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第5章 Utopia -2

「もうすぐ着くわね。」

一時間くらい揺られただろうか。僕らは東所沢駅で電車を降りた。都会のビルの摩天楼に比べて静かな世界が広がっており、家族連れが街を歩いていた。ベービーカーを押す人や子供を肩車して歩く人々で溢れていた。

「こんな住宅街に何があるの。」

僕が不思議そうに聞くと、黒奈が答えた。

「角川武蔵野ミュージアムって知ってる。私そこに前から行ってみたかったの。」

「聞いたことある。美術作品とプロジェクションマッピングを交えたみたいなのでSNSで人気のスポットだって。」

「そうそう。私、ここでピカソ展があるって聞いてどうしても行きたくなって。」

「ピカソ好きなの。」

「ええ。好きよ。」

意外だった。黒奈はモネとかが好きかと思っていた。というか、芸術に興味があるのだと思った。駅からそこそこ歩くと植物に囲まれた公園があった。可愛らしい3歳くらいの子たちが走り回っており、親たちがそれを遠目で見ながらベンチで世間話をしていた。僕にもこういう時代が来るのだろうかと思った。そんなことを想っていると、角川武蔵野ミュージアムに着くと僕らはチケットを買い、早速中に入場した。入るとすぐにスタッフの案内があり、指示に従い進む。音楽と共にピカソの芸術作品のプロジェクションマッピングがはじまる。転調のある軽快な音楽が活気盛んな青年期のピカソの絵が表示されていく。そして、陰鬱なテンションの曲がはじまり、迷いの時代がはじまった。狂気めいた作品が並び、ゲルニカがスクリーン中央に表示される。そして、最後の作品自画像が表示された。そして音楽が終了する。

「すごかったわね。音楽と映像がすごく合ってたわ。」

「本当に、ピカソの人生がうまく表現されていてよかったよ。」

「本当にここにこれてよかったわ。セレンくん一緒に来てくれてありがとう。」

「僕の方こそ、気持ちの整理が少しできたよ。」

「それは良かったわ。」

その後も、ピカソの作品がいくつか展示されていた。僕らは、ぐるりと一周し、建物を後にした。外はだいぶ涼しくなっていた。所沢自体が都心よりも涼しくなっていた。カフェスペースがあったのでそこで二人で休憩することにした。

「たまには自然に囲まれた場所もいいね。」

「そうでしょ、都会もいいけどこう言う人里のないところもいいわよね。あとね、セレンくんに言わなきゃいけないことがあるの。」

「何を。」

黒奈が深刻そうな顔をしていた。僕は何を言い出そうとしているのか想像もできなかった。僕は、緊張しながら先ほど買ったカフェラテを一口飲んだ。

「実は昨日、未来ちゃんを車で轢いた犯人なんだけど、ブルーガーデン信者の老人だったの。」

「えっ。ブルーガーデン信者。」

困惑している。ブルーガーデンの信者が元ブルーガーデンの人間を殺した。どうして。いや、でも本当に認知症だったのかもしれない。

「そう、たまたまにしては少しできすぎた話じゃない。しかもその車は事故当日に点検していたの。」

「点検した当日に事故。」

「怪しいわよね。」

点検した当日に事故をして、ブルーガーデンの信者だった。ますます怪しくなってきた。この事故は本当に事故だったのか。嫌な考えが浮かぶ。

「でもなんで奴らは未来を。動機がわからない。」

「そうね。そこは謎よね。」

「そういえば、黒奈は僕に何か言いたそうだった。」

「何か怯えているような。」

「それは、こないだ交差点で一緒にいた男のことじゃないの。」

「確かにそうかもしれない。けど、そこまでブルーガーデンが関わってくるともしかしたら違う話だったかもしれない。」

「そうね。その可能性は十分あるわね。」

僕はあのとき、未来がブルーガーデンを辞めたときの油野の笑いを思い出していた。あのときの笑い声が脳内で響いていた。あの不快な雑音を。僕が無言で考えていると黒奈が「陽が落ちてきたし、そろそろ帰りましょうか。」と言って帰ることになった。帰りの電車の中で僕はずっと考えていた。油野の意味深な笑いと未来の最後の台詞。僕は、不可解な点がつながりそうでつながらないもどかしさに駆られながら自宅に帰った。

