NHK取材ノート

NHKのニュースや番組をつくっている私たちが取材に込めた思いや取材手法などをお話します。一緒に「取材ノート」をつくっていきましょう。サイトはhttps://www.nhk.or.jp/d-navi/note/ 利用規約はhttps://nhk.jp/rules

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    マガジン

    • 私の原点

      NHKの取材者たちの「原点」はどこに?ルーツを語った記事のマガジンです。

    • 香港支局長の取材ノート

      新型コロナの影響もあって、デモの当時から国家安全維持法の施行後も、激変する香港の今を追い続ける日本メディアの記者はごくわずかだ。 そして取材できる空間が急激に狭まっていることを実感するからこそ、香港に居続ける私はなるべく多くの現場に直接足を運び、人々のことばに耳を傾けなければと思っている。 でも日々あまりにいろいろなことが起きすぎて、そして動きが速すぎて、伝えきれないと焦るばかり。 まずは気になっていることから書いておきたい。

    • 調査報道

      膨大な資料やデータ、証言から隠された事実を突き止める。調査報道の実践例やノウハウについての記事を集めました。

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    「美談にしないでね」ぼくの母校は震災遺構

    「美談にしないでね」 ことし1月、母校で開かれた同窓会で、同級生たちから言われた言葉だ。 12年前のあの日、ぼくの母校は津波に襲われ、地域で多くの人が亡くなった。 そして、ぼくと家族はすぐに県外へ移った。 「ぼくは被災者なのか」 「あの日のことを伝えていいのだろうか」 記者として、ひとりの人間として、ずっと考えながら生きてきた。 あの日ぼくらはこの学校にいた石巻市立門脇小学校。「門小」の名前で親しまれていた、ぼくの母校だ。市内でも歴史ある小学校として知られ、かつてはお

      • 「私を生んでくれてありがとう」ペンとノートを持たない記者に渡された手紙と日記

        震災の発生から数か月、各地で復旧の動きが始まるなかで、私(後藤デスク)の遠藤さんご夫婦への取材は続きました。2011年の末には美恵子さんが「ストレスケア」という資格を取得するため、仮設住宅で被災した人たちを訪ねる様子を取材しました。 (前編の記事はこちらです) 手紙には、にじんだ文字で「ありがとう」資格の取得という目標を見つけた美恵子さんは、「娘が頑張った分、その思いに背かないよう生きていきたい」と話して、笑顔も見られるようになっていました。 でも年が変わってしばらくす

        • 「おかえりとご苦労さまとありがとう、それしか言えない」

          あの日。 巨大な津波に街が飲み込まれていくなかで、ぎりぎりまで町の建物に踏みとどまってスピーカーから避難を呼びかけ、津波の犠牲になった女性がいた。宮城県 南三陸町の職員だった遠藤未希さん(当時24)。 あれから12年、未希さんの両親にずっと寄り添い、時にはすぐそばに座って朝から晩まで話を聞き、時には遠くから連絡をとりあい、取材し続けている記者の、「決してメモをとらない」取材ノート。 12年たっても襲われるあの日の恐怖はじめまして、後藤岳彦といいます。現在はNHKの「災害・

          • 「大本営発表」と呼ばれた原発報道 私を変えたマスターのひと言

            「念のための避難です」 「直ちに影響はないということです」 政府や東京電力の説明をなぞる報道は「大本営発表」と呼ばれた。 あれから12年。あのときのことを人に聞かれると、自分の無力さをさらけ出す恥ずかしさや悔しさ、申し訳なさにさいなまれ、つい実際以上に美化して話してしまう。 私はあのとき、原発報道を担当する記者だった。 (科学文化部 ニュースデスク 大崎要一郎) 「被害の情報はない。原子炉は停止している」2011年3月11日午後2時46分。 私は東京・渋谷のNHK放

