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【ルーツ旅🌺実家の謎の解明⑧】因果応報あるいはささやかな復讐👿⚡

何かがおかしいと思っていた両親の秘密が明らかになり、気分がスッキリした私ですが、1つ気になるのは、あんなにひどいことをされた母が、祖母のことをどう思っていたのかです🤔

父との結婚については、おそらく時間の経過とともに受け入れたのでしょうが、それと同じように、祖母のしたことを許したのでしょうか?

これについては最近、祖母の死にまつわる新事実が明らかになったことで、解明されました。今回は、それについてお話します。

久々に、もののふ椿の精の登場です!😆

何度も言いますが、私の似顔絵じゃないですからね。
イメージですよイメージ😅

▼祖母の最期の言葉

私の祖母(T子さん)は、今からだいぶ前に、92歳で亡くなりました。その日はたまたま私の両親がお見舞いに行っていて、最期に立ち会うことができたそうです

その時の様子について、母(E美さん)は私にこう言いました。

「お母さんは亡くなる前に、『E美、痛いよ』と言ったの

それが祖母の最後の言葉になったそうです。

当時それを聞いたとき、母は嬉しかっただろうなと思いました。あのしっかり者の祖母が、最後に弱音を吐いたんだから、母は頼られていると感じて嬉しかったんじゃないかと思ったのです。

でも、それはとんでもない勘違いでした。

▼おばから聞いた衝撃的な事実

前にも書いたかもしれませんが、母には5歳違いの妹(おば)がいます。
母が亡くなる2年ほど前、病院に通いやすいよう、おばの家に1か月ほど滞在したことがありました。

そのとき、はじめて母は、自分の結婚の経緯をおばに打ち明けたそうです。当時、おばは看護学校に行くために家を出ていたので、何も知らなかったんですね。

驚くおばを前に、母は祖母が亡くなったときのことについても、こう話したそうです。

「最後にお母さんが、『E美、痛いよ』と言って手を伸ばしてきたとき、私は思わず、バシッ!とその手をはねつけたの。

お母さんは私を二度捨てたくせに、なによ!

と、その時思ってしまったのね」

ええっ

やはり母は、祖母のことを許していなかったんだ・・・。

でも、祖母のお葬式で、母が人目をはばからずに泣いていたことからすると、母はきっと祖母のことが嫌いではなかったんでしょう。愛憎半ばするというか、きっと祖母に対する複雑な感情を抱いていたんだろうなと思います。

▼祖母の亡くなった日は・・・

ところで、私は最近、noteを書くために祖母の戸籍謄本をあらためて見ているうちに、あることに気が付きました。

なんと、祖母が亡くなった日は、母の結婚式があったのと同じ11月3日だったのです。

まさか、祖母が無理やり母を結婚させてから数十年後の同じ日に、祖母が亡くなるとは。しかも、助けを求めた手を母に振り払われ、拒絶されたまま・・・

私は以前、「因果応報は信じない」と書きました。先祖のしたことが子孫に報いるという考えは、迷信にすぎないと思ったからです。

今もその考えは変わりませんが、同時にこうも思います。

自分がかつてしたひどい行いが、その後自分に返ってくるという意味での因果応報なら、それは十分あり得ると。

祖母が母にしたひどい仕打ちの報いを、祖母は亡くなる間際に受けたのです。それは迷信でもなんでもなく、母がした正当な反抗、あるいは復讐だったのだろうと思います。


次回は、私のルーツ探しの師匠である田村さんに、先祖がひどいことをしたときの考え方について解説してもらい、それをこのシリーズのまとめにしたいと思います。

(続く)
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