記事一覧
美術はコミュニケーションツール
「作品を制作する上での情熱は何ですか?」
と聞かれた。
正直私はどう答えたらいいか悩んだ。
そもそも湧き上がる情熱みたいなものを感じたことがない気がする。
ほぼ毎日大学に行き、日が昇ってから沈むまで制作に勤しむ私は傍から見ればパッションの塊のような人間に見えるのかもしれない。
だが実情は淡々と作業を進めていく毎日である。
美術がやりたいというより、自分のコミュニケーション手段が美術だった。
自分を大事にできるように
自分の意見を伝えるのが苦手だ。
いざという時にどうしても自分の意見を引っ込めてしまう。場が丸く納まるなら黙っておこうと思ってしまう。
それだけならいいのだが、いざ自分が決定権を持った時に中々決められない。自分の選択に自信が持てない。
自分にとっては本音を絞り出さなけゃいけないものだ。自分が飲み込めば場を荒立てずに済むと思ってきたから、どうしても自分の気持ちを出すのに時間がかかってしまう。
あ
簡単に他人を否定できないことについて
私は昔、本当に性格が悪かった。
自分の気分で行動し、平気で人を傷つける人間だった。謝らないといけない人が沢山いる。でも今更私の顔も見たく無いという人も多いだろうし、そんなのはただの自己満足にすぎない。
だから私は簡単に他人を否定できない。そもそもその資格が無いのだ。芸能人がもの凄く批判されてたり誰かがうっかり炎上してるのを見ると次は自分かもしれないと思う。
私も誰かに傷つけられた経験は沢山あ
noteを始めてみることにした。
ここ数年、人前で自分の話をする機会が増えた。
正直、人前で話すことにはずっと苦手意識がある。
雑談ができない。
上手くリアクションできない。
話さなくてもすぐ顔に出てしまう。
ここまで挙げただけでもコミュニケーションをあまり得意としていないことは明白だ。美術という道を選んだのも、言語という言わばコミュニケーションの表現手段が自分の中であまりしっくり来ていなかったという理由も大きいだろう。
しか