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通り名と日々の物語。文学とランニングの不安定

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#牧野信一
#梶井基次郎
#日本文学全集

谷崎潤一郎から始まった私の作家の旅は、枝葉に別れて太い幹をなすのだろうか。

朝目が覚めて、覚醒する合間にゆっくりと私の筋肉の在り方と自己愛について愛でながら考えている。

自分で自分を愛でないと誰も愛でなくなってきている現実に向き合えないからだ。素直に老いる事より、より緩やかな曲線で少しでもゆっくりとを願って筋トレに励む。三島由紀夫と同じ気持ちかも知れない。

だといいな。と考える。

宇野浩二が書いた牧野信一をモデルにした物語から、牧野信一を知りたくなった。39歳で縊死している。

作家と死というものは、離れられない。
それを是としてはいけないのに。
その事について書くのは、やめておく。


牧野信一の精神不安定さは、彼の書く短編の私小説からかなり見てとれる。全集を読んだので、作風が変わっていく様を追えた。とりわけ私にとっての衝撃は、彼の中期に於ける浪漫的幻想小説が響いた。

これは、パロディの走りである。

ユニークに描く物語は、古代ギリシャや、ヨーロッパの古典から題材を借り、自分の時代にフィードバックさせていく手法。壮大なコメディ映画を鑑賞している気分になるのだ。どんどん揺れ動く主人公の心境。ドタバタ。時代背景からのギャップ。とても面白い。

この中期の傑作集から「ギリシャ牧野」と呼ばれるようになった。

私も何か呼ばれたい。通り名みたいなものに憧れる。

このまま「肖像画コニシ」で終わりたくない。

※人前で喋れぬ事からそう呼ばれている※

私は、物語を読んで愛でた筋肉を感じながらランニングをする準備をした。

アスファルトを蹴り出すと痛む膝。

わかっているのに、止められない自分。
それ以上走るともっと痛くなるよ。
膝曲がらないよって知っているのに、
やっぱり走ってしまう。

ある種の物語の中にいる自分は、膝が痛いのは、どこかでこれは壮大なフリで、なにかしらの面白い事が起こるのではないだろうかとニヤニヤしてしまう。

何も起こらないが。

梶井基次郎。31歳で肺結核により没。
病気と付き合って書いていたのであろう作品達は、どこか陰を帯びて惹き付けられる。

とりわけ、檸檬に於ける心境は、自己の不安定を何かワクワクに取り替える。イケナイ事をしたっていう恍惚感に溢れていた。

私は、ランニングをしながら小さい頃の事を思い出していた。

それは、友人の誕生日パーティーに呼ばれた事だ。ビデオカメラによる撮影を家でしているのは、当時の時代ではなかなか難しい時代だった。

私は、自分がテレビ画面に映る嬉しさに高揚していた。皆が外に遊びに行き、私は1人の友人に部屋に戻る合図をした。

私は、友人にビデオを録画するように伝えた。

友人の誕生日ケーキのイチゴを他のイチゴにすり替えるという意味わからないチャレンジを録画した。

私と友人は、入れ替わるイチゴにとんでもない大犯罪をしている気分になり、笑いが止まらなかった。

その一部始終を録画しといて、自分達で見た興奮は、コマ送りになって鮮明に覚えている。

気分の高揚や恍惚感、どこか背いてる背徳感。
人間の感情の起伏とは文字で表現出来る事を改めて知った。

そして日々物語の中にいることを自覚すべきだ。

私は、ランニングをしながらタイムを計測するのを止めた。

いつもと違う道。違う方向。どこか自分に背くように走る。痛くなる膝。上がる息遣い。

撮れた一枚は、悪くないなと思った。

これがいつかのランニングの記憶

このタイム 見せびらかして 膝壊れ
木ノ子川柳

なんのはなしですか

だったらいいなとか考える文学中年。








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