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創作大賞2024 | ソウアイの星⑤

《最初から 《前回の話 


 (六)

 スマートフォン越しにはなの声を聞いて、一瞬のうちに思い出の中に入り込んでしまった。そんなわたしの代わりに、華と会話を続けてくれていたルナが、昨日の朔也さくやからのメッセージについて打ち明け始めた。

『だめかもしんないって。なにか知ってる?』
 華は少し、ほんの数秒黙った後、話し始める準備のためか咳をした。

流香るかちゃんだから、やっぱりわたし隠せないや。朔也くんね、年明けたら手術するの」
 え、と言った後、わたしはすぐに言葉が見つからなかった。

『それって、重病?』
 華はきっと首を振っていたと思う。それから、心配しすぎないで、と前置きをして言った。

「声帯の手術。静脈瘤を除去するって」
『声帯の手術』
 ルナが低い声で華の言葉を繰り返した。

「CALETTeとしては、明日のライブを終えたら、手術とその後の休養のためにしばらく活動休止する予定」
 わたしは華の話を聞いて、そうだったんだ、とつぶやくのがやっとだった。

 自然な流れで、今ではCALETTeのマネージャー的存在になった華は、バンドの苦しい事情を努めて明るく説明した。だけど、朔也個人の話になると、いくらか声を潜めた。

「朔也くんは、正直、今だいぶメンタル落ちてると思う。だって、朔也くんが歌えなかったら、バンドは成り立たないもんね。かなりプレッシャー感じてるみたい」
「現時点で、歌うことにかなり不安があるってことなんだ……」

 華が小さくため息を吐いた。

「信じるしかないね。きっと、音楽の神様は朔也くんのこと、見放さないよ。絶対。だってわたしたちは、あの奇跡の証人でしょ?」

 ほら、あの日、と華が話し出した日のことは、わたしが片時も忘れることのない出来事についてだった。

 あの日とは。アコースティック・ナイトの翌週の金曜日。華と約束をした食事会の日のことだ。

 華を幹事にして、健と朔也、それにわたしの四人は吉祥寺のタイ居酒屋に集まることになった。
 たくさんのクッションが置かれた半個室は、その隅に間接照明が置かれ、リラックスした雰囲気だった。

「めっちゃ良いとこじゃん」
 わたしは小上がりになった部屋に靴を脱いで足を踏み入れ興奮していた。
「華ちゃん、ほんと、おしゃれなとこ知ってるなあ」

 わたし自身は吉祥寺が地元と言ってもいいくらいなのに、居酒屋については、まだ何も知らなかった。

「ここね、前に健と二人で来たの。うちら田舎出身でしょ? 最初はこの雰囲気にビビってたよ。だけど、吉祥寺はなんか良いよね。おしゃれなんだけど、気取りすぎてないし、色々許される気がする」
「えー、なにそれ。例えば?」
「うーん」
と言って、華はメニューをめくりながら考えていた。

「ファッションも、音楽も、生き方そのものに自由を求める人が好む街って感じする。だからすぐに馴染めたのかなあ」
 そうかもね、とわたしがしみじみ同意したことに、ルナが吹き出した。

「華ちゃんはたまに帰ってる? 地元」
「帰ってない」
 と即答した華は、メニューから顔を上げてわたしを見た。

「もう、すっかりこの街が居心地良くなっちゃって。地元に帰るのがこわい、というか。ここにいて、健の近くでCALETTeカレッテの音楽を聞いてこそ、わたしは幸せなんだなって思い始めてて」

 あんまり、依存しすぎてもいけないんだけどさ、と華は言った。

『良いんじゃない? 幸せなら。いま幸せで、それが何も自分の生活の妨げにならないなら、そんな素敵なことってないじゃん』
 そうだよね、と頷いて華は笑顔になった。
「お腹すいたね。先、なにか頼んでようか」

 メニューを見ながら、華と二人、あれこれ言い合っていると、背後で男性の笑い声がした。
「来たね」と華が言った。
 わたしは履いていたロングスカートの中に足をすっぽり隠して座り直した。

