NHK取材ノート

NHKのニュースや番組をつくっている私たちが取材に込めた思いや取材手法などをお話します…

NHK取材ノート

NHKのニュースや番組をつくっている私たちが取材に込めた思いや取材手法などをお話します。一緒に「取材ノート」をつくっていきましょう。サイトはhttps://www.nhk.or.jp/d-navi/note/ 利用規約はhttps://nhk.jp/rules

マガジン

  • 調査報道

    膨大な資料やデータ、証言から隠された事実を突き止める。調査報道の実践例やノウハウについての記事を集めました。

  • 注目ノート

    多くの方に読んでいただいた記事を中心にまとめました

  • 私の原点

    NHKの取材者たちの「原点」はどこに?ルーツを語った記事のマガジンです。

  • 香港支局長の取材ノート

    新型コロナの影響もあって、デモの当時から国家安全維持法の施行後も、激変する香港の今を追い続ける日本メディアの記者はごくわずかだ。 そして取材できる空間が急激に狭まっていることを実感するからこそ、香港に居続ける私はなるべく多くの現場に直接足を運び、人々のことばに耳を傾けなければと思っている。 でも日々あまりにいろいろなことが起きすぎて、そして動きが速すぎて、伝えきれないと焦るばかり。 まずは気になっていることから書いておきたい。

リンク

最近の記事

  • 固定された記事

“炎上”は対岸の火事ではなくなった。記者も“炎上”した上げ馬神事 どう伝えれば・・・

「NHKは動物虐待を擁護するのか」 「ひどい偏向報道で許せない」 「記者の取材がまったく足りていない記事だ」 SNSの画面に次々にあがってくる批判、批判、批判。肯定的な意見はほとんどない…。心臓がドクンと鳴り、スマホを持つ手がふるえた。 三重県桑名市の多度大社で、馬が急な坂を駆け上がる伝統の「上げ馬神事」について、去年「動物虐待だ」と神社などに批判が相次ぎSNSなどで “炎上”となった。 そのことをニュースとして放送やウェブ記事で伝えた。動物虐待などあってはなら

    • “炎上”記者が見続けた神事の現場 そして壁はなくなった・・・

      「え、壁がなくなってる・・・」 馬が急な坂を駆け上がる、三重の多度大社に伝わる伝統の「上げ馬神事」。 この神事がSNSで“炎上”していることを取材して記事にしたところ、「NHKは動物虐待を擁護するのか」といった批判が多く寄せられた。 「ここまできたら、やりきります」と上司に言ってさらに取材を進めた。が、馬が乗り越えるあの壁が、こんな展開になるとは。 ※記事の前半はこちら 記事はなぜ“炎上”したのかあらためて自分の書いた記事を読み直した。 思ったのは、今回は上げ馬神事

      • 「入ったら15秒で死ぬビルがある」などといわれるのに「日本よりここがいい」と家族が話すヨハネスブルクで支局長が見た南ア社会の深い断絶

        おととし(2022年)の末から南アフリカのヨハネスブルクに駐在している。去年からは妻とふたりの子どもたちも日本から合流した。 ネットで「ヨハネスブルク 治安」などと検索すると、「世界一治安が悪い」「最恐都市」「入ったら15秒で死ぬビルがある」などと物騒なタイトルの記事が表示される。確かに治安がよいとはとても言えないから正直、家族を呼ぶことはためらった。 それが今では妻も子どもも「日本に帰りたくない。ずっとヨハネスブルクがいい」などと話すほどになじんでいる。 そこに、ヨハネス

        • 「うちらみたいにはなってほしくない」彼は能登へ向かった

          記者になって5年、宮城県で東日本大震災の復興の取材を続けてきた。 しかし、自分は被災地のほんの一部しか知らなかったと、気付かされることになる。 地震直後の被災地を取材するのは、実は能登半島地震が初めてだった。 地震直後の被災地は・・・ 元日に起きた能登半島地震から2週間後。私は石川県輪島市にいた。被災地取材の応援だった。 2019年、仙台放送局で記者として働き始めた私は、東日本大震災の時はまだ中学2年生だった。 震災から10年のタイミングで気仙沼支局に赴任し、当時の状

        • 固定された記事

        “炎上”は対岸の火事ではなくなった。記者も“炎上”した上げ馬神事 どう伝えれば・・・

        • “炎上”記者が見続けた神事の現場 そして壁はなくなった・・・

        • 「入ったら15秒で死ぬビルがある」などといわれるのに「日本よりここがいい」と家族が話すヨハネスブルクで支局長が見た南ア社会の深い断絶

        • 「うちらみたいにはなってほしくない」彼は能登へ向かった

        マガジン

        • 調査報道
          11本
        • 注目ノート
          24本
        • 私の原点
          33本
        • 香港支局長の取材ノート
          8本

