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創作大賞感想 青豆ノノにより読まない恋愛小説で、恋愛にのめり込んでしまった。

青豆ノノさんが創作大賞に小説をエントリーすると知ってからワクワクしていた。私は必ず感想を書くと決めていた。なぜならば、私が感想を書かないのなら、それは青豆ノノ推しの辞退宣言を意味するからだ。私は彼女の表現をずっと追いかけている。全てを読んでいるワケではないが、ずっと追いかけている。駄菓子菓子、全く追いかけてはもらっていない。一方的な追いかけだ。世の中とはそういうものだから面白い。

私は、彼女の思想や物の捉え方が知りたくなって追っている。私が初めて彼女の作品を読んだ時に感じた違和感は、完全にその作家が見えない作品の気がしたからだ。話の筋は理解出来るのに作家本人が完全に消えている。それは物語を書くうえでは当たり前のことなのだが、何となくどういう人間なのかは分かる。それが掴めない。本人の気配を感じない気がして、人間味を感じなかった。この掴めない感覚を知りたくて追いかけ始めた。

感覚が繊細で、物凄く鋭利に尖っているのに、絶対に折れない図太さみたいなものをすごく感じる。表には出さないけれど表現で戦いに来て勝負して、作品の多くは語らない。

私は今回の応募を心から楽しみにしていた。だから、彼女の作品を読めることを存分に楽しもうと決めた。関連するものや、全話に感想を書こうと決めた。駄菓子菓子、これが回を追うに連れ自分がどんどん物語の恋愛にのめり込んでしまうという変化をさせられた。そして恋愛小説は、のめり込むと百倍楽しくなるということを青豆ノノから教えて貰うことになる。これは、42歳の私が青豆ノノ推しに夢中になっていると思っていたら、完全に物語の恋愛にハマってしまったという、創作大賞感想ドキュメンタリーである。

彼女は今回の創作大賞の前段に、物語の舞台になる吉祥寺の情報を提供してきた。本気を感じる。本気で伝えようとしていると思った。彼女自身も、この街に思い入れがあるみたいだ。だが、私にはこの街に思い入れがない。なぜだ。それが悔しい。この手法は読み手のことを考えて読む前に少しでも分かりやすく無駄な雑念を入れさせないためだろう。

〝推し活・恋・友情〟の物語です。と舞台の吉祥寺の説明から小説のあらすじを説明した。私がまったく読まない分野だ。大丈夫だろうかと不安になった。読む前に、青豆ノノの好きなところを書いておく、エンターテイメントにも長けていて、純文学と思わせるような、人の内面を抉る表現を使いながら独自の世界を最初から持っている作家だと思っている。要するに普通ではない。色んな方向に振り切っていると思っている。「大丈夫だいっぱい青豆ノノを読んできただろ。私も青豆ノノ推しだろ進め」と言い聞かした。

一話が始まった。ソウアイとは、相愛なのだろうか。「推し」と他のファンが知らぬ中で個人的に繋がっているということは、本人にとって本当に幸せなことなのだろうか。急なライブ中止による普通の推し活女子郁美の感情は当たり前のようだとも感じるが、文句を言ったように聞こえた郁美に対して独り言だった、と思う。何に対して言ったのかも定かではない。だから、聞かなかったことにしよう。という主人公の流香の心情とこの表現に、完全に自分の世界を持っている流香の「ファンとしての中心的な盲目」と、すでに「推しに対する絶対的な尊さ」みたいなものを感じる。

流香にはもう一人の自分が心の中にいるから、現実に対してある程度無関心にシビアに向かい合うことが出来ることを知る。その自分の中のもう一人「ルナ」との会話で「どうしてわたしの知らない言葉を知ってるんだろう」と「ルナ」に問い掛ける。その答えはない。青豆ノノが始まってきた気がする。

