ごせるようお手伝いがしたいと、約10年前に今の診療所に移った。
徐々に衰弱しこの世を去っていく患者さんたち。リハビリ以外に治療のすべのない彼らに医師はどう声をかけ、どういう顔で接したら良いんだろうか。日々彼らを診ているうちに、私は心の持ちようがわからなくなっていった。
周囲の医師からも明確なアドバイスはなく、悶々と毎日を過ごしていた。

日本で今の医師制度ができたのは明治時代。医師の起源とされる「薬師(くすし)」と呼ばれる和漢薬の専門家が現れたのも16世紀頃と歴史は浅い。
そのずっと前、少なくとも1400年以上前から「医薬の仏」として信仰されてきたのが薬師如来だった。

薬師如来像@薬師寺東京別院

薬師如来は正しくは「薬師瑠璃光如来」と呼ばれ、人々の病苦を救う仏とされている。
飛鳥時代に聖徳太子が父の病気平癒を願って薬師像を作ったり、白鳳・奈良時代には薬師寺が創建されたりなど信仰は昔から、長期にわたり続いたという。
その姿は「心配するな、安心せよ」と諭すかのように右手をあげ、左手に薬壷を持っていることが多い。

現代医学がなかった昔は、民衆は災害や疫病などで理不尽に命や健康を奪われ、若くして命を終えていた。
今のようにモノも情報もない時代。人々はなすすべもなく藁にもすがる思いで、死にたくない、助けてほしい、癒されたいと遠くから寺院を訪れ、薬師如来像を必死に拝んでいただろうと想像する。

昔の人々を癒してきた薬師如来さま。生老病死で悩む人々の心をどう救ってきたのか、その姿や表情に一体どんな力があるのか。私はとても気になり、いつしか薬師如来像をご本尊とする寺を中心に巡るようになった。
夏休みに何度か奈良の薬師寺に出向き、大きな薬師如来像を見上げ、眼力でもあるのか、オーラは出てるのか、などと色んな角度から見てみた。
薬師如来像はうっすら目を開け一見無表情だが、こちらの気分次第で微笑んでいるようにも悲しそうにも見える。
全国あちこち薬師如来像を見て回ったが、お姿は朽ちた木像からきらびやかな像まで、表情も様々だった。

薬師寺の御朱印。堂々として美しい筆文字。

寺を巡り、今のところ「生老病死で苦しむ患者さんにどう向き合ったらよいか」に対する明確な答えはまだ出ていない。
ただ、私自身が薬師如来さまから確実に心の安らぎを得ている。
毎回薬師如来さまに手を合わせ「私は今のままで良いのでしょうか。これからも医師として道を踏み外さないよう見守っていてくださいね。」と心の中で話しかける。あつかましくも勝手に「医師として頼もしい先輩」として心のよりどころにしている。
これからも旅行先で薬師如来さまを見つけたら、訪れようと思っている。

大昔の病人は、さぞ不安で孤独だっただろう。
そんな中「悩める自分の思いを聞き、心癒してくれる存在」がいることに安心できたのかな。
一人ぼっちにさせず「治癒を信じ、一緒に戦ってくれる存在」として昔の人々に慕われていたのかな。
今の医師も同様に「悩み苦しむ人に寄り添い、少しでも安心してもらえる存在」でいるべきなのでは、と私なりに考えている。

寺を巡っていればこんなかわいい出会いもある@2013年京都金福寺

寺巡りする人の目的は人それぞれ。
私は歴史や仏像のうんちくにはあまり興味がなく、「医師として仏様に問う」ことと「きれいな庭園で静かに過ごせる」ことが目的だ。
他人にはあまり共感してもらえそうにないテーマだが、それも個性。目的は何だって、楽しめたらそれでよいと思っている。

最後に薬師如来さまのご真言。
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