「ごめん、おまたせ」と言って先に入ってきたのは健だった。
「はじめまして、流香ちゃん」
 と健は言った。ステージでの彼は一言も声を発しなかったから、わたしは彼の意外と低く通る声に驚いた。

 続いて腰をかがめるようにして部屋に入ってきたのは朔也だった。なぜか首にスポーツタオルをかけて、髪の毛はびしょ濡れだった。

「どうしたんですか?」
 わたしは挨拶もなしに朔也に訊ねた。すると朔也は顔いっぱいの笑顔でわたしを見た。

「すぐ近くの銭湯に行ってて。遅くなりました」
 朔也は相変わらず笑顔のまま、タオルで顔周りについた水滴を拭った。

「先週のライブ、来てくれてありがとう。感想は後でゆっくり」
 そう言うと朔也はわたしの隣に腰を降ろした。朔也から、しっかり石鹸の匂いがしてわたしは笑ってしまった。

「〝THE、せっけんの香り〟って感じ」
 とわたしが言うと、朔也は首のタオルを鼻に持っていき匂いを嗅いだ。
「これかな」
「違うと思う。朔也くんの全身から香ってる」
「うそ、自分じゃ全然わかんないな。ごめんね、食事前に」
「ううん、全く。いい香り」

 そんなやり取りをしているわたしたちに、華が言った。
「皆同い年だね。そしてここにいる全員、CALETTeが大好き」
 わたしは頷いた。健はクールで、言葉数は少なかった。だけど、とても穏やかな顔で華を見ていた。そして朔也は――。

 わたしはこの日、朔也がわたしの右隣にいることにずっとどきどきしていた。食事の間、わたしは何度朔也の横顔を盗み見ただろう。彼の左頬の三つのほくろ。それは流れ星の軌道のように彼の白肌の上に配置されていた。

「あ、いま俺のほくろ見たでしょ」
 カクテルを二杯飲んでほろ酔いだったわたしに、朔也は言った。不意打ちで正面から顔を覗き込まれて、わたしは驚いて後ろに倒れた。

「そんな驚く?」
 朔也はクッションの海に沈み込んだわたしを引き上げながら大笑いした。

「急でびっくりしたよ。わたし今、お酒で並行感覚鈍ってるから」
 わたしは言い訳をしながら起き上がった。わたしたちの前に座っている健も華も笑っていた。

「流香ちゃんって面白いよね」と華が言った。
「わたしのCALETTeTシャツに突っ込んでくれたの、流香ちゃんだけだったし」
「あれね」とまた健が笑う。
「この際、ちゃんと作ろっか」
 と朔也が言った。わたしと華は歓声を上げた。

「じゃあ、今度俺から〝CALETTe〟Tシャツ、二人にプレゼントするよ」
 すかさず、白地が良い! と華が言った。
「うん、白が良いね。朔也くんは白のイメージ!」
 わたしははっきりと言った。俺のイメージカラーで良いの? 朔也は笑った。健は、いいんだよ、と言った。

「朔也はバンドの顔だから」

 それを聞いた朔也は、テーブル越しに健と無言でハイタッチをした。

「今日さ、外気持ち良いから、この後公園行かない? 井の頭公園いのこう
 わたしが三人に提案すると、華と健が口を揃えて「いのこうって言うんだ」と笑った。

 わたしたちは気持ちの良い六月の夜風を浴びながら公園までの道を歩いた。前を行く華と健は、肩が何度も触れ合う距離で歩いている。後ろから見ていた朔也とわたしは顔を見合わせてにやにやした。

 健が歩きながらポケットから煙草を取り出して、朔也に何やら手で合図をした。それを見た朔也は、わたしに「来て」と言った。そして、さり気なくわたしと手を繋いだ。

 華と健を追い越したところで、朔也はわたしの手をそっと離した。そしてわたしに顔を寄せると小声で言った。

風下かざしもにいるなってこと。煙草の煙を俺に吸わせたくないらしい。かっこいいでしょ、健」

 朔也は屈託なく笑う。わたしは、もうそれどころではないくらいどきどきしていた。顔が赤いのはお酒のせいなのだと、誰に訊かれたわけでもないのに、心の中でそんな言い訳を繰り返した。




⑥へつづく


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