        記事

          政治資金の不正を公開情報から解き明かしてみませんか?あなたもできる調査報道マニュアル

          ウォーターゲート事件の内幕を描いた映画「大統領の陰謀」(1976)の一場面に、ワシントン・ポストの記者と、「ディープ・スロート」と呼ばれる情報提供者との印象的なやりとりがあります。 互いの表情もはっきりしない薄暗い駐車場で、事件の核心に早くたどり着きたいと焦る記者に、ディープ・スロートは短くこう告げます。 「カネ」が政治権力の重要な資源であり、その流れを追うことが政治的現象の理解に資することは、昔も今も変わりません。 現在、政治資金パーティを巡る不透明な「カネ」のやり

          政治資金の不正を公開情報から解き明かしてみませんか?あなたもできる調査報道マニュアル

          卒論が“調査報道”に 「大好きな森林、本当にこのままでいいの?」

          大学時代に書いた自分の卒業論文が、記者として初めての調査報道につながった。 森林の保全や活用に欠かせない、法律が定める自治体の「森林整備計画書」について大量の公開文書を調べたら、多くの自治体がどこかの文書を丸写ししていたことがわかったというもの。 日本の森林を守るための大事な行政の文書が「コピペ」…あらためて思った、 「日本の森林ってこのままでいいの?」 コロナ禍で見つけた卒論テーマNHK前橋放送局記者の田村華子です。 私がこの「森のネタ」を見つけたのは3年前、大学

          卒論が“調査報道”に 「大好きな森林、本当にこのままでいいの?」

          「スティーブ・ジョブズ1.0」の真実(後編)

          ジョブズよ、なぜ、語ってくれていなかったのか・・・ ジョブズは、2011年に亡くなっている。私が取材してきた「新版画」とのつながりについて、本人が直接話したり、書き残したりしたものは見つかっていなかった。 「ジョブズが直接、新版画に言及しているカギカッコがないことが最大の弱点でしたね」 これは、英語番組を一緒に制作した同僚の言葉だった。マッキントッシュの開発チームのメンバーやアップル社の幹部でさえ、誰も知らない。そう思わざるをえないほど、新版画とジョブズとのつながりは極

          「スティーブ・ジョブズ1.0」の真実(後編)

          「スティーブ・ジョブズ1.0」の真実(中編)

          やりたいことがあっても、 壁にぶつかり、突き返されてしまう。 そんな悩みを抱えたことは、誰しも、一度や二度ではないと思う。 記者歴30年超の私もしかり。2015年から4年かけて調べていた、スティーブ・ジョブズと「新版画」との結びつきについて、アメリカ取材を目指して番組提案をするも、採用されなかった。 しかも、次なる機会をうかがっているうちに、世界はコロナ禍に突入。齢五十六。定年まであと3年半、もう残された時間は多くない。でも、あきらめてたまるもんですか。 前編はこち

          「スティーブ・ジョブズ1.0」の真実(中編)

          「スティーブ・ジョブズ1.0」の真実(前編)

          しかし、これは、 どう考えたって、変な組み合わせだ- 1984年1月24日。 スティーブ・ジョブズはステージの上にいた。 「これがあれば、なんでも思い通りに表現できる」 と、自信たっぷりに聴衆に訴えている。それは、アップル社が「マッキントッシュ」を世界にデビューさせた瞬間をうつした、過去の映像だった。 ただ、私の視線は、ジョブズではなく、マッキントッシュの画面に集中していた。そこに映っていたのは、1枚の絵。描かれていたのは、流れるような黒髪をくしでとかす妖艶な日本人

          「スティーブ・ジョブズ1.0」の真実(前編)

          ロシア語が怖くなった私 「好き」とまた言える日はいつになるだろう

          去年4月中旬、ウクライナに取材に入った私たちがはじめに向かったのは、西部の都市、リビウ。 ポーランドから国境を歩いて渡ったあと、車で向かった。その前日、リビウにある自動車整備工場が、ロシアによるミサイル攻撃を受けて死者が出ていた。 (前編の記事はこちらです) はじめて嗅いだ「戦場」の匂い前日に攻撃を受けたばかりの工場は、焦げ臭い匂いがした。 真っ黒に焼けて元の形がわからなくなった自動車の数々。 初めて目にして匂いを嗅いだ「戦場」だった。 がれきの上に、亡くなった人

