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“炎上”は対岸の火事ではなくなった。記者も“炎上”した上げ馬神事 どう伝えれば・・・

「NHKは動物虐待を擁護するのか」
「ひどい偏向報道で許せない」
「記者の取材がまったく足りていない記事だ」

 
SNSの画面に次々にあがってくる批判、批判、批判。肯定的な意見はほとんどない…。心臓がドクンと鳴り、スマホを持つ手がふるえた。
 
三重県桑名市の多度大社で、馬が急な坂を駆け上がる伝統の「上げ馬神事」について、去年「動物虐待だ」と神社などに批判が相次ぎSNSなどで “炎上”となった。
  
そのことをニュースとして放送やウェブ記事で伝えた。動物虐待などあってはならないことは十分踏まえたうえで、関係者に取材し、神事で起きたことや過去の経緯をまとめ、客観的に伝えたつもりだった。
 
予想以上に大量の火の粉が飛んできた。
 
冒頭のような厳しい意見や批判がSNSやNHKのコールセンター、投稿フォームなどを通じて全国から寄せられ、それは今も続いている。
”炎上”のいわば当事者となって批判も受けながら約10か月、上げ馬神事に関わる多くの人たちをたどって話を聞き、伝え続けてきた。

それでもまだ、迷っていることが多くある。

取材は思いがけず始まった

 多くの飾りがつけられた馬が境内を進んでいく。
その馬に乗った初々しい若者もまた着飾って、ほおはどこか上気してみえる。
多くの人が馬と若者たちを見守っている。
 
やがて馬と若者は勢いよく駆け出す。坂を上って進む先には2メートルほどの壁が行く手をはばむ。

上げ馬神事

ドドドッと大きな音を上げて走る馬が壁を越えた瞬間、見物していた人たちから「ワーッ」と大きな歓声が上がり、その歓声に若者は誇らしげな顔で応える。
 
しかし今、その壁は取り払われて、もうない。
 
三重県桑名市に伝わる「上げ馬神事」は、若者が馬に乗って急な坂を駆け上がって、頂上にある壁を乗り越えた回数で農作物の作柄などを占う。例年、大型連休期間にあたる5月4日と5日の2日間にわたって行われ、多くの人が訪れる。
 
新型コロナの影響が広がる2020年にNHKの津放送局に着任した私(筆者)は、上げ馬神事を自分の目で見たことはない。コロナ禍で3年続けて中止になったから。
去年、4年ぶりに行われた神事の様子は自宅からニュースで見た。
 
勢いよく駆け上がってくる馬が壁を越え、詰めかけた人たちが盛り上がる雰囲気は画面越しにも伝わってきた。

あのまま馬が転げ落ちたら人がけがをしそうだな、けっこう高い壁だな、などと思ったものの当初は深く考えず、壁を越えられてよかったと捉えていた。
 
ふとSNSの画面を見ると、上げ馬神事が大きな話題になっていた。
 
「馬がかわいそう」
「動物虐待だ」
「こんなものは神事ではない」
 
当日の様子を写真とともに紹介していた桑名市のSNSアカウントには批判的なコメントが多くついて、“炎上”状態となっていた。
 
特に気になったのが「神事の中で骨折して、殺処分になった馬がいる」という投稿。ニュースの中では殺処分についてはまったく触れられていなかったので驚いたとともに、「そんなに危ない神事なのか」と感じた。
 
これは「上げ馬神事の是非」という視点での取材が必要かもしれない。でもこんなに“炎上”しているテーマに突っ込んで大丈夫か…。そんなことを考えながら当日はスマホを閉じた。
  
連休明けに出勤すると上司も私と同じことを感じたらしく、
「上げ馬神事についてSNSで話題になっているのであらためて取材をしてみよう。神事に参加した馬が殺処分されたという話は特に気になるね」

ということで例年とはだいぶ違う上げ馬神事の取材が始まったが、そのときはそれほど大事になるとは思っていなかった。

上げ馬神事が行われる坂(手前)と馬が乗り越える壁(奥)

