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マルコムXのメッセージ。変わりゆくアメリカ社会!

「白人は悪魔」「憎悪が生んだ憎悪」。
マルコムXといえば、この2つのフレーズではないのでしょうか?!
マルコムXは、アメリカ国旗について、6本の白線は白人支配の6000年、青は人を欺く色の象徴と言及していました。
星条旗=白人の体制・価値観=奴隷制の支持、と考えていたのです。

マルコムXは、アメリカでどのような活動をしていったのか!


政治からは距離をおくスタンスをとっていたネイションオブイスラムですが、マルコムは次第に当時の政治を批判するような演説をしていきます。


「問題の根源と葛藤の舞台はワシントンDCである。
そこでは現代の『ファラオの魔術師』が見事な劇を演じている。
互いに対立しているふりをしていわゆるニグロの大半をだましている。」


「アメリカの黒人は白人の家に無理矢理入ろうとし続ける限り、白人と平等になることはない。
ニグロの政治的、宗教的指導者は『白人の操り人形』『アンクルトム』でしかない」


「NOI(ネイション・オブ・イスラム)は仕事がなく、貧乏で、怒った黒人を代表している。
都会に暮らす黒人の大多数はゲットーから出ることができず、そこでは警察による残虐行為を免れない。」


「ニグロは投票権を奪われているにもかかわらず、本来あるべきよりも少ないニグロの票が大統領選挙をはじめとするこの国のすべての選挙の結果を左右している
。本来の投票力を持っていたらニグロの役割と立場はどれほどのものになるだろうか?」


マルコムはニューヨーク市警察も公然と批判していました。
「ハーレムはすでに爆発寸前である。」と警告していました。


1950年から60年にかけて公民権運動が発展するにつれて、社会も大きく変わっていきます。

1954年ブラウン事件最高裁判決 学校教育について「分離すれども平等」は違憲となります。

南部では有権者登録をする黒人の数が急増します。

1955年にはキング牧師が率いるアラバマ州モンゴメリーでバスボイコット運動。

1960年には連邦最高裁がアラバマ州タスキーギの人種別の選挙区割りを違法と判断しました。

1960年 連邦最高裁は州際交通機関のターミナルでの人種隔離を違法としました。
これを受けて人種隔離廃止運動家たちが深南部行きのバスに乗り込むフリーダムライド運動を始めます。



新世代のアフリカ系アメリカ人の指導者たちが、積極的に経済的ボイコット、市民的不服従街頭デモなどの抗議活動や政治活動を繰り広げるようになります。
選挙に立候補し法案を作る側にまわろうとする活動家も増えました。


国際的にはキューバ革命も大きな影響を与えました。


当時最も世間的に物議を醸したのは1959年の「憎悪が生んだ憎悪」というテレビ番組です。
この番組でNOIは白人への憎悪を説く「黒人の人種差別主義者」「黒人のファシスト」のように言われました。
マルコム自身は「憎悪のゴスペル」を説教していると言われました🥺


しかし、この番組により、NOIの知名度は急上昇。
歴史的に集積された黒人のいらだちと憎悪が、50年代のマルコムXによってみごとに体現されていたのです。


1960年には相当数の黒人票に支えられてジョン・F・ケネディ大統領が勝利しました。

政治に関わろうとしないNOIは、信者の自由を制限している外部の状況を変えるすべを持っていませんでした。
その限界がマルコムにも見えてきました。
マルコム自身は直接的な政治行動が必要であることを認めていきました。

1961年から62年にかけて、マルコムは、ハーレムで労働運動団体を中心に広範な活動家からなる黒人統一戦線に参加します。
もはや、日々苦しんでいる黒人たちを助け、制度化した人種差別に立ち向かうためには、NOI以外の黒人指導者たちとも協力することが不可欠となったのです。

そして、NOIとの溝は決定的なものとなっていきました……

 

執筆者、ゆこりん、ハイサイ・オ・ジサン

参考文献

「マルコムX―人権への闘い」 荒このみ著  岩波新書

「マルコムX―伝説を超えた生涯」マニング・マラブル著

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