見出し画像

行きすぎた相対主義に対抗するには?本紹介「ナチスは良いこともしたのか」

話題の本「ナチスは良いこともしたのか」を読みました。



そして先日、著者の一人である田野大輔先生の講演会を聴いてきました!

講演会の内容を紹介します。

Q1そもそもこの本を執筆しようとした動機は何でしょうか?


発端は、小論文を教える予備校の講師のツイートを読んだことです。

そのツイートは、指導する女子学生が「ヒトラーのファンでナチスの政策を徹底的に肯定した内容」の小論文を提出したが、「文体が完璧」で添削に困ったというものでした。

それに対して田野先生が「30年くらいナチスを研究してるけどナチスの政策で肯定できるとこないっすよ」とツイートしたところ膨大な批判が寄せられて炎上。

返信の中で非常に多かったのが、ナチスの「良い政策」として失業対策の成功、アウトバーンの建設、フォルクスワーゲンの開発、歓喜力行団の旅行事業などの「反例」をかかげた意見で、「30年も研究していてそんなことも知らないのか」というような嘲笑的なコメントもありました。

もちろんナチズム研究者の田野先生がそれらの事業のことを知らないはずがなく、ナチスの個々の政策を詳細に検討した上でナチスの政策で肯定できるものはないというのが信頼できるナチス研究者の考えであると主張したわけです。

そこで、ネットなどで「ナチスは良いことをした」という意見があまりに多いのを受け、本当に「ナチスが良いことをした」のか研究者の立場からナチスの政策を検証したのがこの本です。


Q2ナチスは良いこともしたのでしょうか?

「ナチスが良いことをした」代表例としてあげられる
①経済政策(失業者の減少、アウトバーンの建設)
②労働政策(労働者向け福利厚生制度の充実、フォルクスワーゲンなどの国民車構想、ラジオの配布)
③家族支援政策(母の日の制定、出産奨励策)④環境政策(森林保護、動物愛護)
⑤健康政策(禁酒、禁煙、ガン撲滅)について、検討します。


そのときの視点は、
①その政策がナチスのオリジナルの政策だったのか(歴史的経緯)

②その政策がナチ体制においてどのような目的をもっていたのか(歴史的文脈)

③その政策が「肯定的」な結果を生んだのか(歴史的結果)の3つです。

そして検討した結果、すべての政策はナチスのオリジナルではなく、ナチス以前から取り組まれていたもので、肯定的な結果を生んでいないということです。

また、その目的のほとんどが「民族共同体」を守るためのもので「人種的に価値の高いドイツ人」に対しては様々な福利政策などの優遇策を約束する一方で、劣等民族に位置づけられたユダヤ人やロマ、障害者や同性愛者、売春婦やアルコール依存者、労働忌避者などは社会に害を与えるものとして排除され抹殺されました。



Q3なぜナチスは良いこともしたと言いたがるのでしょうか?

それはポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)への反発です。

田野先生の考えでは、彼らはむしろナチスの悪行を繰り返し教えられてきたからこそ、それを否認しようという欲求に突き動かされているようです。
多くの人々が学校を通じて押しつけられるヒトラー=「悪の権化」という「教科書的」な見方に不満を抱き、「ナチスは良いこともした」といった「斬新な」主張に魅力を感じているのです。

これらの人々は、ナチズムが実際にどんな体制であったかについては無関心であることが多く、過去の研究の積み重ねから謙虚に学んでそれを批判的に乗り越えていく姿勢はほとんど見られません。
一般に出回っている不正確な情報や怪しげなデマの類でさえ、「教科書的」な見方を否定するものであればいともたやすく「真実」だと見なしてしまいます。

「過去」について自由に発言したい、自分たちこそ「真実」を知っているそういう感情が先にあるために、教育やメディア、研究などによって正確な知識が伝えられれば伝えられるほど、ますます反発を強めて「逃げ道」を探すようになるのです。

この「ナチスは良いこともしたのか」という岩波ブックレットの本についても、発刊後、膨大な数の批判が殺到し、多くの人がタイトルだけを見て中身を読まず反発してきました。


Whataboutism(そっちこそどうなんだ)論

「共産主義国だって残虐行為をしたではないか」「マルクス主義の蛮行はどうなる」と他の人権弾圧を持ち出して「悪の相殺」をはかろうとするのです。
田野先生に寄せられた批判の中には、中国の人権問題を持ち出してダブルスタンダードだと主張するものがありました。

中国がいかにひどい弾圧を行っているからといってナチスの悪行が免罪されるわけではなく、両者はあくまで別個の問題です。



悪の相対主義

「物事には善悪両面がある」といった物事にはつねに良い面と悪い面があるのだから探せばいい面があったのではないかと考えてしまう「相対主義」の罠にはまってしまうのです。

「100%の悪=絶対悪などない」「一から十まで悪いことばかりしたはずがない」という一見「中立で客観的」な「是々非々」の姿勢をとらんがために、アウトバーンやフィルクスワーゲンなどの「反例」を挙げるのですが、こうした人々が挙げる「反例」は事実認識として間違っているか歴史的文脈への理解が不十分なものがほとんどです。

これらの人々は確信的な歴史修正主義者とは異なり「ガズ室はなかった」とするホロコースト否定やヒトラー讃美の意図は希薄です。
むしろナチスを「絶対悪」とする「ポリコレ」的な価値観に対してカウンターバランスをとるための「逆張り」の言動です。

ナチス=悪を相対化することでいまだに「ポリコレ」的な価値観にとらわれている「左翼」に対して優位に立とうとする自分たちこそ党派性にとらわれずに「客観的」に歴史を見ているのだという自意識のあらわれですが、これが「悪の相対化」につながる「俗説」を蔓延させているのです。


Q4「相対主義」に対してどのように対抗していけばいいのでしょうか?

ナチスの免罪につながる不正帷な情報の氾濫を食い止めるためには専門知識をもつ研究者によるチェックが欠かせません。
しかし、専門知識が軽視される昨今の状況においては、専門家による啓蒙活動は「上から目線」と反発を受けやすく限界があります。
しっかりした知識を持つ第三者の数を増やすことが、歴史修正主義的な風潮に対する社会の免疫を強化することにつながります。

歴史的事実をめぐる問題は〈事実〉〈解釈〉〈意見〉の3層に分けて検討できます。
〈解釈〉=歴史研究の蓄積を無視して、〈事実〉のレベルから〈意見〉の層へと飛躍してしまうと、「全体像」や文脈が見えないまま、個別の事象について誤った判断を下す結果となることが多いのです。
「トンネル視線」=自分にとって都合の良いところだけを照らし出しそれ以外が見えなくなっている状態に陥ってしまわないように、歴史学が築き上げてきた妥当性の高い〈解釈〉を広く一般に周知する必要があります。



執筆者、ゆこりん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?