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吉穂みらいの「駐妻記」の読書は、初めての体感を私にさせた。

感想を書いても良いですか。と言ってしまったのは、まだ読む前の10日前くらいの話しだ。
言ってしまったと書いたのはこの書籍を読みながら感じた事だ。

私は、単純な好奇心からフォローしている好きな文章を書く方が、電子書籍を出版した事をその記事を通して知った。

こういう風に、繋がった方の書籍を読んでみたいと思う気持ちは今まで、なかなか起きなかった。

その繋がりから感想を書く、伝えるというのはなかなか難しい。私は、彼女と繋がりを持ったが彼女を実際知っているワケではない。何時ものように思う事をそのまま書くのとも違う気がする。

お互いに繋がっているから、どこかでその「人」を想像してしまうからだ。

身近にいる遠い存在に対して、なぜだか親近感が湧くのも不思議な気持ちだ。そして言ってしまったからには、嘘は書けない。だからこそ真摯に書こうと考えながら読み進めた。

吉穂みらいの駐妻記は、その時間に生きている。

私は、繋がりを持った彼女の人生のページを想像しながら読む経験が楽しかった。なかなか味わえない読書体験だった。

彼女が記憶し、記録したことは10年以上を経過しても生きている。それは、その期間が精一杯、一生懸命だった証からだと思う。

必死に生きる事は鮮明にその時の空間を甦らせる。匂いや、空気感までもだ。本人は、記憶が曖昧と思っているかも知れないが描いている文体やその時の思想は読者にきちんと伝わる。

ここに書いてある生活やタイという国の事、生き方、信仰による思想、便利さ不便さ、楽しいこと、苦しいことその家族のことは五年あまりの異国生活を知らない私でも、想像出来るくらい詳しく書いてある。

これは、その時を怠惰に生きていたら書けない。

ああ、やっぱりどこかで心は緊張の連続だったのだろうなと思える。普段は忘れていても書こうとした時にここまで書けるのはそういう事だと思う。

私は、現在の自分の1日の事でも鮮明に書けない。

彼女が過ごしていた時期の何年間でも、物凄くタイという国全体が変化していっていたのが伝わる。

表現に、時間の経過による事象や事情の変化がいっぱい書いてあるからだ。

読んでいる私は楽しいが、変化を体感しながら暮らしている人は大変だったろうなぁと思う。

彼女自身も心身の事について触れているが、そのなかで占いや非科学的な事が必要だと思えたという記述を読み、すごく納得出来た。

「占いなんて」と笑う人もいるかもしれないが、差し迫った状況に置かれて、そういった職業の方がいてくれるだけで「生きる」ほうに天秤が傾く人もいると思う。私はタイに行ってから、占いやヒーリングを非科学的なことだと笑ったりすることはできなくなった。人が救われるのに、科学的であればよいというものではない、と思うようになった。

吉穂みらい 「駐妻記」より

あったかい人なのだろうなと思った。

それと彼女は、時系列には沿っていない。時代背景も具体的な名称もない。とエピローグで書いているが、私はこの書籍を読み、間違いなく熱帯の国に季節や時間の流れを感じた。それは彼女が感じた事を素直に書いたからだと思う。

彼女が書きたかったと言っているエピソードは、それそのものがまだ熱を感じる。残して正しい事だと伝えたい。書いてくれて良かったと伝えたい。

感想は、忖度するものでも、ありのまま書くものでもない。私は私の表現で書いている。

私はあまりnoteでは、コメントしないし交流も少ない。あえてそうしているワケでもないが、交流を気にしていない自分がいるのも確かだ。

好きに自分の表現を追おうと考えているから。

それでも、交流を持とうとしてくれる人達に本当に感謝している。吉穂みらいこと、みらっちさんが昨年末にコメントをくれた時は素直に嬉しかった。

自分の記事が、まともに読まれていたと知れたからだ。

私は、嬉しかった事はなるべくその人に返すチャンスがあるなら返そうと思っている。

書籍にしたという記念は、しっかり読むということでお返しとさせていただきたい。良い時間でした。ありがとうございました。

最後になりましたが、これが、感想なのか手紙なのか自分でもわかりません。でもこういう形が一番自分らしいと私は思っています。

そして言いづらいのですが、ここまで書いてあれなのですが、もしこれ全て忖度だったらすみません🤣

なんのはなしですか

 楽しくて、不思議な時間でした。

吉穂みらいの駐妻記は、その時間に生きている。

大事な事は、2回言うと良いらしい。



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