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旅芝居・タイガー&ドラゴン

旅芝居・大衆演劇の独特のカラーは興味深いな面白いな、と思っている。
〝ちょっと古い感〟とか? 〝ちょっとワルい感〟とか? (舞台上も客席も)
なんだかなんというか旅芝居独自の色だな、って。
苦笑いといい笑いの間みたいな笑いをしてしまう、ああ人間だ、って。
好きかと問われるとわからないけれど、悪い意味(だけ)じゃなく。
しかし〝この感じ〟を一定層の旅芝居ファンが否定したり嫌ったり、みてみぬふりをしたりなきものにしようとしたりしている傾向もある。
最近(いや、常にやけどな)SNS上でそんなことが多く語られているのも目にする。
「田舎臭いのが嫌」「高尚を目指すべき」「ファンキー」(あ、これは褒め言葉?)
個人の感想としての気持ちはとてもわかる。
でも、なんだかね、
偏り過ぎた意見が拡散されて、
絶対的に正しい意見のように広まったり信じ込まれたりする傾向はどうなのかなあ、
数の暴力だな、こわいんじゃないかな、と、ちょっともやもやしてしまったりもする。
そんなときに観た劇団は、「家族」「こてこて」「一生懸命!!」で押しまくる劇団だった。
 
座長は懸命すぎるほどにおおきな声でたくさん喋りたくさん笑っていた。
全身全霊、おおきな仕草と踊りと声で宣言していた。
「ウチの劇団は面白おかしく元気の出るステージです!
皆さんに元気になって帰ってもらうのを目標にしてますからね!」
前のめりなくらいの勢いでお客さんを笑かして、座員(家族)にははっぱをかけて、
舞踊中カメラを向けるお客さんにはすぐにピースや変顔をくれて、
ひとりひとりのお客さんの顔を見て、ひとりひとりに話しかけるさまは掲げているモットーを体現していた。

観た場所もよかった。
公演中の小屋「梅南座」は地下鉄四つ橋線「花園町」の民家の中にある。
元鉄工所だったとも聞くちいさな地域密着型の劇場だ。
近所の人が乗ってきた自転車が劇場前にたくさん停められている。
このなんとも味のある劇場で、
サザンだのなんだの、ちょっと古めの懐かしい曲による舞踊とこのモットーの劇団をいろんな皆と観ていると「古くてとほほ」というより、
ちょっと笑いながら「じわじわ」な気持ちになった。
 
この日の観劇はいつも同行の「イケメンに目がない」友人が、
目下売り出し中の若座長である座長の息子くんを観たいと言ったのがきっかけだった。
でも2人共ゲラゲラとずっと笑って観て、
帰り道で友人は珍しくにこにこと言った。「楽しかった」私は噴き出した。
 
中でも座長の歌のコーナーはたまらなかった。
曲は『タイガー&ドラゴン』!
とにかくおおきな声で歌う。巧いとかそんなのじゃない。
リリースされて以来、歌でも舞踊でももうテッパン曲となっているこの曲は、虎、龍、ヤンキー、元気、ちょいワルで「めっちゃ旅芝居」だと思っている。イントロの時点で血が沸くのはわたしだけじゃないだろう。
舞台上の幕にプロジェクターでうつされたのは夜景。それ要る? トホホじゃない?
でも下町の舞台のスクリーンのそれは横須賀の海で、花園町だけど横須賀なのだ!
さらに座長は、舞台から降りてきて、歌いながらひとりひとりと握手をして回る。
「(握手タイムがコロナ禍を経て)戻ってきましたぁ!」
全身全霊でひとりひとりに「ありがとぉ!」「ありがとうございます!!」「またよろしくお願いしますっっ」客席の皆は笑顔、みんな笑ってる。
 
「下品」「田舎臭いは嫌」「高尚を目指すべき」
「あたらしくならなければ」
「洗練されたもの(の方)がすばらしい」
「この劇団はお金をかけてる」
「この劇団は他と違ってメジャー(または「メジャーにいける」というような言い方)」
(「一流」とか「メジャー劇団」とかって言い方がまたね)

そう? そうかもしれない。けど、それだけじゃなくない?

