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【旅の休憩所⑨】お墓の中に入っていたものは、骨じゃなかった

古い戸籍の話をする前に、W町にあった母の実家について少し書いておきます。母が生まれた頃、その家では、味噌や醤油を作る仕事を生業にしていました。

▼ひとときの幸せな生活

広い工場には、大きな樽がたくさん並び、いい香りがそこら中に漂っていました。母によると、あるとき樽のふちを歩いていた猫がうっかり樽の中に落ちてしまい、大騒ぎになったことがあったとか。樽が大きすぎるのも、考えものですね(その後、猫と商品がどうなったのか気になるところです……)。

そんな中、時代は戦争へと突き進み、第二次世界大戦が始まりました。

母の父親、つまり私の祖父も戦争に行くことになり、軍属として満州に渡りました。味噌や醤油の醸造の知識を買われ、現地で指導をする仕事をしたそうです。

数年後、私の祖母は、子ども2人を連れて満州に移り住みました。そう、20歳のときに新興宗教にのめり込み、ひとりで山形から京都に移住した、あの祖母です。夫を追って満州に移住するとは、相変わらず思い切ったことをしますね。

でも私は、その後に起きた一連の出来事を思うと、あの時、祖母が満州に行かなければ良かったのにと、心から思います

ともあれ、現地で祖母は3人目の子どもを生み、家族5人で幸せに暮らしたそうです。
あの日が来るまでは。

▼命からがら日本へ帰国

1945(昭和20)年8月初旬、祖父は軍部から呼び出されました。一方、祖母は現地のネットワークで、日本が戦争に負けたことを知ります。

ソ連が約束を破り、国境を越えて攻めてくるとの話も聞こえてきました。一刻も早く逃げなければ、殺される。そんな状況でした。

祖母は3人の子どもを連れて、たくさんの人と一緒に、トラックや汽車で必死に逃げました。しかし、途中で敵に足止めされ、収容所に入れられてしまい、そこで数ヶ月間暮らすことに

収容所の生活は色々と大変だったようですが、今回はさっくりと省略して、祖母らはなんとか一年もたたずに帰国することができました。

引き揚げ船には、子供を現地で失った人が多く、3人を連れていた祖母は珍しかったそうです。
帰国したとき、母はまだ6歳ぐらいでした。

しかし、過酷な体験をした人が、そのまま何事もなかったように、普通に生きていくことは難しいものです。この体験がそのあと、母や祖母の運命に暗い影を落としていきます。

というより、母や祖母がああいう人間になったのは、その時の体験が大きかったんだなということが、つい最近わかったというのが正直なところです。
ルーツ探しは、家族の謎を解く作業なんだなと、しみじみ思います。

▼3年後に祖母の元に届いたものは

ところで、あの日、軍部に呼び出された祖父は、それきり帰ってきませんでした。

ここでやっと、祖父の戸籍を見ることにしましょう。

「昭和20年11月28日、満洲牡丹江で死亡」と書いてあります。

日本が戦争に負けたあと、祖父は敵に捕まり、どこかへ連れて行かれて3ヶ月後に死亡したようですが、具体的なことはわかりません。

終戦から3年後、ようやく祖父の死亡通知が、祖母のもとに届きました。その時一緒に届いた小箱には、骨ではなく、現地の小石が入っていたそうです。

そう、私が子どもの頃にみた畑の中のお墓には、遺骨ではなく、小石が入っていたんですね。

▼秋の日の墓参り

私が母に連れられてあの町に行った日、田んぼはすでに刈り取りが終わり、外は晩秋の景色でした。
あれは、祖父の命日である11月28日前後だったんだろうなと、戸籍を見て初めて思い当たりました。

いまから思うと、当時私の年齢からして、祖父が亡くなってから30年ぐらい経っていたはずです。
仏教では33回忌がありますが、神道では式年祭として30年で祭り上げして終わりにすることが多いんだとか(←ネットの聞きかじり)。A教は神道系だから、多分同じでしょう。

そんな風に考えていくと、あの日が具体的にいつだったのかも大体わかったような気がして、自分がまるで探偵にでもなったかのような気分になります。
うーん、ルーツ探しは奥が深い。

ただ、普通なら、きょうだいや親戚と連れだってお墓参りをするはずなのに、母はまだ幼い私だけを連れて行きました。
親戚関係が疎遠になっていたのか、それとも他の理由があったのか、色々と考えさせられます。

▼川を泳ぎ切る体力があれば……


終戦後、祖父の戦友が祖母のもとを訪ね、最後に祖父と別れたときのことを教えてくれたそうです。

それによると、敵に連行されている途中、戦友は、「川を泳いで一緒に逃げよう」と祖父を誘ったのだとか。

ところが祖父は、「体力がないからムリ」と断ったそう。それが運命の分かれ道となりました。

そういえば、祖父は軍属であって、軍人ではなかったんですね。訓練とかの体力作りも、あまりしていなかったんじゃないでしょうか。

実家に一枚だけある写真を見ると、祖父は丸メガネをかけてヒョロッとしていて、ドラえもんののび太くんを思い起こさせます。

生き延びるには、体力が必要。

そのことがよくわかりました(私もせめて、家でヨガでも始めようかな……)。

今回はずいぶん長くなりました。次回はちょっと息抜きして、何か明るい話題をひねり出したいと思います。

(続く)

<<<次回:明るい話題はこちら。

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