もふもふりーめい

2022年11月19日から入院、12月11日退院。 低髄液圧症候群。慢性硬膜下血腫。 …

もふもふりーめい

2022年11月19日から入院、12月11日退院。 低髄液圧症候群。慢性硬膜下血腫。 入院する前の2日間の記憶がありません。入院後9日間は体を起こすことが許されなかったので、リハビリも兼ねてnoteを描き始めました。現在は自宅療養中で、体験したことを整理するために書いています。

マガジン

  • 入院中の出来事

    慢性硬膜下血腫で入院していたときに書いたものをまとめました。

最近の記事

いつかは来ることなのだけれど

身内に不幸があり、今年2度目の東海道新幹線。 雨の中移動せねばならんのかと思っていたら、予想に反してかろうじて天気は持って、東京駅に着いた。 叔父さん、ありがとう、雨止めてくれて(笑)昔から口数少なかったけど、優しかったよね。 2歳から小学3年の2学期が終わるまで私はその家の子みたいに育ったんだ。継子扱いせずに普通に育ててくれた。人生の土台をきちんと作ってくれた。おかげ様で横道に逸れずに大人になれたよ。ありがとう。 実の親は2人ともろくでもない奴だけれど、それを補って余りある

    • 前十字靱帯断裂って,やらかしたときは痛いけど,その後は痛くないんだって。

      3月19日から1か月あまり,自宅を留守にした。 京都で学生生活を送っている下の子が「練習試合で靱帯切れたかも」と17日に連絡してきた。「かも」なら親はいらないかもと思ったのだが,「膝から下が動かない,松葉杖なの」の一文で「だめだこりゃ」と思い,行くことにした。 わが職場の店長, 「いつ帰ってこれるかなあ..1か月はかかんじゃね?」 「じゃ,1か月間はお休みということでお願いします。」 エレベーターの無いアパートの4階に住んでいるため,不憫に思った優しい同級生が,私が来るま

      • 傷を愛せるか

        入院中に何冊か本を読んだ。ツン読の山から適当に持ってきてと、夫に頼んで持ってきてもらった中の一冊がこの本だった。 『傷を愛せるか』 自分に問いかけられているようなタイトル。気になって買って、読みながら辛くなって放置していた。 静かな時間がたっぷりある入院中に読めたのは良かった。 「傷を愛せるか」と問われたら、今はまだ難しい。でも、「傷と共にある」ことはできる。傷からは逃れられないけれど、傷痕を撫でながら、「こんなこともあったけど、ちゃんと生きてきたし、今もちゃんと生きているん

        • 東日本大震災の記憶

          12年経つのか。 上の子は小4、下の子は小2だった。午後2時46分だから、帰りの会をしていた。小5の子たちは、体育館で卒業式の準備をしていた。脚立の上で飾り付けをしていた子もいたそうだけど、幸いなことに怪我をした子はいなかった。 当時は戸建てタイプの公務員宿舎に住んでいた。築40年近い家の2階。壊れるかもしれないと思いながら、足を踏ん張って,倒れてこようとする本棚を押さえていた。 阪神大震災のときのことを思い出して、「またかよ」と舌打ちをした。揺れは阪神大震災のときの方が強か

        いつかは来ることなのだけれど

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        • 入院中の出来事
          11本

        記事

          東医体が終わった。

          「東医体」なんていう単語、娘が大学生になってから知った。「東日本医科学生総合体育大会」の略。体育会系医学部学生の大会。スキーとアイスホッケーは冬に行う。 コロナのせいで3年ぶりの開催となった。 娘はスキー部のマネージャー。4年生だけど初参加。コロナめ。 でも、楽しそうだ。お祭りのように楽しんでいる。3年生までできなかったのは残念だけど、だからこそ開催できた今の喜び、楽しさがあるのだろう。 ほんとはプレーヤーとして参加したかったんだろうと思う。訳あってマネージャーに転身した。一

          東医体が終わった。

          想い出の洋楽は人生の分岐点で知った。

          シンディ・ローパーの「True Colors」を教えてくれた人がいた。私が29歳のときだ。「True Colors」は中学生の頃に流行ったので、メロディ、特にサビの部分は聞いたことはあったけれど、歌詞の内容までは全く知らなかった。知らずに30歳になろうとしていた。その頃、私は「社会人」という役割を降りて、逃げるようにまた大学に戻っていた。 小学生のときから学校は私の居場所だった。家はどうしようもなく居心地が悪くて、この家に自分がいるのは何かの間違いだと思っていた。何でこんな

          想い出の洋楽は人生の分岐点で知った。

          職場復帰

          「足怪我したとかじゃないんだからさー、頭でしょ?気をつけて仕事してよ。ほんとに大丈夫なの?」と、オーナー。私だって、やってみなきゃ分かんないっす。  コンビニエンスストアの仕事は、沢山ある。2ヶ月も休んだので、レジの打ち方は忘れたかもしれないと思っていた。「いらっしゃいませ〜」と言って、商品スキャンしたら、思い出す自分がいた。体が覚えてた(笑) 2人目のお客様が、アイコスの本体って。脚立🪜を使わないと取れないところに置いてあるのよねぇ。笑うしかない。店長の顔がひきつってた(