 翌日、僕は大して面白くもない講義を受けてアルバイトへ向かった。未来との事件が経ってから僕はアルバイトに行っていなかった。久しぶりに行くアルバイトは少し緊張してしまう。夏の日差しに変わってしまった太陽に照らされて僕の額に汗を流させる。これは緊張からくる汗なのか、暑さからくる汗なのかわからなくなっていた。

「お疲れ様です。」

僕が少し緊張した感じで挨拶をすると、緑さんがその異変を察知したのだろうか。すぐに僕に話しかけてきた。

「セレンくん。久しぶりだね。どうかな、外もだいぶ暑いみたいだし、アイスハーブティーが裏にあるからそれ飲んでから仕事初めちゃって。」

「ありがとうございます。いただきます。」

ありがたい。緑さんの作ってくれるハーブティーはとてもリラックスできる。カモミールやジャスミンという一見クセの強いハーブたちと季節の果物を用いた独自の配合によって凄具美味しい。僕は早速お店の裏に行き荷物を置いて冷蔵庫に入っているアイスハーブティーをコップに注いで飲んだ。スッと通り抜ける柑橘系の香りとハーブの相性が抜群だった。1口、2口と口にしていくにつれて心が凪のように穏やかになっていくのがわかる。しばらくすると、緑さんが僕の方に来て話しかけてきた。

「どうかな、今日のハーブティーは。」

「柑橘系の香りがこの夏の暑さを吹き飛ばしてくれるくらいさっぱりしています。」

「それは良かった。」

緑さんは自分用のコップをとりアイスハーブティーを自分に注いだ。香りを確かめ、二、三口飲むとうんうんと頷きながらコップを机に置いた。そして、今日摘んできたらしい待宵草を片手に作品の作成作業を始めた。

「今度はね、この待宵草を使った作品を作ろうと想っているんだ。」

「結構地味めな花ですよね。どう使うんですか。」

「スイミーって知ってるかな。セレンくん。」

「知ってます。小学生の国語の授業で習いました。」

「待宵草もスイミーと一緒なんだよ。地味な1輪も集めれば素敵な1輪になるんだよ。」

「そうなんですね。完成楽しみにしていますね。」

「ありがとう。」

緑さんは楽しそうに作品を作っていた。そんな雑談をしていると、いつの間にかハーブティーを飲み終えていた。そろそろ、仕事を始めるかと思い、立ち上がるとお客さんがちょうどやってきた。僕は、緑さんにお礼を言って急いでお客さんの元へ走った。

「すみません。菊を7本くらいいただけませんか。」

白髪の髪をしており、70代くらいだろうか、どこか少女を思わせるような面影を感じる女性だった。僕は、息を整えながら、久しぶりの接客で声がうまく出るか緊張していたが、緑さんのアイスハーブティーのおかげで声がスッと出てきた。

「承知いたしました。色とかはどうなされますか。」

「白い菊をください。」

「白ですね。」

僕は、緑さんが調整した菊を取り出した。新聞紙を広げ花束を作る。僕は、女性に話しかけた。

「この菊の花束、誰かに差し上げるんですか。」

「お兄さん、これはね故人に送る花なのよ。」

「す、すみません。プライベートなことを聞いてしまって。」

僕は焦った。白い菊は仏壇やお墓によく供えるものだった。女性は、僕が焦っていることに気づいたのか落ち着いた声で応えた。

「いいのよ。別にもう悲しくはないわ。お別れは済ませたもの。」

「そうなんですね。」

女性は、どこか遠くを見るようにしていった。

「この歳になるとね、お別れが多いものよ。流石に慣れてしまうわ。」

「お強いんですね。」

僕は、なんと言っていいか分からず、一言でしか返せなかった。未来を失った自分はまだどこか未来が生きているのではないか。と言う感情を生活の節々で感じていた。強いと言う言葉を吐いた後に自分の弱さが滲んだ。

