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NHK取材班ノート

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記事一覧

“炎上”は対岸の火事ではなくなった。記者も“炎上”した上げ馬神事 どう伝えれば・・・

“炎上”は対岸の火事ではなくなった。記者も“炎上”した上げ馬神事 どう伝えれば・・・

「NHKは動物虐待を擁護するのか」
「ひどい偏向報道で許せない」
「記者の取材がまったく足りていない記事だ」

SNSの画面に次々にあがってくる批判、批判、批判。肯定的な意見はほとんどない…。心臓がドクンと鳴り、スマホを持つ手がふるえた。

三重県桑名市の多度大社で、馬が急な坂を駆け上がる伝統の「上げ馬神事」について、去年「動物虐待だ」と神社などに批判が相次ぎSNSなどで “炎上”となった。

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“炎上”記者が見続けた神事の現場 そして壁はなくなった・・・

“炎上”記者が見続けた神事の現場 そして壁はなくなった・・・

「え、壁がなくなってる・・・」

馬が急な坂を駆け上がる、三重の多度大社に伝わる伝統の「上げ馬神事」。
この神事がSNSで“炎上”していることを取材して記事にしたところ、「NHKは動物虐待を擁護するのか」といった批判が多く寄せられた。

「ここまできたら、やりきります」と上司に言ってさらに取材を進めた。が、馬が乗り越えるあの壁が、こんな展開になるとは。

※記事の前半はこちら

記事はなぜ“炎上”

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「入ったら15秒で死ぬビルがある」などといわれるのに「日本よりここがいい」と家族が話すヨハネスブルクで支局長が見た南ア社会の深い断絶

「入ったら15秒で死ぬビルがある」などといわれるのに「日本よりここがいい」と家族が話すヨハネスブルクで支局長が見た南ア社会の深い断絶

おととし(2022年)の末から南アフリカのヨハネスブルクに駐在している。去年からは妻とふたりの子どもたちも日本から合流した。
ネットで「ヨハネスブルク 治安」などと検索すると、「世界一治安が悪い」「最恐都市」「入ったら15秒で死ぬビルがある」などと物騒なタイトルの記事が表示される。確かに治安がよいとはとても言えないから正直、家族を呼ぶことはためらった。
それが今では妻も子どもも「日本に帰りたくない

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卒論が“調査報道”に 「大好きな森林、本当にこのままでいいの?」

卒論が“調査報道”に 「大好きな森林、本当にこのままでいいの?」

大学時代に書いた自分の卒業論文が、記者として初めての調査報道につながった。

森林の保全や活用に欠かせない、法律が定める自治体の「森林整備計画書」について大量の公開文書を調べたら、多くの自治体がどこかの文書を丸写ししていたことがわかったというもの。

日本の森林を守るための大事な行政の文書が「コピペ」…あらためて思った、

「日本の森林ってこのままでいいの?」

コロナ禍で見つけた卒論テーマNHK

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政治資金の不正を公開情報から解き明かしてみませんか?あなたもできる調査報道マニュアル

政治資金の不正を公開情報から解き明かしてみませんか?あなたもできる調査報道マニュアル

ウォーターゲート事件の内幕を描いた映画「大統領の陰謀」(1976)の一場面に、ワシントン・ポストの記者と、「ディープ・スロート」と呼ばれる情報提供者との印象的なやりとりがあります。

互いの表情もはっきりしない薄暗い駐車場で、事件の核心に早くたどり着きたいと焦る記者に、ディープ・スロートは短くこう告げます。

「カネ」が政治権力の重要な資源であり、その流れを追うことが政治的現象の理解に資すること

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「幼稚園の地下シェルター」新人国際記者の私がウクライナで見た戦禍の国、日常のリアル

「幼稚園の地下シェルター」新人国際記者の私がウクライナで見た戦禍の国、日常のリアル

去年12月、国際部の提案会議に2本の取材提案を出した。
「ウクライナの兵士たちの心のケアの課題を探る」という提案と、もうひとつは私の前任地、福島県の子どもたちと、ウクライナの子どもたちとの手紙を通じた交流を取材するという内容だった。

取材提案を出したのはこれが初めて。

福島県から東京の国際部に異動して4か月あまり、国際情勢を3交代で24時間モニタリングする仕事にも慣れてきたが、海外の現場に行か

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仕事と家庭の両立で私が心がけている「先のことは考えない」「中途半端のススメ」

仕事と家庭の両立で私が心がけている「先のことは考えない」「中途半端のススメ」

「同じ場所に何年もいて、よくモチベーションが保てますね!私には絶対無理です」とおっしゃる方もいます。

でも私の場合は
「あれをやりたい、これもやりたい」
「これはやらなきゃいけないのに、できていない」
常にネタに追いかけられていて、モチベーションの下がるヒマなんてありません。