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            トクさんが残してくれたもの

            「すごいです。釜石が、釜石市の市内が、すごい土煙におおわれています」 カメラが捉えた、釜石を襲った東日本大震災の巨大津波。 撮影したのはトクさんこと徳田憲亮さん、NHK釜石支局の通信員だ。 私がトクさんのいる釜石に転勤してきたのは、震災から10年余り経った2021年11月。初任地の沖縄から縁もゆかりもない東北の岩手に来た、文字どおり右も左もわからない不安だらけの私を迎えてくれた。 取材先からも信頼され、私に多くの人を紹介してくれたトクさん。 でも、そのトクさんはもう

            幼いころに通った教室が、12年前のあのことと私をもう一度つないでくれた

            「石巻出身なの?震災は大丈夫だった?」 そう聞かれたときの私の決まり文句はこうだ。 「自宅は高台なので無事でした。両親の車が2台とも流されましたけど、たいしたことなかったです」 これでだいたい会話は終わる。それ以上言ってはいけない気がしていたから。 17年ぶりの再会「NHK仙台放送局でキャスターをしている、佐々木と申します。突然申し訳ありませんが…」 電話先からすぐに、「もしかして成美ちゃん?」という先生の声が聞こえた。 電話をした先は「アトリエ・コパン」。宮城県の石巻

            「ジブンの命はジブンで守る。みんなの命は社会で守る」NHKハッカソン2022防災編、開催ノウハウまとめました 

            参加者の皆さんがネットでアイデアの具現化に向けて一緒に走っていく「NHKハッカソン2022~防災編~」を去年10月に開催しました。   住む場所も年齢も立場も異なる約60人の参加者がネットでアイデアを出し合って具現化する、とても濃密で楽しい2日間。ハッカソンを実現するためにしたこと、課題感などをまとめました。 今年の「ハッカソン」のテーマは「防災」2021年のハッカソンは「教育」×「ニュース」がテーマでした。詳しくはこちらの記事をご覧ください。 去年の夏まで札幌局で勤務を

            神戸の映像はまだか!阪神・淡路大震災 空白の時間帯に現場で起きていたこと

            「ご覧いただいている映像は、地震が起きたときの神戸放送局の放送部の様子です」 画面全体が激しく揺れている。机も椅子も棚も波打つようにスライドしていく。 「大きな揺れが繰り返し襲っているようです。いろいろなものが棚から落ちたり机から落ちたりしています」 放送局の泊まり当番で仮眠中の記者に向かって本棚が倒れてくる。 記者が間一髪に飛び起きると、次の瞬間、周りが真っ暗になる。停電だ。 直後、記者は電話へと飛びついた。 1995年1月17日午前7時に放送された、朝の全国ニュー

            「被災者の方からお話を聞かれていましたが、どう感じましたか?」と言われても・・・

            「被災者の方からお話を聞かれていましたが、どう感じましたか」 大学生だった私に記者から繰り返し投げかけられた言葉です。 何と答えていいか分からず、どう答えたかもよく覚えていません。 大学1年生の時から、阪神・淡路大震災の追悼行事「1.17のつどい」にボランティアとして参加していた私。 毎年、取材で、同じような質問に何度も何度も答えるたびに・・・ 「私たちは何のためにやってるんだっけ…?」 もやもやした感覚を抱いていました。 そんな私は、今年、取材する立場として阪神

            ふざけてなんかいません!私たちが赤いマントで取材するワケ

            真っ赤なマント、たなびくスカーフ・・・ 日曜朝9時半からの戦隊ヒーローではありません。 平日の午後6時半から、栃木県内向けのニュース番組に出演している「全力取材!シラベンジャー」です。 NHK宇都宮放送局の“総力”を挙げて、ことし4月に誕生しました。 私たちはこのいでたちで、栃木県内はもちろん、永田町まで取材に出かけています。 悪ノリ?いえいえ、決してそういうわけではありません。 赤いマントをつけて取材するには、深いワケがあるんです。 “シラベンジャー”誕生!私はシラベ