どうやら、ルナはスイッチなく流香と入れ替われるらしい。本当に一つのカラダに同居している感じだ。会社の先輩が好きだから会話したいと急に表に出てきた。これを文章で描くのは相当難しく感じる。バンドマネージャーの華と流香は昔からの知り合いで、彼女から推しのバンドCALETTeを知ることになったと明かされた。掴みなのか、ミステリーみたいな香りもしてきている。この辺がいつも曖昧で投げつけられるから惹き付けられる。

「推し」になる瞬間が描かれている。「推し」がその人を突き抜ける瞬間が存在するのかと思った。だから尊いものになるのかと感じた。初めて知る感覚を味わった気がする。わたしは決心して言った。すると華は黙ってわたしの手を握り、泣きそうな笑顔を見せた。華がCALETTe推しになってくれた流香を見て、涙を浮かべて喜ぶ姿を想像したら、嬉しくなってきてしまった。この感情は何だろうか。同じ対象を「推す」ことは、自分の存在を肯定された感覚になるのか。そういうことを感じた。

重大な事情を聞いた時に思い出す思い出は、本人にとって一番良い記憶なのだろうか。流香がCALETTeのボーカル朔也の「奇跡の証人」であることが説明されていく。凄く恋愛モードだ。恋愛小説の真っ只中に急に入り込んできて恥ずかしくなりながらも読めてしまう。そもそも、自分を表現してくれる「推し」に出会えたらこういう風にドキドキするものなのかと知った。少なからず、世の中にはこういうことが起きている筈だ。音楽という見えないもので繋がっていることを確認し合う作業が「推し」と「アーティスト」なのだろうか。そういうことを考えてしまう。しかし、流香の中に存在するもう一人ルナは相変わらず頭の中にいるみたいだ。どういう状況で表に出てくるのか、本当に存在しているのか。この違和感は拭えるのだろうか。

「奇跡の証人」の意味を知る出来事。青豆ノノの作品読者だとここで「スタートライン」がこういう登場の仕方をするのかと唸る、青春の地続きを見ているようになる。青春ものは、きちんとそのキャラクターが生きていないと感情移入出来ないが「健」と「華」はきちんと生きていたという時間が甦って来る感覚になる。知らずに照れずに読めている。むしろ積極的に背後関係を調べている私がいる。青豆ノノのキラキラしているだけじゃない表現のせいな気がする。もう一度「スタートライン」を読み直す。これは今後この物語の一部にするか、プロローグに入れても良いのではないだろうか。結末を知らずに勝手に想像してワクワクしてしまっている。

朔也の事情による、活動休止が発表される。わたしは心のままに動いてもいい?と華に確認する流香。一線を引いている境界線というのは、ファンと推しのお互いのプライドでもあるのだろう。こういう線は跨いでしまったら危険な香りがする。やっぱりだ。何か起きた時にすがる場所がお互いの思い出の共通の記憶の場所だったことを知り、抑えが効かなくなってしまう。大丈夫だろうか。何にせよ傷ついて欲しくないと思っている自分がもう止められない。

うわぁ。朔也と流香ってこういう風に会話するのか。推しを応援する真っ直ぐな女性がすごく可愛い。恋愛中の中に入り込んでしまった。それにしても可愛い。そして朔也から「相愛」の言葉を聞いた。いや、聞けたと感じてしまってる。ドキドキしている。どうなるんだろうか。何なんだろうか、私のこの感情を説明して欲しい。

そういうことか。複雑だなぁ。物語の重要な流香とルナの問題を知る。これは、女性男性限らず、もしかしたら皆こういう部分を持っているのではないだろうか。理性と理想と現実との間の世界。こんな関係になってしまうとは思わなかった。流香とルナ。やるせない。完全に私はこの物語の世界に入っている。私も一体どうなるのだろうか。

推すことの矜持を知るのだが「本当に良いのかよ」となぜだか流香とルナに私は話し掛けている。何が大切なのかは分からないけど、推しのやりたい事を全力で手助けするのがファンなのか。でも、ルナはファンではない。それを流香だって知っている筈だ。全部がすぐ崩れそうな場所にいるみたいだ。読み進めるの怖い。

