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創作大賞2024 | ソウアイの星⑯(最終話)
(二十一)
並んで歩く朔也と健から数歩離れて、わたしは華と歩いていた。
「やっぱり、音楽堂かな」と訊くわたしに「そうだろうね」と華は言った。
時々、じゃれ合いながら歩く前の二人を、わたしたちは「子供みたい」と言いながら眺めた。
「朔也くん、なんか緊張してるね」
わたしの言葉に、華は黙って頷いた。
「集中してるのかもしれないけど、今日の朔也くんには今まで感じたことないオーラがある」
華はまた頷いた。華がこういう静かな態度を取るとき、大抵は言いたいことがあるけど立場的に抑えている、ということが多い。だから、わたしも追求はしない。
吉祥寺の駅はいつもと変わりなく賑わっていた。
人混みを縫うようにして歩くわたしたちはいつしか無言になった。
丸井デパート前の信号が赤になり立ち止まる。午後八時。見上げた空に雲は厚い。今にも泣き出しそうなグレーに染まっている。
朔也は信号が青に変わるまでの間、小さくハミングをしていた。その横顔を盗み見れば、普段より伸びた前髪が頬のほくろを一つ隠していた。それを見て、どうしてかわたしは動揺した。こんな些細なことが普段と違うだけなのにわずかに不安を感じてしまった。
信号の色が変わり再び歩き出したわたしたちは、井の頭公園に続くまっすぐな道を行く。ここを過ぎれば彼らの〝ステージ〟がある。
ステージへ向かうという、わたしには生涯知り得ない緊張感を、朔也も健もこれまで何度も経験していたのだと思うと、改めて尊敬の念を抱いた。
声が不調で憂鬱なときや、逃げ出したい日もあっただろう。だけどその度に、自分を信じてステージに立っていたのだと想像する。
その日のステージはその日限り。そのときにしか会えない人のために歌うのだと、いつだったか朔也は語った。
遠く離れて暮らす友が、何時間もかけてわざわざ足を運んでくれたライブ。これまで何度も演奏してきた定番の曲を、その日初めて聴いた友は、涙を流して感動してくれたという。
その後は忙しくてなかなか観てもらえる機会は持てなかったけれど、たった一度の感動を友は未だに語ってくれる。だから、聞き慣れた、やり慣れた曲に、毎回魂を込めるのだ。
公園に入ると、音楽堂の周りに白い紫陽花が咲いていた。
「綺麗だね」
華がその真っ白い花を見ながら、そういえば、と言った。
「いつだったか朔也くん、わたしと流香ちゃんにオリジナルTシャツ作ってプレゼントしてくれるって言ってたよね」
「そういえば」
〝白地のCALETTe Tシャツ〟と華と声を揃えた。
「懐かしいね。まだ貰ってないよ」
わたしたち四人は、ステージ前のベンチに並んで腰掛けた。左端に座った朔也の隣に健がいて、その隣には華、そして私だった。
わたしから一番遠いところにいる朔也は実際の距離よりも、もっともっと遠くにいるように思えた。
今夜の井の頭公園は、池の周りに人通りはあっても、ステージの周りに留まる人はほとんどなかった。
早速、健はギターを取り出した。健が音を鳴らすと、わずかに空気が震えた気がした。
健の奏でるアルペジオが、緊張しているわたしの体を抜けていく。
「朔也くんの歌もそうだけど、健くんのギターを聞くのも久しぶり。やっぱ、めちゃくちゃかっこいいね」
わたしはこっそり、華の耳元で告げた。
朔也はさっきからずっと、ハミングや、小さく声だしをしているけれど、決してわたしたちのことを見ようとしなかった。
健が一度弾くのを止めて朔也になにか話しかけた。振り返って健を見た朔也の表情に、わたしは再び小さな不安を持った。
『朔也くん、泣きそうな顔してない?』
すかさずルナが言った。流石に泣くことはないと思うけれど、なんとも言えない表情をしている。弱々しく、少しでも圧がかかったら、一瞬で押しつぶされてしまいそうに頼りない。まるで今の朔也は、手術前のあの夜、ベンチの横に一人佇んでいたときのようだった。
華が、胸の前で両手の指を組んで祈るようなポーズをとった。わたしは心の中で、きっと大丈夫、と何度もつぶやいた。
やがて、曲の冒頭だろうか、健がゆったりした調子の音を奏で始めた。
「これ、新曲のイントロ」と華が言った。
健はイントロを弾くと、それを何度も繰り返した。その音は、今日の哀しげな空に、なんとも言えず馴染んでいる。
健は朔也のタイミングを待っていた。穏やかな表情で、何度もイントロだけを繰り返した。
そのうち、ついに朔也はゆっくりと振り返り、健を見ると小さくブレスをした。
カクテル二杯で
クッションの海に 沈んだ
朔也が目を閉じて歌う。
