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「第1回NIIKEI文学賞」ショートショート部門落選作『二度童子といふ提案』



『二度童子といふ提案』 田中目八


ハイ、そしたらね、さつき作つておいた洗米を炊いてゆきますよ−−民俗料理硏究家として高名な井戶善景先生は快活に云つた。

さう、三日前、突如電話で祖母の死を知らされ、母の故鄕である新潟は魚沼の祖母の家に來ることになつたのだが、到着するとそこはまつたく想定外のお祭狀態であつた。

私は大阪の生れで、小さい頃は度々母に連れられこの家を訪れたものであつたが、兩親の離婚によりそれは途絕えてしまつた。

魚沼の祖母は母方であり、私は父と暮らすことになつたからである。

私が今日魚沼に行くことに父は何も云はなかつた。

そして−−ハイ、そしたらね、炊きあがつたご飯を鹽むすびにしてゆきますよ−−井戶善景先生が朗らかに云ふ。

井戶先生のお手本に習つて、しつかりと入念に手を洗い、水洗いして固く絞つた淸潔な晒布を左掌に廣げ、更にご飯がくつつかないやう水に潛らせた茶碗を持つ。

茶碗に炊きたてのご飯をしやもじでよそひ、茶碗を右手に持ち替へて晒布の上にご飯を移して輕く一、二度ふわりと兩手で握つて笊の上にころん、と轉がす。

これだけだ。

きれいに丸くしようとか、しつかり握ろうとしないのが大事なのだとか。

さうやつて、握つたおむすびが熱い內に、輕く濡らした手に輕く鹽をつけて、やはり力を入れずふうわり握る。

さう、握るといふより、まさに掬ぶ−−空氣を掬ぶといふ感じだ。

あんたは筋がよろしいですわ、と井戶先生に襃められて素直に調子に乘つてみたのは、きつと小さい頃私を可愛がつてくれた祖母のためであつたからだと思いたい。

さうして一族總出で拵へた鹽むすびを座棺の中、蹲つてゐる祖母の周りに埋めてゆく。

このときもやはり無理に詰め込むことはしないさうだ。

鹽むすびで祖母が見えなくなると棺の蓋を閉めて米藏の奧に安置しておく。

さうすると、やがて子供に還つた祖母が歸つて來るといふ。

これをこの地方では二度童子と呼ぶさうだ。




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