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【旅の休憩所⑧】子ども時代、母の生まれ故郷で私が目撃したものとは

ホテルの女主人の占い(というより完全に話芸ですが☺)を楽しませてもらい、すっかりリラックスした私は、その夜ぐっすり眠りました。エネルギーをチャージしたところで、翌朝、いよいよ母の生まれ故郷に向かいます。

▼バスの中から始まる記憶

その町には母の親戚が住んでいるはずですが、私が覚えている限り、山形と同様に、母がそこを訪ねたのは一度だけです

私がまだ子どものとき、母が私を連れて、W町行きのバスに乗ったことがありました。後ろの座席に座ったようで、だいぶ前のほうに運転席が見えます。バスが動き出すと、右側の車窓から、木々が飛ぶように過ぎて行きました。

目的地に着くと、料金箱のところで母が運転手になにか話しかけていました。料金か、降りる場所を尋ねていたのでしょう。私がバスから降りると、外は不思議なほど明るく、枯れたような草がぼうぼうと生えていました。

大きな通りから脇にそれて、細い道をしばらく歩いていくと一軒家があり、中におじいさんがひとり、私たちを待っていました。

▼畑の中に見たものは

おじいさんは私たちに、ついてくるようにと身振りで示しました。建物の裏手にまわると、そこには、すでに収穫の終わった田んぼがたくさん段々畑のように並んでいます。

母とおじいさんは、並んであぜ道を歩き、私は後から遅れてついて行きました。急な斜面をのぼり、右に曲がってさらに歩いていくと、突然、畑の雑草の中から、たくさんの木の板が突き出ているのが見えました。

お墓です。

母がここに来たのは、お墓参りのためのようでした。
私が立ち止まると、ふたりは背の高い雑草の中に分け入り、姿が見えなくなってしまいました。

私の記憶は、そこで途切れています。案内してくれたおじいさんが誰なのか、お墓は誰のものなのかはわかりません。そのとき私がわかっていたのは、そこは母が子どもの頃に暮らした町であることだけでした。

▼明治時代の戸籍を手に入れた

それから30年以上たち、いま、私は再びそのバスに揺られています。なんだか感慨深い。料金箱には、その頃になかったICカードのマークが付いています。

私は、母の形見のメガネケースをカバンにしのばせていました。母があの世で喜んでいるかどうかわかりませんが、この町には滅多に来ることもないだろうし、母に故郷を見せてあげたかったのです。

ネットで調べると、W町はうちの実家から直線距離で30キロも離れておらず、電車だと最寄り駅まで30分以内で着きます(そこからバスで20分ほど)。そう遠くないのに、なぜ母が普段来なかったのか不思議でした。

バスが住宅街を抜けると、急に景色が変わりました。右側には山があり、左側には川が流れていて、斜面に茶畑が見えます。当時のことは覚えていませんが、きっと私が昔見たのも、こういう景色だったんだろうな。

2017-08-21 20.29.56-63窓からの景色

W町の役場は、バス停を降りてすぐ近くにありました。住宅が密集していて、私が昔降りたバス停とは違うようです(もっとも、数十年たてば町の様子もすっかり変わっているはず)。

私は戸籍の窓口で、「できるだけさかのぼって、除籍謄本と改製原戸籍をすべて取りたい」と伝えました。そして、あらかじめ用意していた、自分と母親の戸籍謄本と、自分と先祖のつながりがわかる手書きのメモを渡しました(あと自分の身分証明書も)。

窓口の人は、そういうリクエストにはあまり慣れていなかったようですが、15分もすると、「お待たせしました」といって、戸籍の束を持ってきてくれました。電子化された今では滅多に目にすることのない、手書きの縦長の戸籍です。パッと見ただけで、明治時代の先祖の名前がたくさん書かれていることがわかりました。

ここにどんな情報が詰まっているんだろう。私はワクワクしました。

戸籍の情報は一見、無味乾燥ですが、丹念にみていくと、色々なドラマが見えてきます

私も、その戸籍をみたときにようやく、母がなぜあのとき、私をW町に連れて行ったのかがわかりました。

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