その歌声は、やはり少し割れたような響きを持っていた。だけど、わたしにとってそれは些細なことで、心を込める朔也の表情、勇気をだして第一声を響かせた朔也に感動して涙しそうだった。
星も見えない ブルーグレーの空
早くも喉に違和感をもったのか、次の歌詞を続けることなく朔也が天を仰いだ。
歌うのを辞めた朔也に気づき、健が即興でつないだ。健は、決して焦ることなく、朔也が戻るのを待っている。
夜の池 眺めながら歩く
目を閉じて バラード
六月のアコースティック・ナイト
絞り出すように歌った朔也の表情は険しかった。
祈るようなポーズから、いつしか俯いて顔を上げなくなった華の肩が細かく震えている。
星はいつも見えてる
強い光を放つ キミ
ソウアイの星……
ときどき裏返る声に、全身で堪え抜く。朔也の手は強く握りしめられていた。
健はあえてそうしているのか、より一層、ゆったりと音を鳴らす。
やがて、曲は再びイントロに戻った。
何度も何度も、イントロだけが繰り返された。
六月の曇り空。その泣きそうなグレーに、紫陽花の白が浮かぶ。
通り過ぎる人々の中に、今ここで奏でられている音楽に興味を示す者はない。
祈り続ける華の背にそっと触れた。ルナのすすり泣く声が聞こえる。
わたしは、ただ朔也を見つめていた。見つめながら、朔也からも見つめ返されることを密かに期待した。
健の奏でるイントロは、少しのアレンジが加わって、夜の公園に心地よく流れ続けていた。
やがて朔也が静かに立ち上がったとき、わたしたち三人はただ黙って見守った。
朔也はわたしたちになにか言葉をかけることなく、ゆっくりと、駅とは逆方向に歩き始めた。
朔也の着ている白いTシャツが、夜の闇に飲まれていく。わたしが見つめるその白は、段々と遠ざかっていった。
朔也が今感じている孤独と絶望感は、いったいどれほどのものだろう。
わたしは寄り添うことも出来ず、ただ呆然と小さくなっていく朔也の背中を見ていた。それでもどうにか立ち上がり、一歩ずつ朔也の後を追った。
数歩あるいたところで振り返り、健と華を見た。
華は健にもたれるようにして泣いていた。
健は表情を変えることなくギターを鳴らし続けている。
首を左右に、ゆっくりと揺らしながら、「ソウアイの星」のイントロを、ずっと、ずっと、何度だって引き続けていた。
再び見上げた夜空は相変わらず物悲しいグレーで、その下のブルーも、あるはずの星さえも覆い隠していた。
今のわたしにできることは、これからも朔也を信じること。ただそれだけだった。
わたしは、見えなくなった光を追って再び歩き始めた。
意外にも、わたしは泣かなかった。朔也の孤独を知っても、それでもわたし自身は何も変わらない。わたしの心は揺らぐことがない。
「ねえ、ルナ」
わたしは泣いているルナに静かな声で話しかけた。
「わたし、どういうわけか、燃えてきてる」
わたしがそう言うと、ねえ、おかしいよ、とルナは洟を啜りながら言った。
「だって、朔也くんがこれで終わるわけないから。きっと、不死鳥のように蘇るはず。わたし、〝推し〟に関しては良く勘が働くの」
わたしは密かに胸を高鳴らせた。
『真のファン、マジ怖い……』
ルナがため息混じりに言った。
「ルナ。今日のことは、のちのち伝説として語り継がれることになるから、よーく覚えておいてね。わたしたち、CALETTeの重要な歴史の一ページに立ち会っているのよ」
ルナは呆れたのか、もう何も言わない。
「ルナ、一緒に支えようね。朔也くんと、CALETTeのこと」
わたしはファンだから。朔也が選んだ道を、ただ追いかけていく。
朔也が復帰を目指すなら、わたしはずっと彼の復活を待ち続ける。それに何年かかろうと少しも苦にならない。朔也が必ずまた輝くことを、わたしはずっと信じていられるから。
わたしは歩きながら空を見上げた。目を凝らしてもそこに星はなかった。少なくとも、今は見えない。
目の前に光るものがなくても、わたしはすでに明るい気持ちで想像していた。
一年後、二年後……そして、数年後のCALETTeの未来を。
「ソウアイの星」
それは互いの信頼で光る星だ。
朔也が再び光を取り戻した時、それがどんなに小さな光でもわたしはそれを見逃さない。そんな想像をしたら笑いが込み上げてきて、思わず手で口を覆った。
わたしの足取りは軽かった。朔也が進む困難な道を一緒に進んでいく覚悟があった。
わたしはグレーな空のその下に瞬く星があることを、今も、これからも、信じている。
了
ここまでお読みいただき
ありがとうございました。
青豆ノノ
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