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|5|言葉の刃の扱い方


ここんこと、しばらく気になって考えてることがありまして。

それはね、皆さんご存知の、BLEACH(ブリーチ)のあの有名な台詞について。

『あまり強い言葉を使うなよ 弱く見えるぞ』


かの藍染惣右介氏による、こちらの発言なんですけどもね。
これにね、自分だったらなんて返すかなーって、しばらく考えてたんです。これがけっこう難しくて。

BLEACH知らない人だとなんのことかわかんないと思うんですが、知ってる人にはね、是非とも考えてみてほしい。
どう返しますか?このわかりやすい煽り文句に。
あの、藍染さんを相手に、ですよ。

BLEACHの世界観を知ってる人なら尚更、あの世界観でハジけるのが如何に難しいかというのがわかるかと思います。
ヘタにヘタなこというと、それこそたちまちダサくなる。羞恥心で弾け飛んでしまう。なぜって、登場人物たちがこぞって哲学と美学を持ったオサレな人たちだから。
なので、こっちももし参加するんだとしたら、哲学を滲ませた、詩的で含蓄のあるかんじの雰囲気にしないと、BLEACHの世界にいられない。

うおおお、どうしたら入れるんだ?!

…と、わりとガチめにBLEACHの世界観に入り込もうともがいてみた結果、私だったらこんなかんじで言ってやりたいかな、と。

『言葉の刃とはよく言ったものだが…はて、お主はちと、血を舐めすぎたか。その鈍(なまくら)では、己の魂などもう籠められまい。
さぞかし疲れたろう。ここらで引導を授けようか、藍染』

いや、キャラ設定よ笑

許してください。これが精一杯でした。
強いのか弱いのか、藍染さんとなんらかのしがらみがありそうなかんじを匂わせつつ、なんかフラグも立ってる?みたいな笑

ニュアンスを意訳しますと、

「オマエ今までどんだけ人のこと傷つけてきたん?そんな啖呵じゃ切れ味悪すぎ中身無さすぎやろ、やる気ないならもうそのへんにしとけや」

というかんじになります。
まあ、その実私はBLEACHに詳しいわけじゃないけど、藍染さんは短気な気がするから、最後まで言い切らずに鏡花水月の前に散るのもアリかな、なんて。笑

で、万が一この後バトルが始まるとするでしょ?そしたら今度は自分の卍解(ばんかい)を決めないといけない。
ヤバい、自分の卍解ってなんだ?!
私まだ自分の卍解名知らないわ。
まだ戦えない!!弱すぎる!!

BLEACHに参加するって、めちゃくちゃハードル高いことなんだな、って実感しました。はい。

ということで、今回は言葉の刃の使い方、という話です。どうぞお立ち寄りください。



言葉の刃、その力


あの、鬼滅とかじゃないです。
一応言っとくと、BLEACHの考察とかでもないです。

自分の話すことや、人との会話で使う言葉、独り言の性格など、自分の使ってる言葉の性格や個性を知ってみたらどうか、という話です。

BLEACHでいうところの斬魄刀には性格があって、対話することができるらしいですが、けっこう精神的なニュアンスを感じます。

それってきっと、斬魄刀って、性格を把握してないとヤバイとわかるだけの、絶大な影響力のあるものばかりだから、だと思うのです。
知らないと扱えない、フィーリングが合ってないと大変な事になる。
だから「理解できないやつに扱う資格はない」んですね。
精神の基盤すら危うく、そこに加えて己を生きることへの信念も覚悟もない奴が、他者を圧倒する為の大それた力だけを持とうとするのは、とても愚かなこと。
動乱の命の世界に、己で立てる覚悟はあるか。

久保さんの、そんな世界観をひしひしと感じます。

個人の感想ですがね。

伊達に斬魄刀の力を解放して力を誇示してるわけじゃなく、壮大なバックグラウンド(当人の哲学や生き様、信念)があるから美しく個性的なんですよね。

さて、SNSの時代は言葉の時代。
言葉の刃を扱う時代です。

もちろん言葉だけではありませんが、今回は言葉に焦点を絞りましょう。

僕たち私たちは自分の斬魄刀、もとい自分の言葉に、どんな力や個性があるか、考えることなどあるのでしょうか?
案外、なんとも思わずに、テキトーなことをSNSなどに投下していたりして?

そのつもりがなくても、自分に返ってくる影響はどんなものでしょう?

喜んでもらえた、傷つけてしまった、悲しませてしまった、笑ってもらえた。
役に立ったみたいだ、あんまり響かなかったみたいだ。
はたまた、そんなことはお構いなしで、なんでもいいからバズらせろおおお!!とか。

世相は人の心の鏡とか言いますし。
人の心に影響を及ぼしてしまう言葉というものには、間違いなく力が宿っていると思うのです。

「あまり強い言葉を使うなよ 弱く見えるぞ」

を、もっと優しく、知恵のある先人風に言い換えるとするならば。

「弱くてもいい。ただ、強い言葉を使うなら、お前も強くなれ。言葉は人の力になるぞ。」

どうでしょう?
ここまで違う方向性になるもんなんですね。
言葉には、いろんなものが宿っちゃうものなんです。


自分の言葉の個性とは


命に対して親しみや愛着がない人は、言葉が粗暴になる傾向があります。
そんな人の扱う斬魄刀には、おそらく悲しく暗い名前がついているのでしょう。

(※まだ少しBLEACHを引きずります。ご了承ください。)

実はこの記事を書くときに、少し卍解の勉強をしました。
そしたら、必殺技名(卍解名)、解号(かいごう:解放の合図)、斬魄刀名、となっていて、そもそもその刀の力を解放するのに、始解という段階を経ないといけないらしい。
(私、この解号というやつ、読み方「げごう」だと思っていた😅)

詳しいことは割愛しますが、私の場合を例にするならば、私は自分の言葉がどんなことを扱い、どんなことに役立ってきたかを振り返ってみました。
そして、良くも悪くも「人や自分を温めたり、邪魔なものを燃やしたり、焚き付けたりする」個性がある、と思ったので、案としてはこんなかんじ。

・斬魄刀名…灯火、灯心
・解号…「灯せ、灯して、打ち鳴らせ」
・卍解名…火打灯籠

こんなん、なにしてんの、バカげてるとか思うでしょ?笑 厨二?みたいな。
そりゃあ、自分でも何やってんだろ、と思っています。
でも、これが案外、楽しいんですよ笑

それにしても、一見強くはなさそうな必殺技(個性)ですが、火は燃え移る性質があること、使い方によっていろいろな助けになること、灯篭は明るく照らせるが強くはない。
火というものは弱点もまた明白なところなど、その性質で役割が変わる個性が面白いのではないかと。

大真面目に、こんなことを考えていました😆ww


最後に


もう十分書けたかな、と思うのでこの辺にして。

私は自分の創作意欲で卍解を考えたりしましたが、それを皆にもやってみてほしいなどとは言いません。例として挙げたかっただけなので。

誹謗中傷、炎上、燃えやすいのは言葉なのか、人の感情なのか。
いつの時代もそうであるものが、見やすくなっただけなのかもしれません。

自分が何をしているのか、何がしたいのか。
自分の言葉を見つめ、我に返る時間には、意外にも新しい発見があるかもしれませんよ。

ということで、今日はこのへんで。


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