「強いとか弱いと言う話じゃないのよ、お兄さん。これは運命なのよ。」

「運命。それはどう言う意味ですか。」

「命とは神様がお与えたものなの。その命が尽きるのは、神様がお与えになった時に既に決まっているものなのよ。だから、運命。このとき死んでしまうと生まれた時には決まっているの。」

彼女は天を見上げるようにして僕に語りかけてきた。

「神様なんて、いませんよ。」

僕はポツリと呟いた。神なんてものがあるから、人は不自由になる。そう、未来のように。

「人は獣です。決して神のような存在にはならない。」

続け様に僕が呟くと女性は、財布を取り出しながら言った。

「お若いのね。あなたもいずれ神様の大切さが分かる日が来るわ。」

そう言って僕が手渡した花束を受け取り、彼女は去っていった。僕は、気持ちの整理が上手くできないままその後も14~15人くらいがやってきては接客を続けた。翠さんに今日は上がっていいよと言われ僕は裏で帰り支度をすることにした。

「セレンくん。最近何かあった。」

緑さんが帰り支度をする僕に話しかけてきた。僕は、少し考えたが、緑さんなら話しても構わないかと思い、先日あった悲惨な悲劇の話をした。せっかく貰った緑さんの花束も散ってしまった。緑さんは、うんうんと相槌を打ちながら僕の話を静かに聞いてくれた。緑さんに話しているとなんだかスッと心の靄がとれるような感覚になった。そして、緑さんは僕が話し終えると、花が靡くような表情で話し始めた。

「そんな辛いことがあったんだね。まだ気持ちの整理ができていないと思うけど、一つ話を聞いてほしい。」

「話って、なんですか。」

「あれは、私がセレンくんと同じ大学生の頃だったね。親友がいたんだ。大切な。彼とは、当時私は、美大に通っていてね、大学のキャンパス内で卒業生の個展が開かれた時に、同じ作品を見ていたんだ。それからその作品についてどこがいいのかを語り合ううちに意気投合。一緒に喫茶店でコーヒーを飲んだり、美術館に行ったりしていた。そんな、彼がある時自殺したんだ。」

緑さんは少し寂しそうな声になっていた。僕は緑さんの親友がどうして自殺したのか気になった。

「どうして、自殺なんかしちゃったんですか。」

「この世に憂いていたんだよ。芸術と向き合う最中、描きたい社会の現実の残酷さに気づいてしまった。」

「そこまで、思い詰めるようなことなんですか。」

僕は、不思議だった、社会に憂いて自殺する。そんなことが現実に起こっているのだろうかと。

「当時というか今もだけどね。なかなか芸術をやるだけで食べてはいけないんだよ。ましてやリーマンショックがあった時代、私たちはほとんど就職先はなかった。それに、彼の両親は会社を経営していてね、経営が不安定になって倒産してしまったんだよ。後で聞いたんだけど、彼はこの後大学を退学することになっていた。」

僕は、そこまで追い詰められてしまっていたなら、自殺も考えてしまうと思った。僕が何も言えずにいると緑さんは話を続けた。

「彼が自殺してから、1週間後に彼から郵便が届いたんだ。短い手紙とキャンパス。自殺前に彼が描いた最後の作品だった。手紙には、

’’救われない人生の中で輝く恒星は君と過ごす時間だった。’’

と書かれていた。そして、彼の最後の作品は素晴らしかったよ。手からこぼれ落ちていく光を描いた作品だった。私は、それを美しいと感じたね。まさに命の灯火がこぼれ落ちていく儚さを感じたよ。」