          ロシア語が怖くなった私 「好き」とまた言える日はいつになるだろう

          ロシアとロシア語を愛するあまりウクライナを避けようとしていた私が、現地の取材で見た戦争のリアル

          ことし2月、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から1年がたったころ、私のスマホにメッセージが届いた。 彼女はウクライナ人。去年3月、私が隣国のモルドバでの取材中に知り合って、同世代ということもあって今もときどき近況を報告してくれる。 彼女と初めて会ったとき、私たちはロシア語で話していた。でも今は互いに英語しか使わない。 ウクライナでの取材中に目にした貼り紙が忘れられない。 学生時代に多くの時間をかけて学び、あれほど好きだったロシア語を使うのが、私は今でも少し怖い。

          ロシアとロシア語を愛するあまりウクライナを避けようとしていた私が、現地の取材で見た戦争のリアル

          「幼稚園の地下シェルター」新人国際記者の私がウクライナで見た戦禍の国、日常のリアル

          去年12月、国際部の提案会議に2本の取材提案を出した。 「ウクライナの兵士たちの心のケアの課題を探る」という提案と、もうひとつは私の前任地、福島県の子どもたちと、ウクライナの子どもたちとの手紙を通じた交流を取材するという内容だった。 取材提案を出したのはこれが初めて。 福島県から東京の国際部に異動して4か月あまり、国際情勢を3交代で24時間モニタリングする仕事にも慣れてきたが、海外の現場に行かずに情報だけで原稿を出し続けることに、何か違和感も抱くようになっていた。 だか

          「幼稚園の地下シェルター」新人国際記者の私がウクライナで見た戦禍の国、日常のリアル

          仕事と家庭の両立で私が心がけている「先のことは考えない」「中途半端のススメ」

          「同じ場所に何年もいて、よくモチベーションが保てますね!私には絶対無理です」とおっしゃる方もいます。 でも私の場合は 「あれをやりたい、これもやりたい」 「これはやらなきゃいけないのに、できていない」 常にネタに追いかけられていて、モチベーションの下がるヒマなんてありません。 毎年、自分の「プチテーマ」を設けることも、モチベーションが下がらない理由の1つかもしれません。 例えばことしは「琉球舞踊」を取材しよう、ことしは「しまくとぅば(沖縄に伝わる各地のことば)」、ことしは

          仕事と家庭の両立で私が心がけている「先のことは考えない」「中途半端のススメ」

          ”朽ちたシーサー“みたい? 沖縄で取材を続けて28年の今、私だから語れること

          「沖縄局に何年いるの?」 「秘密です!離島だから、東京の人事が気づいてないのかもw。このまま退職まで気づかれずにずっといられるといいんですが」 今まで出張で沖縄に来た人たちと、何度となく交わしてきた会話です。もはやそうした質問すら出ないほど、沖縄での勤務が長くなりました。 東京での3年間を除いて、沖縄勤務は通算28年。取材にも子育てにも、奮闘しながら何とか続けています。 メディアで働く若い人や記者志望の学生さんの中には、地方への転勤や、育児しながらの仕事に不安を感じてい

          ”朽ちたシーサー“みたい? 沖縄で取材を続けて28年の今、私だから語れること

          兄弟の消えない後悔

          2011年3月11日。 その日、私は11回目の誕生日を迎えていました。 宮城県の内陸部の小学校5年生で、学校が終わったら焼いたスポンジケーキに母と一緒に生クリームを塗って、誕生日ケーキを作る予定でした。 でも、大きな揺れがあって、各地に被害が出て、もちろんケーキを食べるどころではありませんでした。 それ以来ずっと、誕生日の「おめでとう」に違和感をもつようになりました。 そんな私は記者になり、今年初めて取材者として震災と向き合うことになり、2人の兄弟を取材

          兄弟の消えない後悔

          「怖い、怖い、怖い…」熊本地震 あの夜、私はデスクと抱き合い絶叫した

          「怖い、怖い、怖い…」 とっさに口をついて出た。熊本県益城町の道路上、時刻は午前0時を回っている。 車外に出ている最中、突き上げられるような激しい揺れ。その一瞬、電柱が歪んでいるように見えた。 「うわあああああ」 しゃがみこんで、デスクと抱き合った。 真っ暗闇の中で人工的な車の明かりだけが遠くに見える。 次の瞬間、握りしめていた携帯電話が振動し始める。 けたたましい緊急地震速報の音が、ずっと鳴り響いていた― 7年前の熊本地震で、私たちは震度7が襲った災害現場に

          「怖い、怖い、怖い…」熊本地震 あの夜、私はデスクと抱き合い絶叫した