毎年、自分の「プチテーマ」を設けることも、モチベーションが下がらない理由の1つかもしれません。
例えばことしは「琉球舞

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”朽ちたシーサー“みたい? 沖縄で取材を続けて28年の今、私だから語れること

”朽ちたシーサー“みたい? 沖縄で取材を続けて28年の今、私だから語れること

「沖縄局に何年いるの?」
「秘密です!離島だから、東京の人事が気づいてないのかもw。このまま退職まで気づかれずにずっといられるといいんですが」

今まで出張で沖縄に来た人たちと、何度となく交わしてきた会話です。もはやそうした質問すら出ないほど、沖縄での勤務が長くなりました。

東京での3年間を除いて、沖縄勤務は通算28年。取材にも子育てにも、奮闘しながら何とか続けています。

メディアで働く若い人

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兄弟の消えない後悔

兄弟の消えない後悔

2011年3月11日。

その日、私は11回目の誕生日を迎えていました。

宮城県の内陸部の小学校5年生で、学校が終わったら焼いたスポンジケーキに母と一緒に生クリームを塗って、誕生日ケーキを作る予定でした。

でも、大きな揺れがあって、各地に被害が出て、もちろんケーキを食べるどころではありませんでした。

それ以来ずっと、誕生日の「おめでとう」に違和感をもつようになりました。

そんな

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「怖い、怖い、怖い…」熊本地震 あの夜、私はデスクと抱き合い絶叫した

「怖い、怖い、怖い…」熊本地震 あの夜、私はデスクと抱き合い絶叫した

「怖い、怖い、怖い…」

とっさに口をついて出た。熊本県益城町の道路上、時刻は午前0時を回っている。

車外に出ている最中、突き上げられるような激しい揺れ。その一瞬、電柱が歪んでいるように見えた。

「うわあああああ」

しゃがみこんで、デスクと抱き合った。

真っ暗闇の中で人工的な車の明かりだけが遠くに見える。

次の瞬間、握りしめていた携帯電話が振動し始める。

けたたましい緊急地震速報の音が

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この人たちを覚えていますか 誰かのために汗を流して被災地を支えた「ヒーロー」その後の話

この人たちを覚えていますか 誰かのために汗を流して被災地を支えた「ヒーロー」その後の話

「…で、その人は誰を亡くされたの?」

デスクは私を見ずに、企画の提案内容が書かれた紙にことばを落とした。

ひどいことばだと思うかもしれない。誤解が生まれないよう説明を加えると(説明したところで誤解しか生まないのだけど)そのデスクも、決して亡くなった人がいるかどうかで提案を見ているわけではない。ただ、、

報道カメラマンとして災害現場を見てきた私たち3人はあるときそろって、デスクが却下しそうな「

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「美談にしないでね」ぼくの母校は震災遺構

「美談にしないでね」ぼくの母校は震災遺構

「美談にしないでね」

ことし1月、母校で開かれた同窓会で、同級生たちから言われた言葉だ。
12年前のあの日、ぼくの母校は津波に襲われ、地域で多くの人が亡くなった。
そして、ぼくと家族はすぐに県外へ移った。

「ぼくは被災者なのか」
「あの日のことを伝えていいのだろうか」

記者として、ひとりの人間として、ずっと考えながら生きてきた。

あの日ぼくらはこの学校にいた石巻市立門脇小学校。「門小」の名

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ペンとノートを持たない記者に渡された「ありがとう」の手紙と日記

ペンとノートを持たない記者に渡された「ありがとう」の手紙と日記

震災の発生から数か月、各地で復旧の動きが始まるなかで、私(後藤デスク)の遠藤さんご夫婦への取材は続きました。2011年の末には美恵子さんが「ストレスケア」という資格を取得するため、仮設住宅で被災した人たちを訪ねる様子を取材しました。

(前編の記事はこちらです)

手紙には、にじんだ文字で「ありがとう」資格の取得という目標を見つけた美恵子さんは、「娘が頑張った分、その思いに背かないよう生きていきた

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「おかえりとご苦労さまとありがとう、それしか言えない」

「おかえりとご苦労さまとありがとう、それしか言えない」

あの日。
巨大な津波に街が飲み込まれていくなかで、ぎりぎりまで町の建物に踏みとどまってスピーカーから避難を呼びかけ、津波の犠牲になった女性がいた。宮城県 南三陸町の職員だった遠藤未希さん(当時24)。

あれから12年、未希さんの両親にずっと寄り添い、時にはすぐそばに座って朝から晩まで話を聞き、時には遠くから連絡をとりあい、取材し続けている記者の、「決してメモをとらない」取材ノート。

12年たっ

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