緑さんは朗らかな目で作品のことを思い出していた。

「まさか、その作品ってお店に飾ってあるあの一枚の絵ですか。」

「そうだよ。ずっと宝物にしているんだ。」

「僕もずっと素敵な作品だと思っていました。」

「ありがとう。でもね、親友としては、こんな作品よりも彼が生きていて欲しかったよ。なんで相談してくれなかったのか。本当に当時は参ってしまったね。」

緑さんは切ない表情を浮かべていた。

「そうですね…。」

僕は、何もいうことができなかった。

「こういう時、救いの手を差し伸ばしてあげるのは誰なんだろうね。」

どこかで聞いたようなセリフだった。僕は咄嗟に口に一番自分が嫌悪している言葉を吐き出した。

「か、神様。」

正直自分でも驚いた。未来と出会ってから神という存在を否定していた自分が、困った瞬間すぐに神頼みをしているところに嫌気がさした。そんな中で翠さんを見ると僕の意見に頷くことはなかった。

「神様か。そんなものがいたら、熱心な信教者は救われているね。世界には、いろいろな宗教があって、神様がいる。確かに信教することで心の拠り所にはなっている面も否めない。だけど、宗教にまつわる悲惨な歴史も多いのも事実だよ。」

僕は、昔自分が未来にこんなことを言っていたのを思い出した。なんで忘れてしまったんだろう。そう思いながら、緑さんがどんな答えを持っているか気になった。そして僕は緑さんに質問した。

「じゃあ緑さんは、なんだと思いますか。」

緑さんは、自分の作品を見ながら健やかな声で言った。

「芸術かな。幽玄な感情を映し出す鏡のように芸術と向き合うこと。自分と自分を向き合わせてくれるような感覚になる。それが一番の救いだと私は思うよ。」

僕は、緑さんらしい回答だと思った。僕が想像している斜め上。

「緑さんらしい回答ですね。」

「ありがとう。だからね、セレンくんも何か芸術を作ってみるといい。故人はもう帰ってこない。でも、自分の人生はこれからも続くんだ。自分と向き合ってこれからどういう人生にしたいかよく考えてみるといいよ。」

「ありがとうございます。緑さんに話して、ちょっと心が楽になりました。」

「どういたしまして。辛くなったらいつでも相談するんだよ。私は、セレンくんには死んで欲しくないから。」

緑さんの言葉に温かみを感じた。この後、僕は帰り支度の続きを終えて帰ることにした。緑さんはまた作品作成を続けると言って僕に気をつけてと言ってくれた。緑さんと話していたこともあり、だいぶ夜が深まっていた。そのおかげで、店を出ると満点の星空が広がっていた。夏の星座が煌めく夜道を僕は羽虫のように自宅を目指して歩く。自分自身を見つめながら。


 それから、僕はいつも通りの日常を取り戻していった。空いた穴は徐々に塞がっていくように、少しずつだが未来の事故を思い出さない日が増えていった。それから、緑さんの勧めもあって、僕は生花の作品を作るようになった。緑さんが主催の大会などに小さく出演させてもらったりと充実した日々を過ごすことができた。そうこうしていると、ついに我々が主催するサウナフェスがやってくることになった。参加者は都内の大学生20人程度の予定である。晴天の中、秋山溪谷に集まルコとになっている。今回のメインであるサウナは、テントサウナを5つ貼られており、それぞれ木や石、アロマなどを用いたテントサウナが用意されており、さまざまなタイプのサウナを堪能できる。そして、水風呂は天然の川である。夏ではあるものの、天然の川の水は非常に冷たく、サウナーにはたまらないものとなっている。この日のために、先輩、剣崎、黒奈そして僕で頑張ってきた。絶対に成功させてやるという思いでこのフェスに臨んできたのだった。水着を着用した大学生がぞろぞろと会場に集ってきた。いい感じだなと思っていると、後ろからツンツンと指で突かれた。誰かと思って振り向くと黒奈だった。