          脳外の外来は、平均年齢が高くて若い子が混ざると心配そうな空気が漂う

          2度目の外来。 CTの画像を見ながら、 「どおぉ?調子、頭痛いぃ?」 「大丈夫です。痛いとかないです。」 「そお。だいぶ(血腫が)なくなったね〜、よかったね〜」 と、前回と今回のCTの画像を見せながら、目をキラキラさせて鬼軍曹がのたまった(笑)。なんだよ〜そんな顔もできんじゃん、いつもそうしてよと心の中で思いつつ、 「そ、そうですね。」 「引き続き漢方、飲んでね」 「はい。あの、それなんですけど」 「何?飲んだら気持ち悪くなる?」 「(話は最後まで聞く!💢)じゃなくて、数がで

          脳外の外来は、平均年齢が高くて若い子が混ざると心配そうな空気が漂う

          特別な日の独り言。

          やはり、1月17日は私にとって特別な日。 阪神淡路大震災が起きた日。午前5時46分。今年もこの日を生きている。 1995年。この年以降、数年間、生ける屍のようだった。教員になる夢を諦めて非常勤講師を辞めて転職して淡々と働いた。なんで生きているのかわからなくなってしまった。夢を諦めたからではなく、生きている意味が、もう根本的にわからなくなってしまったのだった。 神戸の街のように、私の中で何かが、ガラガラと音を立てて崩れてしまった。そして、ずっと見て見ぬふりをして心に抱えてい

          特別な日の独り言。

          休職中は暇が多くてあんこを作りながら昔を思い出す。

          次に外来に行ったら、職場復帰していいよと鬼軍曹に言ってもらいたい。 暇なのだ。 無類のあんこ好きである夫のためにつぶあんを作った。ジャムの瓶が2本しかなかった。瓶に詰めた後、残りでぼた餅を作ることにした。 娘たちが滞在中もぼた餅を作った。 つぶあんを作って持たせて帰った。次女は餅米も2合分持って帰った。 今年は年明けから、何回あんこを作っただろう。 考えてみれば、うちの家族はみんなあんこが好きだ。子どもたちが小さい頃はよく作った。トーストに塗ったり、お餅につけたり、ぜん

          休職中は暇が多くてあんこを作りながら昔を思い出す。

          親離れ子離れ

          子どもたちはそれぞれの暮らす街に帰って行った。次女は昨日、長女は今朝。 いなくなると寂しいなあ、やっぱり。 次女は高校の同窓会に出席するために帰省した。同窓会が終わるとさっさと帰ってしまった。心理的には自立したんだなあと思う。 長女は地元の友だちと遊んだり、地元の美味しいお店に行ったりしていた。親はスネをかじられていた。難しいことはたくさん知ってるけれど、心理的な自立はまだまだなようだ。大丈夫かな、ちょっと心配している。 親離れ子離れ。 第一子というのは、いつまで経っ

          同窓会

          次女が同窓会に出かけて行った。 高校を卒業するまでジーンズとTシャツがトレードマークだったのに、ワンピースなんて…などと言っていた子だったのに、帰省の度に洒落っ気が増していき、スカートだの、ワンピースだのを身につけるようになり、「髪は染めない」って言ってたのに、なんかグリーンがかった茶色に染め上げ、ついには姉に「お姉ちゃん、メイク薄くない?」などと言うようになった(笑) 変われば変わるものである。 女子になるものである。 今日も念入りにメイクし、ドレスアップしてオーデコロン

          家族って。

          下の子が帰ってきた。 明日行われる高校の同窓会のために帰ってきた。 家族がやっと揃った。 鍋をした。やはり家族みんなでつつく鍋はいい。子どもがいるのがいいのかな。 家族。 ささやかな幸せか。 こんなささやかな、小さな事が 幼い頃は望んでも手に入らなかった。 寂しい子どもだったなあ。

          歌は世につれ

          すき焼きをつつきながら、紅白を見ても、「知ってる歌、ほとんどないわねえ」 若大将はラストステージか…男の美学みたいなものを感じたわ。率直に言って、 かっこよかったわ。有終の美。 長女の要望で録画しておいたCD TVを見てもやはり 「知ってる歌、ほとんどないわねえ」 どれだけの歌が、記憶に残るのだろう? 昨年歌われた作品たち。 50年前の洋楽を聞く私。 50年後、うちの子たちはどんな歌を聞いているのだろうか。

          マツコさん、ありがとう

          昨日、「マツコの知らない世界」を久しぶりに見た。IKKOさんと昭和のアイドルや女優、映画の話で盛り上がっていた。 「またいつものように真理ちゃんはスルーだろうな」と思い、見ていた。 天地真理という人は、アイドルの原型となった人であるにもかかわらず、いつもスルーされる。昭和のアイドルといえば松田聖子から語られたり、よく遡っても山口百恵。ピンクレディやキャンディーズまで遡ることもあまりない。真理ちゃんや南沙織まで語られることは滅多にないし、語られたとしても、南沙織だけだったりする

          マツコさん、ありがとう

          北国の少女、帰省する

          やはり、子育て一段落したんだろうか。 帰省してくると、いろんなことが思い出されるし、大人になったなあと思う。 昨夜遅く、10:30過ぎに長女が帰ってきた。京都にいる妹と年越しをして、縁結びの神さまのいらっしゃる八坂神社に初詣をしたらしい。 妹とは仲良しだ。わざわざ大阪まで出て、妹の同窓会用のドレスを買うのにつきあってやったという。 私は一人っ子。 結婚したとき、子どもは2人は産もうと決めていた。一人っ子は、愛情を一身に受けて育つかもしれないけれど、親の終活に一人で付き合わ

          北国の少女、帰省する