もん太

しがないの美大生。 好きなもの、考えたことなどの備忘録。

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最近の記事

純粋について

純粋そうだねってよく言われる。 確かに世間知らずだし、無害そうな見た目をしてるし。 でも自分自身は全くそのつもりがない。 かなり負けず嫌いだし、他人に嫉妬することだってある。 自分の中ではドロドロとした話をしているつもりでも、純度が高い話として受け取られる。 逆に自分が話を聞く時は純度が高い話として受け取る。案外そういうものなのかもしれない。角度がちがうと見え方が違う。 ちょっとした角度の違いで物の見え方って全然変わるよねっていう、ただそれだけの話。

    • 普通の人になりたい

      ずっと普通の人になりたかった。 誰かと遊園地に行って、 カラオケをして、 ゲームセンターで遊んで、 ご飯を食べて、 買い物をして、 恋人を作って、 人の輪の中に入って、 私はそれを楽しいと思えなかった。 思えばずっと昔からそうだった。 飲み会でのノリがよくわからなかった。 からかわれた時、どう返したら正解なのかがわからなかった。 大して練習もせず迎えた文化祭が終わりに感動の涙を流せるクラスメイトの気持ちがわからなかった。 頑張って人に合わせてみても、全然上手くいかな

      • 自分を変えたかったけど、変えられなかった

        この夏、自分の中で一つ目標にしていたことが叶った。 たまたま紛れ込んだプロジェクトで、いろんな人を巻き込んで一つ作品を作った。 それをきっかけに沢山チャンスも貰い、いろんな人に出会うことができた。失敗もしたけれど、得られたものもたくさんあったと思う。 ただ自分自身が変わったという感覚は全くない。むしろ私は全然変わっていない自分にちょっとしたショックを受けている。 その企画はスランプ気味だった時に出会った。 自分一人で行う制作に行き詰まり、誰かと何かをすれば刺激になって

        • 美術はコミュニケーションツール

          「作品を制作する上での情熱は何ですか?」 と聞かれた。 正直私はどう答えたらいいか悩んだ。 そもそも湧き上がる情熱みたいなものを感じたことがない気がする。 ほぼ毎日大学に行き、日が昇ってから沈むまで制作に勤しむ私は傍から見ればパッションの塊のような人間に見えるのかもしれない。 だが実情は淡々と作業を進めていく毎日である。 美術がやりたいというより、自分のコミュニケーション手段が美術だった。 情熱なんかじゃなくて、それしか手段がなかった。 昔から話すのが下手くそで、言い

        純粋について

          自分を大事にできるように

          自分の意見を伝えるのが苦手だ。 いざという時にどうしても自分の意見を引っ込めてしまう。場が丸く納まるなら黙っておこうと思ってしまう。 それだけならいいのだが、いざ自分が決定権を持った時に中々決められない。自分の選択に自信が持てない。 自分にとっては本音を絞り出さなけゃいけないものだ。自分が飲み込めば場を荒立てずに済むと思ってきたから、どうしても自分の気持ちを出すのに時間がかかってしまう。 ある時、制作をしていた時にケガをして喚いている子がいた。その時私もケガをしていたが

          自分を大事にできるように

          簡単に他人を否定できないことについて

          私は昔、本当に性格が悪かった。 自分の気分で行動し、平気で人を傷つける人間だった。謝らないといけない人が沢山いる。でも今更私の顔も見たく無いという人も多いだろうし、そんなのはただの自己満足にすぎない。 だから私は簡単に他人を否定できない。そもそもその資格が無いのだ。芸能人がもの凄く批判されてたり誰かがうっかり炎上してるのを見ると次は自分かもしれないと思う。 私も誰かに傷つけられた経験は沢山あるが、それ以上に傷つけた人がいる。こうやって書いた事で自分がしたことは消えない。

          簡単に他人を否定できないことについて

          やりたいことが無いのかと聞かれるのが、ずっとしんどかった

          私はやりたいことがある人間ではない。 自分を美大生だと紹介すると、 「やりたいことあって良いよね〜」 とか、 「好きなとこできて羨ましい〜」 とか言われてしまう。 そうじゃない。 やりたくないことから逃げて、逃げて、逃げた場所が美術という領域だった。 小学生時代はかなり荒れている環境で過ごしていた。と言っても暴力が横行するというのではなく、出る杭が打たれる、目立つ人は足を引っ張られるという薄らと曇りがかった場で生きていた。 その環境から抜け出すために中学受験をした。 で

          やりたいことが無いのかと聞かれるのが、ずっとしんどかった

          作ってみて初めてわかることがある

          なぜ作品を制作するのか?、 ましてやなぜ作品を人様に見せるのか? と聞かれたことがある。 正直まだ自分の中で完璧な答えは出ていない。 そもそも作品を制作していても大半が苦しい。思ったような形にはならないし、予定は上手く行かない。頭の中は混沌とし、焦り苛立つ自分を何とか宥めながら作業を進めていく。 そこまで苦労して完成した作品は、そんな私の葛藤を感じさせない様子でそこに存在していたりする。 なぜそこまでして制作しているのだろうか? 何かを生み出す行為は自分の身を、命を削

          作ってみて初めてわかることがある

          noteを始めてみることにした。

          ここ数年、人前で自分の話をする機会が増えた。 正直、人前で話すことにはずっと苦手意識がある。 雑談ができない。 上手くリアクションできない。 話さなくてもすぐ顔に出てしまう。 ここまで挙げただけでもコミュニケーションをあまり得意としていないことは明白だ。美術という道を選んだのも、言語という言わばコミュニケーションの表現手段が自分の中であまりしっくり来ていなかったという理由も大きいだろう。 しかしそんな私の思いとは裏腹に、話す機会は少しずつ増えていった。そんな中で私の話を、

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