「どう?似合っているかな。こないだセレンくんと買いにいったやつだよ。」

僕は、豊満な胸をチラ見してから黒奈に似合ってるんじゃない。というと、意外とこういうのはシャイなのねと笑われた。確かに、黒奈のことを抱いたのだが、こういう水着はまた違う感じがして少し恥ずかしかった。そんなことをしていると、先輩が黒奈に茶々を入れていつも通り捻り潰されていた。僕は、懲りない人だなと思いながら、そろそろ時間なんでと肩をいたそうに押さえている先輩にマイクを渡した。先輩は、マイクを握って聴衆に話しかけ始めた。

「みなさん。この度は、我々が主催するサウナフェスにお集まりいただきありがとうございます。今回のサウナフェスでは、みなさんとの親睦を図りつつ、都心から離れたこの警告でリラックスしていただければと思います。ご用意させていただいたサウナはー。」

先輩の挨拶が終わるとみんながまばらな拍手を行った。

「それでは、始めましょう。みなさん、お好きなテントサウナへ行ってください。」

この号令を合図に、大学生の男女が楽しそうにテントサウナへと走っていった。僕と先輩、剣崎と黒奈はその様子を見て自分達の行っているイベントが始まったんだと実感していた。夏の日差しがギラギラと僕らを照らして汗が滲む。サウナに入らなくてもここがサウナのような感じがした。

「じゃあ、そろそろみんな巡回してもらっていいかな。」

先輩が僕らに指示を出し、僕らはそれに従った。体調不良者や大学生同士のトラブルが起こらないように運営が監視しなくてはならない。僕は打ち合わせで指示されたテントサウナへと足を運んだ。すると、向こうのほうから男がやってきた。男は、僕のことを見るとすぐに話しかけてきた。

「月喰さん。順調ですかね。」


「笛吹さん。お疲れさまです。ええ順調ですよ。」

そう、笛吹さんだ。この渓谷の管理人である。今回このフェスを開くにあたって協力してもらっている。

「それはよかった。若いとはいいもんだね。」

笛吹さんがうんうんと頷きながら髭をいじる。「僕はそうですね。」と頷いた。

「じゃあ、何かあれば声かけて。白弓さんのところに行くんで。」

「わかりました。ありがとうございます。」

笛吹さんは足早に先輩の元へ歩いていった。僕は、自分の担当のテントサウナを軽く覗き、異常がないことを確認した。まあ、こんな序盤で問題が起こってしまったら問題なのだが。実際、自分も整いたいくらいだった。最近サウナに行けておらず、整いたいという欲求が溜まっていた。サウナフェスが始まって10分程度した頃だろうか。バラバラとみんながテントサウナから出始めた。そして、汗だくの大学生たちが渓谷の川へと走っていく。

「めちゃくちゃ冷たい。」

「ぎゃー。死んじゃう。」

「押すな、押すな。」

「うわっ。天然の水風呂は冷たさが違う。」

悶絶が渓谷に響く。そして、悶絶が鳴り止み暫くすると河原に並べられたベンチのみんな寝転び始めた。みんな極楽浄土にいるような顔つきで横になっている。静かになった。渓谷には蝉の声、水のせせらぐ音、鳥の囀り、風が木々を靡かせる音が聞こえた。大自然のマイナスイオンが体を包み込んでいる感覚。そんなものを彼ら彼女らは感じているのだろうか。さながら彼らにとってここは楽園か。僕は整っている人々を観察していると後ろから黒奈が話しかけてきた。

「羨ましいわね。私たちも整いたいわ。」

「仕方ないよ、誰かが運営しないとこのサウナフェスは成立しない。」

「そうね。それに、こんなにみんなが楽しんでいるところ見るとなんだか気持ちがいいわ。」

黒奈は嬉しそうに語っていた。僕もその通りだと思った。よくいうように、学祭などのイベントで一番楽しいのはイベントに来た人ではなく、その主催者だと。そんなことを考えていると、向こうから見たことある顔ぶれがやってきた。そう、木工ボンドのバンドメンバーだった。剣崎が折角ならということで、誘ったのだ。その後の剣崎との恋の行くへはどうなっているのかは分からないが、多分いい感じなのだろう。じゃなきゃ、運営に剣崎がいるサウナフェスなんかに来たりしない。

