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今日は沖縄「慰霊の日」。戦後78年、「新たな戦前」の岐路に立つ沖縄。

6/23。今日は沖縄「慰霊の日」。

私たちは今日、太平洋戦争末期の沖縄戦犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えます。

太平洋戦争末期の1945年3月末、米軍が慶良間諸島に上陸し、3ヶ月にわたる激しい地上戦が始まりました。
4月1日に沖縄本島西岸に米軍が上陸。
首里に司令部を置いた日本軍の第32軍は多くの住民が避難する本島南部に退きました。
そのため軍と住民が混在する中で艦砲射撃など米軍から激しい攻撃を受け、住民と軍人の区別なく日米合わせて約20万人が亡くなりました。
県民もなんと4人に1人、約12万人が犠牲になりました。


本島南部の摩文仁へ撤退した第32軍の牛島満司令官が自決し、組織的戦闘が終わった6月23日を沖縄県は「慰霊の日」と定め、毎年首相らを招いて戦没者追悼式を開いています。


戦争による沖縄の犠牲者は多岐にわたります。
日本政府はお年寄りや子ども、女性を沖縄から本土に8万人、台湾に2万人疎開させようとしました。
米軍の上陸が迫るなか、軍の食糧確保が目的でした。

1944年8月には九州へ向かう学童疎開船「対馬丸」が米軍に撃沈されました。
対馬丸には1788人が乗船しており、学童784人を含む1484人が亡くなりました。

近海ではすでに多くの船が沈められていたのです。

また、石垣島などの八重山諸島では、旧日本軍の命令で山間部に強制疎開させられた多くの住民がマラリアによって亡くなりました。
「戦争マラリア」と呼ばれています。

八重山平和記念館(沖縄県石垣市)によると、八重山諸島で戦争マラリアにより亡くなった方は3600人超にのぼります。

1945年4月には、軍の命令で波照間島民が「マラリアの地」と呼ばれた西表島に疎開させられました。
多くの住民がマラリアに感染し、最終的には島の住人1590人の99.8%が罹患、477人が亡くなりました。

本島南部の戦闘では軍が住民を避難壕から追い出すということもありました。
「戦争では軍は住民を守らない。」ことが沖縄では頻発しました。

 
沖縄は戦争中、本土攻撃までの時間稼ぎのために「捨て石」として使われました。
戦後も米軍の統治下に長く置かれ、本土復帰後は日米安保条約により多数の米軍基地が置かれています。


そして、現在。
「台湾有事」を想定して、南西諸島の軍事要塞化が進んでいます。
再び沖縄が最前線となっている状態に。

離島で戦争になれば、住民の避難が困難なのは先の大戦で証明済みです。
県の図上訓練でも、約12万人を避難させるのに、航空機と船舶の調達が最大行われて最短6日かかります。

事前に住民を避難させることなどは不可能です。
戦争が起これば再び住民が犠牲になります。

戦争を起こさせないこと、戦争に巻き込まれないことを最優先にすべきです。
沖縄の悲劇を二度と繰り返さないことが平和につながると思います。



執筆者、ゆこりん

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