            なんで私が“先生”に?記者が9人の生徒と歩んだ半年間には、伝えるためのヒントがつまっていた

            私、佐藤翔は宮崎放送局の記者として、日々防災・減災の報道に取り組んでいた。 福島県出身で、取材の原点は地元での東日本大震災。防災報道に携わりたくて、NHKに入った。災害への備えを繰り返しニュースで伝えることで、被害を減らせると信じていた。 はずだった、はずだったのだが、、、 防災って、ちゃんと伝えるの難しくない・・・? 防災が大切だと言えば、否定する人はいない。 ことが起きれば、誰もが恐怖を抱く。 だけど、何も起きていないときに、考えてもらうにはどうしたらいいのだろ

            NHK災害報道のベテラン金森デスクが多くの人に知ってほしい「命を守るための災害データの見方」

            NHKで災害担当デスクをつとめています、金森大輔です。生まれも育ちも伊豆大島です。 10歳のころに体験した、伊豆大島の噴火災害と全島避難の鮮烈な記憶について以前こんなnoteを書きまして、たくさんのお便りをいただきました。 私たち災害報道の担当者の目的は、 報道によって命を救うこと、被害を減らすこと です。 だから台風!豪雨!暴風!地震!噴火!大雪!などの大規模な災害が起きたとき、私たちは「いま何が起きているか」だけでなく、必ず「命を守るためにみなさんにどう行動してほしい

            取材ノート担当者が語ります「オストメイト」の記事を実現させたディレクターの熱量とは

            編集者 足立義則 : 浜さん…「オストメイト」の記事、「好き」が240ついてますねー。制作に時間はかかりましたけど(笑)かなり読んでもらってますね。この「NHK取材ノート」でもヒット記事ですよ。 編集者 浜由布子 : そうですね!わたしも初めて編集担当した記事なのでうれしいです~。 足立: 病気や障害によって排泄ができなくなって、おなかに人工肛門や人工ぼうこうを作った人たち、「オストメイト」について取材し、番組をつくったディレクターの宮崎さんが、それだけで終わらずに取材で

            20年、ディレクターの仕事ひとすじだった私が“大人の部活”を始めた理由

            “仕事第一”と習い事も社外の活動もあまりしてこなかった私。 社会人20年目を目前にした去年5月、「NHKの職員って課外活動してもいいんだっけ」と内心びくびくしながら、取材先の方とともに、SNSであるコミュニティを立ち上げました。 「オストメイトといっしょ!秘密結社アッと♡ストーマ」 なんていいいながら…全然 秘密じゃないですけれど。 メンバーは70人ほどで、会社員や通訳、主婦、医師、看護師、理容師、トリマー、弁護士など職業も年齢もさまざま。 名前の通り、オストメイトと、そ

            気づいたら私、プロレスラーの番記者になってました・・・

            番記者、それは特定の取材対象者に密着して取材を行う記者のこと。 スポーツ取材の分野では、プロ野球の球団ごと、サッカーのチームごと、それぞれ“番記者”がいる。政治の世界にも総理番、大臣番・・・、経済や社会の分野にも。 でも、独自の路線を歩む記者もいる。それがこの私。「プロレスラー番」だ。 もちろん、NHKは専属の「プロレスラー番」を置いていないし、あくまで自称。これまでの取材の中で、何かとプロレスラー議員に縁があったことが、そう名乗るようになったゆえんだ。 こんな運命を

            「想定外」に抗え。あのとき無力だった19歳の私、いま一体何が伝えられるのだろうか

            福島県・福島市出身で当時19歳だった私は、1年間通った予備校に最後のあいさつに行こうと、地元から隣の宮城県仙台市に向かっていた。 その途中、電車の中で感じた強い揺れ。 午後2時46分。 その後、何が起こっているのかもよく分からないまま、雪が舞う寒さの中をほかの乗客と一緒に近くの施設へと避難した。 その場所がどこだったのかすら記憶がない。私だけではなく、車で迎えに来てくれた父親もよく覚えていないというのだから、今考えるとかなりのパニック状態だったのだろう。 「想定外」