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創作大賞2024 | ソウアイの星⑪

《最初から 《前回の話 


(十五)

 年が明け、一月八日は土曜日だった。
 この日の午前中に行われる朔也さくやの手術を思うと朝から気持ちが落ち着かず、じっとしていられなかった。
 なにかに没頭して気を紛らわせたかったが年末に大掃除は済ませてしまったし、部屋の中で夢中になって取り組めることもこれと言ってない。SNSを開いてみても目に映しているだけで集中できず、心が動くことはなかった。
『ねえ、外行かない? どこでもいいからさ』
 ルナもわたしと同じで気が気でないのだろう。
「そうだね、どっかいこう。できれば縁もゆかりもないとこ」
 電車に乗ろう、バスに乗ろう、船に乗ろうと勢いづいたものの、結局はわりと近場の昭和記念公園に決めた。

 吉祥寺駅から、新宿行きと反対ホームの電車に乗った。混雑した場所から遠ざかっていくにつれて、次第に心は穏やかになった。
 公園最寄りの西立川駅に降りると、わたしもルナも、まずは大きく深呼吸をした。今日は天気も良い。
 国営公園である昭和記念公園は広いから、歩きながらルナと会話をしても怪しまれない。わたしは早速入園料を払って中に入った。
 園内を歩くと、山茶花サザンカのピンク色が目に飛び込んできた。鮮やかなピンクの花は、今日の青空に映えて目が覚めるような気持ちになる。
 公園の中には穏やかでゆったりとした時間が流れていた。それを肌で感じるたび、自分が今抱えている焦燥感のようなものとの相性の悪さを厭わしく思った。
『一月の空気は気持ちいいね』
「そうだね」
『今、十時かあ』
「うん……」
 それからも時々立ち止まってはそこここに咲き誇る花を見てルナと言葉を交わした。だけど、わたしたちの会話は殆どの場合続かなかった。二人ともどこか上の空だった。

 手術は午前中には終わると教えてくれたのははなだった。結果も報告すると言ってくれた。
『華ちゃんは病院にいるのかな』とルナが独り言のように言った。
「いや、それは流石に。朔也くんのご家族だけじゃない?」
『じゃあ、華ちゃんは誰から連絡を受けるの?』
「さあ……」
 どういった経由で連絡がきてもいい。わたしは朔也の手術のことだけが気がかりだった。だけど、ルナは華が誰から連絡を受けるのか、そこがどうしても気になるようだった。
流香るかさあ、華ちゃんに負けてない? 確かにファン第一号は華ちゃんかもしれないけど、流香だってかなり古いファンでしょ? もっと特別なルートで連絡をもらってもいいんじゃない?』
 思いも寄らないルナの発言を聞いて、わたしはあっけにとられた。
「ファン同士で張り合ってどうするの。昔からのファンであればあるほど、より多くの人にCALETTeカレッテを知ってもらえるように空気を良くしなくちゃ。同士を大切にするの。仲間なんだから、争いの対象じゃないのよ」
 わたしはルナを窘めたが「そう?」とルナは依然として納得していない様子だった。先日、推し活宣言をしたルナだったけれど、朔也に恋心を抱いていた頃のように、まだまだ独占欲が強く、わたしから見れば博愛精神に欠ける。
「特にこういうバンドの非常事態にはファン同士で励ましあって乗り越えるもんだよ」
『そうなの? だけどその言い方こそが、初心者のファンにマウントとってるみたいに聞こえるけど』
 そんなことないよ、あるよ、と言い合いながら、わたしはさり気なく時計を見た。そろそろ十一時だ。
『まあ、どっちでもいいや。それよりお腹すいたね。お昼は? どこで食べる?』
 ルナが催促するから、わたしは園内マップを見ようとスマートフォンを取り出した。すると、ちょうどそのタイミングで華から着信があった。
「もしもし、流香ちゃん」
 華の落ち着いた声が遠くに聞こえる。
「ごめん、華ちゃん。今外にいて。もう少し、声大きめでお願い」
 ああ、そうなの? と言った華が場所を移動している間、ルナの興奮を抑えた息遣いが聞こえた。
「あのね、手術、無事終わったよ! 良かったよね! まずは一安心」
 華の声は弾んでいた。わたしは感極まって「よかった」と一言返すのがやっとだった。すぐ横でルナが、華ちゃんは誰から連絡もらったのか訊いて! と言っている。わたしはそれを無視して華に言った。
「連絡ありがとう。一先ずよかったあ。安心したよ、ほんとに」
 わたしは自然と笑みがこぼれた。見えないけれど、ルナも華もきっと同じように表情を緩ませている気がした。
「それでさ。わたしから朔也くんへの連絡は控えた方が良いかな?」
 どう思う? と訊くと華はふふ、と笑って「流香ちゃんの心のままに」と言った。そうしてわたしたちは短い通話を終えた。
『華ちゃん、心のままに、だなんて余裕だね』
「ねえルナ、まだ嫉妬してる? それよりどうしよう。明日あたり朔也くんにメッセージ送ってみようか。話せないだろうけど、メッセージなら読めるよね」
 そうだね、と言ったルナが、道の先に目ざとくカフェを見つけた。
『ね、あそこにしよ! 今日は朔也くんの手術成功のお祝いにしっかり食べようよ。あたし、デザートも食べたい』
 ルナは嬉しそうだった。わたしも、そんなルナの様子を見て自分の心が満ちていくのを感じた。こういう時、ルナと向かい合って席に座って話したり、一緒にご飯を食べられたらどんなに楽しいだろう。そんなふうに時々思うけれど、これがわたしたちなのだから受け入れるしかない。
 一人、広い店内の窓側の席に座った。人目があるのでここではルナと会話はしない。
 ふかふかしたソファに腰を沈めて、溜め込んでいた息を静かに吐いた。そうすると体中の緊張がほぐれるような安息感を感じた。大きな窓の外に、絵画のような風景がある。そこには並んでゆっくりと歩く老夫婦がいて、子連れの家族がいて、カップルがいて。それぞれが思い思いに今日という日のこの瞬間を過ごしている。そんな様子を安らかな気持ちで見つめていた。そこでふと、朔也はどうだろう、今、病院のベッドで何を考えているのだろうと思った。手術は成功したとはいえ、厳しい現状はこれからも続き、困難なこともあるだろう。術後の回復は個人差があり、一から生まれたての声と孤独に向き合っていくのだ。そんなことを想像したら急に不安に襲われ、再び心細さを感じ始めた。大丈夫、と自分に言い聞かせて、もう一度安らぎを求めて窓の外に目を向けた。だけど、先ほどまでのほどけた気持ちはもう戻ってこなかった。
 ランチメニューはルナに選んでもらった。注文を終えると、手持ち無沙汰からスマートフォンを取り出した。見ればメッセージを受信した通知があった。朔也からだった。
「うそ」
 わたしはうっかり声に出してしまってから、気まずく周りを見回した。このタイミングで、紛れもなく朔也からのメッセージだ。わたしは緊張しながらそれを開いた。

