佐藤もる

ナゴヤ→カナザワ かなりババア

佐藤もる

ナゴヤ→カナザワ かなりババア

最近の記事

しゅうえん

この2ヶ月ほどでホウレイ線のクッキリ具合に加え顎下の弛み著しく、老いに抗えない己を自覚する。 これは娘を産み落としし30代の頃、たまたま撮ってもらった写真の自分自身の変貌に愕然とした時の哀愁にも似ている(産後の肥立ちが良すぎたやつ)。 何故か。 夏が終わるから、というだけではない。 去る2024年7月15日。 その日突然6年間推し続けたバンドが終焉を迎えたのである。 振り返れば6年前のあの頃は大層ブラックな職場にいて、連日の無意味な残業とギスギスし放題の人間関係、ピッキピ

    • 新しい世界へ

      2024年7月15日。 6年に及ぶ なにか が終わった。 それについては改めて……と常に思いながら過ごしているのだが あまりにも喪失感が大きく、感情を言語化することに手を付けられないまま 夏が終わろうとしている。  まあ簡単に言えば大好きだったバンドが解散したって話なんだけどね。 で、隠居した婆さんのように老いを加速させつつもぼんやり過ぎていく日常の中に見出した一筋の光明。 それは黄金の光を纏い、眩いばかりの笑顔で私の前に現れた。 サンバのリズムに乗って(正確にはサンバで

      • Artificial Intelligence

        ここ最近の人工知能の万能感はすごい。 職場の同僚からChatGPTを熱烈プッシュされ、息子に振ってみた所 「試してみたらいいんじゃない?でも現状では結構な割合で嘘つくから嘘と見抜けないと使いこなせないよ」 との往年の某掲示板で聞いたような名言をいただきつつ先日アプリをDLした。 手始めに窓際にいた猫の写真を撮り説明を求める。 「天気の良い日に住宅街を背景として窓際に猫がいます」 その通り。 では、と玄関先に止まっていた見たことない虫を撮影して質問。 「これはサシガメの一種と

        • 前触れもなく

          ちょうど一ヶ月前の5月13日。月曜日。 いつも通りの一日が終わり、いつもなら愛用のコップにワインをドバドバ注ぐところだったのが何故か飲みたいと思えずに梅昆布茶を作った。 以前にも書いた気がするけれど私の実家の血筋は浴びるほどに酒を飲む民族である。 由緒正しきその血を受け継いで私も寝落ちするまで飲むのが日常であった。 そんな日々をもう何年続けてきただろうか。 平日は夕食を作りながら飲む。そのまま飲み続け、晩酌になだれ込む。 休日は昼から飲む。夕食の頃まで飲む。夕食のときも飲む

          はっちゃん

          当年取って54歳の正真正銘ババアであるところの私にも中学生時代というものがあったわけである。今日もまたそういうような話をつらつらとするよ。 「かっさん」でも書いたが、今現在当時から交流のあるひとは数えるほどしかいない。SNSで時々いいねしてくれるだけの人や年賀状だけの人。数年に一度会う人。 はっちゃんはその中の「年賀状だけ」になってしまった人だった。 中学生当時、はっちゃんは一年生の頃から三年生の先輩に告られ付き合っていたという結構目立つ存在だった。 二年になってまたも同

          ネコ 11歳

          ネコを飼い始めて干支が一巡する。 学童の先生が保護した捨て猫だったネコどもは手のひらサイズだった。 あの頃小学生だった息子は社会人になって娘は大学生になった。 私はただ年を取って白髪のババアになり、ネコもただ年をとっておじいニャンとおばあニャンとなった。 ヨモという雄とクロという雌のきょうだいネコである。 そのヨモが糖尿病を発症したのが三年前の春のこと。 それからというもの朝夕のインスリン投与を欠かさず食事にも気を遣ってきたのだが一月に血糖測定に行ったところ、それまで落ち

          なによりです

          2016年。 バカボンのパパの歳を軽く超え、ぼんやりと生きていた私に突如差し込んだ強い光。それがBABY METAL。 娘のような年頃の三人組(いやマジで息子と同い年だったな)。 この東京ドームを切欠に翌春フェスに初参戦。 そこから拡がる推しの世界。 Fear,and Loathing in LasVegasにダダはまりし、PassCodeに命を懸け 打首獄門同好会にシンパシーを感じ、RottenGraffitiに愛を覚え。 ヒステリックパニックに人生を捧げ……。 とにか

          なによりです

          令和6年睦月

          年末から帰省していた息子は歩いて十分ほどの実家に泊まっていた(猫アレルギーがひどくなって我が家には泊まれなくなってしまっていたのである)。それでもネコ好きだから短時間なら大丈夫!ということで元旦の昼から我が家にやって来ていい感じにダラダラ過ごし、この日金沢に帰ってくる娘(妹)を迎えに一緒に行こうぜって16時、車に乗り込んだのであった。 出発して暫し。 「お母さん、地震くるかも」 いきなりなんなのよビックリするじゃないのよ。 彼のなにかそういうアレが報せたのか、その直後に揺れ

