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日本の公鋳貨幣

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日本が発行した「貨幣」の解説や、流通していた「貨幣」の歴史などをまとめた記事です。1から順に時系列順に解説しています。
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#日本の歴史

日本の公鋳貨幣38『慶長小判』

日本の公鋳貨幣38『慶長小判』

江戸時代に入ってから長らく更新が止まっていました。

とある企業さんの歴史ビデオの制作を行ったり、

編集を手伝っていた本が書店に並んだりと、色々忙しくしておりましたが、ようやく一息つけそうです。

しかし、最近は、書店売りの本をあまり編集しなくなってきたので、年に3冊くらいはやっておかないと感覚が鈍りますな……。

江戸幕府の貨幣基準となった『慶長小判』

今回は、徳川幕府すべての金貨の基準とな

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日本の公鋳貨幣37『三貨制度』

日本の公鋳貨幣37『三貨制度』

江戸時代の貨幣制度を一言で表すとなると「三貨制度」に尽きると思います。制度じたいは江戸時代初期から完成していましたが、実際に「三貨」という名称が使用されたのは、文化12(1815)年に出版された『三貨図彙』です。執筆したのは両替屋兼貨幣収集家であった草間直方でした。

三貨制度を簡単に説明しますと、日本国内で全く価値体系の異なる3種類の貨幣を流通させたということです。現在、日本では「円」という単位

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日本の公鋳貨幣30「室町幕府の撰銭令」

日本の公鋳貨幣30「室町幕府の撰銭令」

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自らの首を占める撰銭令を出した室町幕府

なんだかんだでこの記事も30本を超えてきました。今回から、16世紀の話へと本格的に移っていきます。

16世紀は、本格的な戦国時代に入った時代です。日本全土が一度バラバラとなり、そして新たな権力の誕生によって再統一されるまでの100年間と考えてよいでしょう。それまで東アジア間のみで行われていた日本の貿易のプレイヤーにヨーロッパ勢が加わってき

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日本の公鋳貨幣29「銭の購買力を保証するための撰銭」

日本の公鋳貨幣29「銭の購買力を保証するための撰銭」

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帰国できない大内義興の苦難

前回、大内氏が応仁の乱による外圧から撰銭令を出した実例を紹介しました。大内氏としては、応仁の乱の軍事物資の調達や、領内の貨幣不足の解消が目的です。戦時措置として出された緊急例なので、この撰銭令、応仁の乱が終結してしまうと何かしら問題が起こります。

延徳4(1492)年、大内家領内の豊前国で、突如大内氏は悪銭の通用を停止します。悪銭がどの種類の非基準銭

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日本の公鋳貨幣28「戦に左右される撰銭」

日本の公鋳貨幣28「戦に左右される撰銭」

前回はコチラ
https://note.com/money_of_japan/n/n063772a52e7b

はじめに
領民の都合により、地域ごとに異なる基準で始まった「撰銭」。その撰銭の基準を領主が定めなおす撰銭令は、領民の貨幣使用実態とかけ離れないように、社会慣行をベースにして、細則を追加していくという形をとっていました。つまり、本来なら撰銭令など定めなくても、領民が勝手に行う撰銭で経済は回

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日本の公鋳貨幣27「悪銭の利用開始」

日本の公鋳貨幣27「悪銭の利用開始」

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唯一の基準となった1枚=1文の価格設定第25回と第26回はどちらも15世紀の中期から後期にかけての話をしました。明国内の事情により銭の輸入量が減少したことと、幕府の弱体化で地方ごとに経済圏が誕生し、中央政府の統率を離れ地域の実情に応じた貨幣使用が必要となったことを描き来ました。

この2要素が重なったことにより、15世紀後半に「撰銭」が全国的に広まっていったわけですが、再三note

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日本の公鋳貨幣26「京経済の崩壊」

日本の公鋳貨幣26「京経済の崩壊」

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「嘉吉の乱」により守護が将軍に疑問を抱く「撰銭」文化の解説のため、中国の状況に多く紙幅を割いてしまいました。
話は一度日本に戻ります。日本で撰銭が始まる15世紀後半というと、第23回で解説した、徳政令を求める徳政一揆が頻発するようになった時代です。為政者である幕府にとって徳政の実施は、自らの権威のアピールと、一揆鎮圧軍の出動費倹約という一石二鳥の政策でした。このことは裏を返すと、軍

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日本の公鋳貨幣25『階層化する撰銭』

日本の公鋳貨幣25『階層化する撰銭』

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銭1枚=1文の原則に生じたヒビ日明貿易が始まり、正式に国交が結ばれた日明間でしたが、それでも銭の輸入量は期待するほど増えませんでした。宋銭の時と異なり、この時代は中国大陸でも中古銭の価格が上昇しておりました。中国人商人からすれば、わざわざ国外に売りに行かなくても中国で高く売れるわけですから、国内で売った方が輸送コストも抑えられますし地元の信頼も得られて一石二鳥なのです。

銭が輸入

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日本の公鋳貨幣24「永楽通宝」など明銭

日本の公鋳貨幣24「永楽通宝」など明銭

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室町幕府はなぜ銭を発行しなかったのか?前回、さらっと中国大陸の皇帝が3代の永楽帝に変わったことを書いてしまいました。永楽帝は、古銭マニアではない人も一度は聞いたことがあるであろう古銭『永楽通宝』の名前のもととなった明の皇帝です。永楽通宝が日本で作られた貨幣だと思っている人も多いのではないでしょうか?ですがこれは、中国「明」でつくられた、れっきとした明銭です。

日本の古代の朝廷は、

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日本の公鋳貨幣23『義満財政の誤算』

日本の公鋳貨幣23『義満財政の誤算』

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義満死後急速に衰退する室町幕府前回、室町幕府第3代将軍・足利義満が、いかにして財政を再建したかというお話をしました。規制がなかった中世の金貸しを保護するという名目で、そこから税金を取っていたこと。金は徴収するが、権力を抑えるべく金貸しの支持母体である古い宗教勢力ではなく新興の禅宗を特に篤く保護したこと。さらに、メンツを捨て明の冊封体制下に入ることで貿易を開始し、莫大な富を築いたこと

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日本の公鋳貨幣22『足利義満の財政再建』

日本の公鋳貨幣22『足利義満の財政再建』

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お世話になっている貨幣研究家の先生が本を出すというので、自分の勉強も兼ねて編集のお手伝いをしております。会社には内緒ですw。発表できるタイミングが出たらアナウンスしますが、原稿を読んでいるだけでかなり衝撃的な内容になりそうです。

あと、もう一方お世話になっている先生が今月お金の本を出版されるとのことなので、それもそのうちちゃんとアナウンスします。ではでは、第22回の内容に入ってま

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日本の公鋳貨幣21『明の海禁政策』

日本の公鋳貨幣21『明の海禁政策』

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中国からモンゴル勢力が追い出される南北朝の動乱の最中、日本では納税手段として貨幣を用いることが定着しました。このことは日本人に強烈な貨幣需要を生みましたが、同時代の日本は、それまでのように海外から銭を輸入できなくなっていました。

全ては、中国大陸で「元」が滅亡したことから始まります。

そもそも、モンゴル帝国から分裂した「元」は、土地や出自に囚われない人材登用を行っていました。「

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