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前触れもなく

ちょうど一ヶ月前の5月13日。月曜日。
いつも通りの一日が終わり、いつもなら愛用のコップにワインをドバドバ注ぐところだったのが何故か飲みたいと思えずに梅昆布茶を作った。

以前にも書いた気がするけれど私の実家の血筋は浴びるほどに酒を飲む民族である。
由緒正しきその血を受け継いで私も寝落ちするまで飲むのが日常であった。
そんな日々をもう何年続けてきただろうか。
平日は夕食を作りながら飲む。そのまま飲み続け、晩酌になだれ込む。
休日は昼から飲む。夕食の頃まで飲む。夕食のときも飲む。晩酌もする。
3リットル箱ワインは一週間保たず折り畳まれる。

2週間に一度、友人がバイトしているドラッグストアでその箱ワインを3箱買う。
ストックが切れたら死ぬと思っているのでとにかく買う。
売り場に2箱しかない時には次の週にも買いに行く。
それは私にとって豪雪の時にすら歩いて買いに行くほどに重要必要不可欠な存在だったわけである。アル中かな?

ただ、心の片隅にはぼんやりと「終」という小さな文字が浮かんでいたのも自覚していた。
人はどんな好物でもキャパシティを超えると受け付けなくなるものだ。
きっと酒もそんな「限界」を迎える日が来るのではないだろうか。
そう思ってもいた。

なんとなくそれが訪れるのは母がこの世を去った年齢くらいではないだろうかと思っていたのだけれど、予想はあっさりと外れてしまった。
残すところあと3年もあったのにそいつは前触れもなく来てしまったのだ。

いや、言うて正確には前触れはあったな。
その暫く前からチューハイを美味しいと感じなくなってしまったのである。
ストロングは楽しい休日のお供だったのに、あろうことか飲み込もうとして詰まってしまったのだ。
いや、これはたまたま……そうだ、今日はなんかおかしいんかも。
そして翌週も飲んでみるが、一向にごくごく飲めない。
今までなら立て続けに2本は空になる500ml・1本を30分くらいかけて空にした土曜日。翌日曜日のリベンジストロングではとうとう嘔吐いてしまった(開けた缶は飲み干したけど)。

とはいえ、アルコールを全く受け付けなくなったというわけではない。
キンキンに冷やしたビールは相変わらず旨い!と思うし、ワインもコップ1杯飲むくらいはどうってことはない。
しかし今までのようにドンドコ飲むぞーィ!とはいかないのだ。
1杯飲んだらお代わりはいらない。もう次は炭酸水かお茶でよしとなってしまう。

いよいよ、か。
そう、いよいよ来てしまったのだ。
その時が。
それが5月13日であった。
熱い梅昆布茶はものすごく美味だった。

一ヶ月が経った今日も酒を飲んでいない。
いや冷たい甘酒は飲んでいるがこれはアルコールじゃない。飲む点滴である。
しかしこういうので十分満足なのだ。

もしかしたら、そう遠くない未来にまた爛れた毎日に戻るかもしれないし、逆に一滴も飲まなくなるのかもしれないけれど、まあ、どうなってもいいかな。
美味しく飲めればアルコールでもそうじゃなくても最高には違わない。

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