朔也の手術が無事に終わった。本当に無事なのだろうか。私の胸中としては、流香とルナを一喜一憂させて欲しくない。実際、本当に難しいラインで関係が保たれている。朔也の気持ちを知らないとダメだ。朔也の気持ちを知りたいと私は思っているのだが、完全に物語に入り込んでいてこれ以上何か起きたら泣きそうだ。

歯痒い。流香の心情を思うと、朔也の態度は大人気ない気がするが、かつて自分もそうしたと責める流香の気持ちを読んで、男女の複雑さを知る。恋愛とはこんなに複雑な感情の迷路だったのだろうか。知らないまま歳を重ねてしまった私は、悲しくなっている。

涙が出そうだ。これが恋愛小説かと感じる。人間は、一度抑制していた感情が溢れ出してしまったなら止められない。流香はとても可愛い。ややこしいが可愛い。何か読みながら音楽が欲しい。この重大な場面で流れるそれこそCALETTeの音楽を聞かせて欲しい。良かったなぁ。と思う気持ちと流香とルナが同じ方向を向いてしまったという不安感が残る。ルナは居なくなったりしないだろうか。ハッピーエンドに向かって欲しい。

タイトル回収。ちょっと待って欲しい。ここでもボーダーラインを守るのか。推しシステムが嫌いになりそうだ。ルナが可哀想。朔也もなぜしっかりと自分の口から語らないのか。しっかり歌えるようになってからという意味だろうか。なぜ、さっきの告白をスルーするのだろう。私なら出来ない。そもそもそんな場面訪れない。それは分かっているが複雑だ。何回泣かせれば良いのだと言いたくなる。これが恋愛なのか。してきてない。

何も言えないです。積み重ねた時間がこの人達にあるのだろうから。十五話までのなかで確実に一番この回がソワソワする。次で終わってしまうのか。ソウアイの意味を考えなくてはならない。最終話までに心の準備をしなければならない。全員がうまくいって欲しい。青豆ノノ的にハッピーエンドは来ない気がする。それはやめて欲しい。ここまできて青豆ノノ的な複雑さを味わいたくない私がいる。

そうか。そうなるか。完全に打ちのめされてしまった。あんなに結末を求めていた自分が恥ずかしい。恋に結果を早く求めても何の意味もない。どこまでも推しの話だということだ。信じきるということのメッセージなのだろう。それこそがお互いに輝く唯一の方向だと。終わらない。この物語は終わらないという気持ちでいよう。そして、なぜだか私も恋をしようと前向きになれた気がする。

あとがきが答え合わせのような感じになっているが、青豆ノノが描いた世界は私に伝わったのではないだろうか。本人がどう思うのか分からないが、恋愛小説として言いたいことが伝わっているのではないだろうか。私もこの感想記事にあとがきを寄せるなら、今の状況をまず説明しなければならない。青豆ノノは「推しをこれからも推し続ける」ことを宣言している。ということは、それを読み、これを書いている私は「推しをこれからも推し続ける人を推しにしてこれからも推し続ける」という一方的な複雑宣言になっている。

この作品で、私は恋愛小説の楽しさに溺れてしまったワケですが、一瞬一瞬を描く青豆ノノさんの表現がとても好きです。掴めない魅力と人間を感じる彼女の作品がきちんと届けと願います。

青豆ノノのこの作品を見つけてくれた人は、彼女の作品を他にも読んで欲しい。多くの作品があります。多くの人達を惹き付けています。ジャンルでは区切れない「人間」を描いた作品が多く存在します。青豆ノノの表現もしっかり感じ取って彼女を見つけて欲しいと願います。

「推し」とは、信じ続けるものと教えて貰ったので、これからも信じていきたいと思います。

これが私の感想ですが、自分でも、もちろんこれが何なのか、何が起きたのか分かっています。

なんのはなしですか

本気過ぎてこういうことになってしまいました。

自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。