いろんなことを考える。

つまりそれは自分の好きなものを理想化して押し付けてるとも言えへんやろか?

「私が好きな大衆演劇は●●であるべき」?
「旅芝居なんて」と言われ続けてきた歴史と
「旅芝居を観ている・ハマってるなんて人には言えない、すすめられない」という気持ちから?
 
コンプレックス、のようなもの。
それは旅芝居の独自の特有の進化のもととなっているものでもある。
むかし、むかしむかしからの。
でもね、そのコンプレックスのようなものは、
だからそうして今に至り、今、
この他にはない色とにおいと形になっているのだ、
それがこの他にはない進化とカタチなのだとわたしは思っていて。
いいとか悪いとかじゃなくて。むしろ悪いだけじゃなく、も含めてのね。
(とは、先月、大先輩ジャーナリストとの話にも改めて出てきた)
何年も前、そのようなことを「ヤンキー文化」という言葉と現象に例えて書いたら、会ったこともかかわったこともない熱心な熱狂的な旅芝居ファンから狂ったような大量のメッセージが届いたりもした。
このひとはつまりは「ヤンキー」や、これも例えとしてよく使われるところの「ホスト」という言葉への嫌悪感と差別で瞬間的に過剰反応をしてしまったのだろうと思うが。
元気かな、まだ観ておられるかな、大丈夫かなあ。
 
地方、村、家族、ローカル文化とヤンキー文化と、都会的なものへの憧れと、時代と。
「ここではないところ」への憧れや、
諸々への抵抗からの「自分(たち)ではないもの」になろうとしたり、
なれなくて、なろうとしてみても「戻ってきたり」、
日々、生と死のぎりぎりラインに居て、だから刹那的で、〝にほん的〟で。
だからダメなこと、もうこの時代では通用しないこともありすぎるほどあって。それでも日々が、日々の舞台が続いていく、
ひとりでも多くのお客さん、一枚でも多くの大入りを、そのための表裏一体の芸と舞台。
 
旅芝居・大衆演劇の魅力、
カオスでなんでもありで猥雑な舞台芸能に人々が魅了され離れられなくなる訳、
それはこの「人間」としか言いようのないにおい、
熱と気持ちと〝切なさのようなもの〟ではないか。
生きるための、生きていくことそのものそのことの切なさが匂うからではないか。
わたしはそう考えたりする。
このにおいが人々を引き付けてやまないのだ、と。
都市だけじゃなく、地方を廻り、地方の皆と接しながらの日々の舞台。
ちょい古? ちょいワル? ファンキー? 熱さ? の中の、切なさ。
それはどれだけ「今風」や「高尚を目指し」たとしても消えない気もして、
でも、それって悪いことではないんじゃないか。
無理しようとして背伸びしようとして模倣しようとしても「なりきれない」ことも含めて。
だから、底上げや格上げばかりを考えたり、客席側が文化や芸術であることやお行儀よろしすぎる感じを目指したり強要しすぎたり、というのは、ちょっとこわいことかもしれないな、とも感じたりする。
 
勿論、今この時代に“古き悪しき”を「みてみぬふり」をし、そのままにしてはいけない、とは何度も言っていること、ここにも何度も書いてきたこと。
芝居に関しても、業界のさまざまに関してもだ。
それを見過ごさずやり過ごさずの上で、
この自由さと「におい」、生のにおい、
これに魅了され、気持ちを救われる人や
(救われるという言葉はあまり使いたくないのだけれどね)
力をもらっているひとは、きっと少なくない、
舞台上も、客席もだ。
「高尚」や「洗練」、お行儀のよさだけが言われ出すと、
息苦しかったり、居場所や息する場所を奪われてしまう人も少なからずいるだろう、いるんじゃないか。
といってもきっと、
舞台上も客席も、
ふるくから今そしてこれから先も「コンプレックスのようなもの」が故に、
それでも「なにか」と「高み」を目指そうとし、
その懸命でまっすぐのちぐはぐさと、独自の、だから他にはない魅力の色と、熱と気は、進化の源となってゆき、これからも生き続けるのだろう。
それが(も?)旅芝居というものなのだろう。
いろいろ、カオス、なんでもあり、さまざますぎて、そのどれもに「好き」があって、いろいろで、だから、とてつもなき引力。人間みという、引力。
 