「1頭が殺処分となりました」

まずは実際に神事が行われている多度大社、そして三重県や桑名市などの自治体に話を聞くことにした。
 
「神事の中で、馬が殺処分になったと聞きましたが本当でしょうか?」
 
神社や自治体の担当者の説明はこうだった。
 
「5月4日に走った12頭の馬のうちの1頭が、坂を駆け上がる途中で脚を骨折しました。待機していた獣医師が状態を確認したうえで、地元の人たちと協議し、殺処分となりました」
 
実際に馬は死んでいた。そしてそれは、けがをしたことによる殺処分だった。殺処分が行われたのは神事の初日で、NHKの取材の前日。取材した日は特に話題にはならず、神事を取材した先輩記者も把握していなかったという。
 
殺処分が本当だったと知った時は大きなショックを受けた。「壁を乗り越えることに成功してよかった」と思っていた映像が違うものに見えてきた。改めて映像を見直すと馬は無理に壁の上に引き上げられるなど、苦しそうにも見える。
 
南北朝の時代から続くとされる神事は大切だと思う。でも馬が死んでしまうほどの負担をかける意味があるのだろうか。

大量の批判と苦情が

 「馬が殺処分となった」といった情報がSNSで拡散された結果、神社だけでなく市や県へも大量の批判が電話などで寄せられていた。
 
その数は6月末までで市に約1800件、県には7月半ばまでに約3400件。担当者もここまでの批判にさらされるとは想像していなかったようで、対応にかなり疲弊している様子だった。
 
そして批判の矛先は地元の人たちにも及んでいた。殺処分となった馬の共同馬主をつとめていた男性が経営する米販売店は、神事に参加していることをSNSに投稿していたため批判のターゲットになった。
 
直接の抗議のほか、この店のインターネット上の販売サイトに悪評が書き込まれて、休業にまで追い込まれたことも取材でわかった。
  
神事で動物がけがをしたり殺処分となったりすることはよくないと思うが、関わっていたからといって店を休業にまで追い込むことに正当性はあるのだろうか。自分の中の気持ちはぐるぐると変わり、何が正しいことなのか、心が揺れ動いた。

初めてのファクトチェック

取材を進める中で多度大社の担当者が話したことが引っかかった。
 
「事実と異なる情報が、多度大社の話として出回っていて困惑している」
 
実際、SNSで拡散されている情報の中には、真偽不明のものも多かった。上司にそのことを話すと、
 
「それならファクトチェックしてみたら? もし情報が間違っているのであれば、極力早く取材して伝えた方がいいと思う」
 
 ファクトチェック…。
ネットなど社会に広がっている情報が本当かどうかを検証したり判定したりすること。何度も聞いたことのあることばだったが、まだ実践したことはなかった。
 
これまでも当局から発表された情報を整理して報道したり、世の中にまだオープンになっていない事実を調査報道によって明らかにしたりといったことはしてきた。
 
一方でファクトチェックは、世の中にすでに公開されている情報について、NHKが真偽を検証し、発信するもの。これまでの取材とは手法も伝え方も異なると感じた。
 
しかし誤情報が拡散しているような状況では、正しい議論につながらないのではないかと思い、初めてのファクトチェックに取り組むことにした。
 
真偽を調べる対象の情報は、SNSで特に拡散していた以下の3つ。
 
1.行事に参加した馬が骨折し、安楽死(殺処分)させられた。
 
2.近年になって氏子が「もっと見せ場を」というので壁(崖)をのぼらせるようになった。
 
3.上げ馬神事のために引退馬を安く買い取って使用している。
 
検証では神社や県、市といった複数の責任ある団体や機関の情報や、その裏づけとなる文書なども確認した。
 
まず「行事に参加した馬が骨折し、安楽死(殺処分)させられた」という情報は、すでに取材していたもので、これは「事実」
 
一方で「近年になって壁をのぼらせるようになった」という点については、神社に残る江戸時代の寛政6年に記された「大祭御神事規式簿」には「坂を駆け上がる」という記載があった。つまり遅くともそのころには「坂を駆け上がる」形になっていたことが伺える。 

昭和26年の神事の映像

では「壁」は?NHKのアーカイブスに残る昭和26年の神事の映像を見ると、すでに壁をのぼっていることが確認できた。壁の高さは正確には分からないものの、少なくとも壁は「近年になってできた」ものではない。そのため「誤り」と判断した。
 