          令和6年睦月

          かっさん

          今現在私と交流のある友達と呼べるひとは片手で収まる。 両手で数えるとなると入る友人の一人が「かっさん」だ。 かっさんとは中学時代に出会った。 サバサバした性格の彼女は剣道部に所属していた。 親しくなったきっかけは忘れてしまったが、なにか響くものがあったのだろう。私達は結構いつも一緒にいた。 そんなかっさんの実家は裕福とは逆であり、色々と苦労をしてきたようであった。遠い夏の日、花火大会の夜に我が家に連れてきた時に母がせっかくだから持っていきなさいと桃を手渡した時に 「嬉しい

          I ♡ Shiba Inu

          今朝の出勤時、前を走っていた車のリアウインドウに貼ってあったステッカーに目が留まった。そこに書かれていたのは I ♡ Shiba Inu アイラブ柴犬。 鼻先が黒く、食パンみたいな色合いのくるりと巻いた尾も凛々しい日本犬。 しばいぬ。 この車の持ち主はきっと柴犬と共に暮らしているのだろう。 飼い主に従順で賢くて勇敢。 そう。 私はその犬を「しばけん」と呼んでいた。 かつて飼っていた私の犬である。 小学4年生の時に犬が欲しいと両親に直訴し、柴犬ならと連れて行かれた先はペットシ

          I ♡ Shiba Inu

          母と私

          私の母は父に対して以外は自己中心的だったと思う。 少なくとも私達・娘に対しては支配的であった。今でいう「毒親」だったのかもしれない。 俯瞰的に見ても姉妹のうち私に対しての待遇が結構ひどかったのでは、と今にして思う。 子供心に衝撃的な記憶の始まりは幼稚園時代だ。 絵画の先生の時間に描いた私の絵を先生はいたく気に入ってくれ「この子は才能があるから是非うちの教室に通わせてみないか」と母に言ってくださったそうだ。が、母は一考の余地なくお断りしていた。習い事なんて姉達だってしていた

          もう手の届かないところに

          50年以上生きていると「あの時ああしたのは間違いだったんだろうか」とか「もしあの時ああしてたら大きく変わっていたのでは」とか そういうことを思うことが一つや二つではない。 人間なんだかんだ言って最適の選択を続けていくことなんざ無理な話で、むしろ間違いばっかりだったと思うような軌跡を連ねていくだけでもあり。 かつて我が実母が存命の頃、はっきりとこう言われた。 「今の彼と別れて私と一緒に生きて欲しい。もるちゃんには申し訳ないけど私が、絶対にもるちゃんが後悔しないようなお婿さんを

          もう手の届かないところに

          白髪とくせ毛と私

          前に「若見え、したいですか?」というタイトルで記事を書いた。 そこでも少し書き記したが今日は雨の日曜日。特に仕事もないので白髪のことについてお話しようと思う。 私と白髪の関係を説くより先に言っておきたいことが一つある。 それは私がとんでもないくせ毛だということだ。 どれくらいとんでもないかというと、何も手を加えずとも頭が1.5倍の大きさになるレベルで。軽めのアフロくらいにはなれる激しい髪の毛どもが生えている。 だから自分で稼げるようになってまず何をしたかといえば 縮毛矯正

          白髪とくせ毛と私

          朝の10分間

          数年前まで、男女差というものがかなり大きかった気がするのは自分だけだろうか。 医学部受験の「男子に下駄」も最近の糾弾である。女子を蔑ろにすることが慣例化されていた時代は過去のものになりつつある。 今や中高生の制服だって女子がスラックスを穿くのも珍しいことではない。 何より女性を鑑賞物として扱う風潮が減ってきたように感じるのは令和のいいところではないだろうか。 そう顕著に感じるのは欠かさず見ている「テレビ体操」である。 NHKで放送されている6:25から10分間の体操タイム。

          Sweets Dance

          仕事が忙しくて心身ともにヘトヘトな時に甘いものはとてもよく効く。いや、しょっぱいものだっていい。塩分は労働者の味方だ。 業務の隙間に、昼休憩のおやつに、1日の終わりに。ちょいと口に入れるお菓子のなんと美味なことか。 そんなお菓子があると嬉しい。だからお菓子をくれる人はおしなべていい人なのだ。間違いない。 姉からもらったプティゴーフルを食べるとき。 大事な友人から誕生日祝いにといただいた豆菓子を食べるとき。 尊敬する同僚からとあるお礼にともらったリンゴチョコを食べるとき。

          テレビと私

          毎日見るテレビ番組は朝6時25分からのNHKテレビ体操の10分のみである。 日曜日にはその前後の短歌と俳句も見ているが民放番組はもう一年くらいはチャンネルを合わせていない気がする。 というか、いつの間にかテレビ番組を見るという習慣がなくなってしまった。 実家にいた頃を思うと、常にテレビがついていた記憶がある。 家に帰ったらまずテレビをつける、というくらいにテレビ中心であった。 夜のニュース、歌番組、バラエティ、2時間ドラマ。 深夜放送も親に隠れてこっそり見ていた。 何か見た