〝俺の 俺の 俺の話を聞け〟
 
少なくとも、あの日、あの劇場で、
皆、ほんまええ顔、していました。
皆、元気をもろてた。笑ってたんです。
ラストショー終わり、汗をかきながらも喋りまくっていた座長は最後に客席にマイクを向けて呼びかけた。
「明日も来てくれるかなー!」
「いいともー!」
ちいさな声で返したのは最前列のおばあちゃんでした、ペンライトを手にしたニコニコ顔、忘れられません。


( 浪花劇団・近江新之介座長 2023.6・16@大阪・梅南座)



面白おかしく元気の出るステージ、の座長のこの表情をご覧下さい。

カメラにピース
でもちゃんと格好いいのだ
でもカメラにアピール、の後、この後、変顔

期待の息子くん。大河一心若座長。女形で『桃色吐息』。
イントロで友人とつっつきあって笑ったけれど、きれいでした。

ラストショーは『大川流し』(美空ひばり)。
こういうのが「うれしくなる」「ほっとする」ってひとやことは、少なくないと思うのです。

アナウンスの「ラストショーは、粋なところで『大川流し』」っていう紹介もよかったなあ



この劇団に関係する、というか、
切っても切り離せない、いや、「そのもの」であり、
先日お亡くなりになった大ベテランのこと。
文中の先輩ジャーナリストと話していた際にね、教えてくれた忘れられない話があります。
「お客さん(応援さん)が言うててん。
 「わたし、“三ちゃん”の舞台の、下世話な感じ、が好きやねん」
 こういうのん、な、ほんま、ええよなあ」
私が観た最後はギラギラで踊ってた『きりぎりす』となりました。ありがとうございました。


過去の同じようなテーマの話も貼っておきますね。

都築さん(最近好きじゃないなと思うところも多いねんけど)絡みで。

とある役者のあのK-POP舞踊から。

同じクレイジーケンバンドの『ドクロ町ツイスト』からの話

noteの旅芝居記事まとめたマガジンもなんやかんや言うて結構記事たまったなー。


◆◆◆
以下は、すこしだけ自己紹介 。よろしければお付き合い下さい。
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『本で旅する』よろしく&本屋さん来てくださればうれしいです!)

構成作家/ライター/コラム・エッセイスト
中村桃子(桃花舞台)と申します。
大衆芸能、
旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。

普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、
各種文章やキャッチコピーなど、やっています。

劇場が好き。人間に興味が尽きません。

舞台鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)と、
学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)、
本を読むことと書くことで生きてきました。

某劇団の音楽監督、
亡き関西の喜劇作家、
大阪を愛するエッセイストに師事し、
大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリーに。

詳しいプロフィールや経歴やご挨拶は以下のBlogのトップページから。
ご連絡やお仕事の御依頼はこちらからもしくはDMでもお気軽にどうぞ。めっちゃ、どうぞ。

lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。

その顔見世と筋トレを兼ねての1日1色々note
「桃花舞台」を更新中です。
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旅と思索社様のWebマガジン「tabistory」では
2種類の連載をしています。
酒場話「心はだか、ぴったんこ」(現在18話🆕!!)と
大事な場所の話「Home」(現在、番外編を入れて4話)

旅芝居・大衆演劇関係でも、
各種ライティング業をずっとやってきました。
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担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、YouTubeちゃんねるで過去映像が公開中です。
こちらのバックナンバーも、
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