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I ♡ Shiba Inu

今朝の出勤時、前を走っていた車のリアウインドウに貼ってあったステッカーに目が留まった。そこに書かれていたのは
I ♡ Shiba Inu
アイラブ柴犬。
鼻先が黒く、食パンみたいな色合いのくるりと巻いた尾も凛々しい日本犬。
しばいぬ。
この車の持ち主はきっと柴犬と共に暮らしているのだろう。
飼い主に従順で賢くて勇敢。
そう。
私はその犬を「しばけん」と呼んでいた。
かつて飼っていた私の犬である。

小学4年生の時に犬が欲しいと両親に直訴し、柴犬ならと連れて行かれた先はペットショップではなかった。
山の奥(小学生の感想です)にある寂れた繁殖屋。
ブリーダーなどという言葉がまだ無かった昭和期である。
屋外にある檻の中の子犬はどの子も必死でキャンキャン吠えていた。
ただその中で一匹、端の方でじっとこちらをみる白い顔の犬がいた。

それが私の選んだ犬だった。
名前を「けん」という。

彼を連れ帰り、間もなく解ったことがある。
なんと彼は寄生虫をお腹に持っていたのである。
よくあるタイプの犬回虫。
だから大人しかったのだ。
父は「病気の犬を売りやがって」と憤っていたが、私に後悔はなかった。
後々、母が
「けんはもるちゃんに選んでもらえて命拾いしたわ。あのまんまだったら死んどったに。あそこの繁殖屋は弱い子なんか助けようと思っとらんかっただろうで」
と言ってくれたことがあった。
犬も人間みたいに感謝してくれるんだろうか。
でもそうだったらいいな、と私も思った。

犬を飼った当初は子犬だったこともあり姉達も興味津々で散歩に連れて行ってくれることもあった気がする。
しかし一年二年と日が経つにつれ、成長した犬は珍しくもない、ただ煩わしいものとなってしまったらしい。
妹は生き物が怖い質で触ることすらなかった。
母は餌を準備するだけ。
父は自身の飼っている大型犬で手一杯。

世界中で彼には私しかいなかったし、私にも彼しかいなかった。

私は四姉妹の三番目。姉とは七つ、妹とは四つ離れている。
年齢差故、親も姉妹も話し相手にならなかった。
だから楽しかったことも悲しかったことも犬に全て打ち明けた。
親姉妹に言えないこともこっそり犬に話した。
犬は黙ってじっと私の顔を見ていた。
犬が自分の生活の軸でもあった。

中学に進み、高校に入り一浪の後、大学へ進学した。
犬はずっと私の傍にいた。
以前書いた記事にある通り、彼は私の行動の制限にもなっていたが私にとって彼は飼い犬以上の存在であるからして蔑ろにすることなど選択肢になかったのである。保健所送りなど以ての外。そんな事をするくらいならば自分が死んでやる。
彼いればの人生。
足枷と思ったことも無くはないが私が道を踏み外さず、今日も生きているのは彼のおかげだと真剣に思っている。


そして共に過ごして12年目の冬を迎えた。
その一ヶ月ほど前から夜中、尿を我慢出来ないようで「アオーン アオーン」と悲壮に泣くことが増えていた。毎夜毎夜、深夜に一回、二回、三回。近所迷惑でもあり睡眠妨害でもあり少々しんどくなっていたのも事実。
両親は私を不憫に思ってか近所に配慮してか獣医に相談し睡眠薬をもらってきてくれた。
しばらくは「使いたくない」と突っぱねていたが、それも連日となると体力が保たない。
加えて当時は大学での病院実習があり早朝に家を出て遅くに帰宅する日々だった。

心身ともに疲弊した私はとうとうそれを使ってしまったのである。

その夜は久しぶりに長く眠った。
朝起きて、犬も眠っていることに安堵し家を出た。

その日の帰り道、罪滅ぼしの気持ちもあったし、純粋に犬に喜んでもらいたいと彼の好きなサラミ味のおやつを買って帰宅した。
門を開け、自転車を停める。
いつもなら私が帰れば犬小屋に起き上がる気配があるのに、そこはしんとしたままだ。
急に襲ってきた不安と恐怖にくらくらしながら急いでそこを覗けば、微動だにしないで横たわる彼の姿があった。


その日から彼のことを忘れたことは一日たりとてない。
携帯電話の待受は彼の画像だったし、今以てスマホの壁紙は彼の画像だ。
一日に幾度となく眺める彼は今も私の一番の飼い犬であり唯一の飼い犬なのだ。

きっと私はもう犬を飼うことはない。
犬は親友だから。
もう二度とあんなにも強い絆を持つことはないだろうから。
それでも幸せなのだ。
ここまでの思い出を、愛着を作ってくれていて。
ありがとう。
けん。


今日は君が空に昇って31年目の冬の夜。

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