最後の「引退馬を安く買い取って使用」という情報については、神社によるとどの地区も、馬を馬主から借りる形をとっているということだった。
 
借りた馬の中には確かに引退した馬もいるということだが、神社としては地区が「買い取っている」のではなく、あくまで「借りている」形だということで、すべて誤りではないが正確でもない。よって「不正確」と判断した。
 
記事ではこうした検証の過程に加えて、「上げ馬神事」が20年ほど前からすでに「動物虐待ではないか」という外部からの指摘を受けていた点にも触れることにした。
 
批判の声を受けて多度大社は、地元の代表とともに馬が乗り越える壁の高さを低くしたり、馬が走る場所を整備したり、馬の扱い方を適切に行うように議論を重ねたりしながら改善を進めてきたということだった。
 
対策が十分だったかどうかはこれからの議論に期待するとして、まずはこれまで神社と地元が歩んできた経緯を伝えよう、何より「正しい情報を届けよう」という思いで記事を書いた。
  
一方で“炎上”に自ら飛び込んでいく内容ではあったし、正直、公開して大丈夫かという不安もあった。

“炎上”は対岸の火事ではなくなった

5月11日。津放送局のローカルニュース「まるっと!みえ」の中で、上げ馬神事を巡る情報についてファクトチェックした内容を解説した。

2023年5月11日放送 まるっと!みえ

翌日、ウェブ記事も署名記事として公開し、それを300万人以上のフォロワーがいる「NHKニュース」のSNSアカウントでも紹介したところ、投稿は瞬く間に拡散した。表示された回数を表すインプレッションは1600万以上になるなど、改めて注目度の高さを感じた。

しかし拡散するにつれて、記事への批判的な投稿もどんどん増えていった。 

「NHKは動物虐待を擁護するのか」
「神社の立場に寄ったひどい偏向報道で許せない」
「記者の取材がまったく足りていない」

 一つ一つの批判の声を読むのは正直、精神的にもかなりこたえるつらい時間だったが、できる限り反応をチェックしていった。厳しい反応が寄せられるとは思っていたものの、ここまでとは思わず戸惑った。

批判の中には、記事で取材したと書いていることを「取材ができていない」というものもあり、「もっときちんと読んでくれれば…」という思いも抱いた。 署名記事として覚悟を持って公開した記事だったが、それゆえ私の名前を挙げた批判もあり、その覚悟が揺らぐ瞬間もあった。

“炎上”は対岸の火事ではなくなったのだ。
 
しかし反応を見ているうちに、神事について多角的に掘り下げて取材を尽くすことができたかのだろうか、もっと深められたのではないかという思いも生じてきた。

例えば批判的な意見は、上げ馬神事、それ自体が動物虐待だ、問題だ、という意見が目立った。

一方で私の記事は、上げ馬神事そのものが動物虐待ではないかという批判には向き合わずに、情報の真偽の検証に重点を置いて、さらに神社や地元のこれまでの取り組みを伝えるという内容だった。

SNSの投稿を「誤情報」「不正確」と取り上げるのは、いわば投稿した人に対して「あなたは間違っている」と指摘することと同じだ。公開後の反応を見て、自分の仕事が「フェア」だったのかどうかも問われていると気付き、真偽を判断する責任の重さを痛感させられた。
 
NHKの投稿フォームにも抗議のメールがたくさん寄せられていた。津放送局にも電話で抗議があり、一件一件フォローしきれない状態になりつつあった。

上司も心配してきた。
 
上司「署名記事ということもあるけれど、個人批判はきつくないだろうか。そのままで大丈夫?」
 
私「問題ないです」
 
上司「記事を受けて『なんでこうした視点での取材がないんだ』という批判もたくさん来ている。そのあたりも含めて、あらためて続編を取材する、といったらできそうかな」
 
私「分かりました。腹をくくってのぞんだ取材なので、ここまできたら、やりきります」


※ここまで読んでいただきありがとうございました。後編に続きます。

周防則志 津放送局 記者
山口県に生まれ、穏やかな瀬戸内海を眺めながら育つ。2020年、初任地の三重県では事件や事故、防災や人口減少などが主なテーマ。「今」を記録していきたいと地域の話題を中心に取材。特技はどこでも寝られることと食べること。入局から10キロ以上体重増えました。三重のおいしいものを食べている時が心安らぐ時間です。

周防記者はこんな取材をしてきた


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