「すみません、ちょっと遅れちゃったんですけどまだ間に合いますか。」

「大丈夫ですよ。更衣室はあちらになっているんで慌てずに。」

「ありがとうございます。」

僕が案内すると、彼女たちは更衣室へと急いで行った。それから数十分が経つと、2回し目に挑む人たちがチラホラで始めた。そんな中少し雲行きが怪しくなっってきた。夏の日差しはどこへやら、どんどん鼠色の雲が空を覆っていって、今にも雨が降りそうだった。天気予報は快晴だったが山の天気は変わりやすいということだろうか。

「ちょっと雲行きが悪いわね。」

「そうだね。ちょっとまずいな。」

このフェスは、快晴だからこそ成り立つのに。そんなことを思っていると、先輩から電話が来た。

「もしもし、どうしました。」

「セレン、ちょっと雲いきが怪しくなってきたな。一応笛吹さんに雨降った時の避難先を用意してもらったから、キャンプ場のコテージにみんなを誘導してくれ。」

「わかりました。今、黒奈といるんで協力して誘導します。」

「よろしくたのむ。」

電話を切った僕は、今の先輩との電話の内容を黒奈に伝え、僕らは参加者の大学生をキャンプ場のコテージへと案内した。サウナフェスの会場からは10分くらい離れた少し高台のところにあるコテージはキャンプで使われているだけあって割と快適な感じだった。エアコンやウォシュレット付きのトイレにシャワーまである。しかし、みんな残念そうな声をあげていた。みんなの誘導が終わった頃にちょうど雨がポツリポツリと降り始めた。時間が経つごとに風がゴーゴーと吹き雨も次第に強くなっていった。

「こりゃ暫く止みそうにないな。」

「そうね。」

黒奈と僕が話していると、一人の女性が僕達に話しかけてきた。少し焦ったような様子だ。

「す、すみません。テントの方に荷物置いてきちゃったんですけど、取りに行ってもいいですか。」

「雨が止むまで待てませんか。道もぬかるんでますし、危ないので。」

「そうですか。」

しょんぼりとしている彼女を見て僕は思わず未来を思い出してしまった。なんだろう、少し雰囲気が似ている気がしたのだった。全く、しかたないな。と思いながら彼女に笑顔で提案した。

「僕が取りに行くんで、どんな荷物か教えて下さい。」

「本当ですか。ありがとうございます。」

そう言って彼女は満面の笑みを浮かべながら僕に荷物の情報を教えてくれた。その時の笑顔が未来と瓜二つだった。お盆にはまだ早いんだけどな。そう思いながら、僕はコテージを出た。雨はさらに強くなっており、さらに雷も遠くでなっていた。僕は、傘が使い物にならないなと思い、傘を刺さずにサウナフェスの会場へと急いだ。

「待って。一人じゃ危ないわ。」

黒奈が一人走る僕の跡を追ってきた。

「大丈夫だよ。このくらい。」

「山を舐めないほうがいいわよ。」

「別に舐めているわけじゃないよ。」

「いいから、二人で行ったほうが早く見つかるかもしれないじゃない。それに、何かこの場所嫌な感じがするのよ。」

「嫌な感じって。」

「よく分からないけれど、とても変な感じ。」

黒奈が眉を椎かめながら僕に語りかけたきた。黒奈がそこまでいうのなら仕方ないと思った。

「わかった、じゃあさっさと探してコテージに戻ろう。」

僕らは、傘も刺さずにサウナフェスの会場を目指して歩き始めた。雨は足をすすめるごとに強くなっていく中、僕らはさながら楽園を追放されたアダムとイブのようだった。

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