「無事終わったよ」

 この朔也からの短いメッセージが届いたのは三分前だった。わたしは慌てて返信した。
「朔也くん、お疲れ様! 無事に終わって良かったよ。一安心だね。ゆっくりしてね、返事は要らないから」
 送信して、しばらくは放心状態だった。朔也から、術後こんなに早く連絡をもらえると思わなかった。数ヶ月先でもおかしくないと思っていたのに。
『んなわけないでしょ。そんな不義理じゃないよ、朔也くんは』
 ルナが言った。わたしはまだどきどきしていた。すると、またすぐに手に持っていたスマートフォンが震えた。
「念の為、あと二日は入院だって。数日は筆談のみ。久々に手書きで字なんて書いたら壊滅状態(笑)」
 追加で送られてきた、小さなホワイトボードに幼児が書いたような字を見て、わたしは口元を隠して笑った。ルナは大声で笑っている。
「もう、笑わせないで。元気そうだね、朔也くん。もしよかったら、たまにわたしからもメッセージして良い?」
「もちろん。声出しオッケーになったら電話もするかも。しないかも(笑)」
「いいよ、無理しないで。とにかく、ゆっくり回復してね。ずっと、待ってるから」
 朔也から「ありがとう」のスタンプが届いた。
 わたしは感動で胸がいっぱいだった。朔也が無理に明るくしている可能性もなくはないけれど、すぐに連絡をくれたということは、きっと朔也としてもほっとしているのだろう。
 運ばれてきたランチプレートを目の前にして、気持ちが満たされていて今は全く食欲がないことに気づいたけれど、ルナのために食べることにした。その間、ルナは上機嫌で一人で話し続けていた。
 わたしはルナの話を聞きながら、涙が零れそうなのを必死に耐えた。窓から見える空に、うすく線を引いたような雲が浮かんでいる。黙々と食べる食事は少しも味を感じられなかった。それでも、綿のような雲がきらきらと輝いて消えていくのを見つめながら、絶えず口を動かしていた。



⑫へつづく


#創作大賞2024
#恋愛小説部門


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