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北国の少女、帰省する

やはり、子育て一段落したんだろうか。
帰省してくると、いろんなことが思い出されるし、大人になったなあと思う。

昨夜遅く、10:30過ぎに長女が帰ってきた。京都にいる妹と年越しをして、縁結びの神さまのいらっしゃる八坂神社に初詣をしたらしい。
妹とは仲良しだ。わざわざ大阪まで出て、妹の同窓会用のドレスを買うのにつきあってやったという。

私は一人っ子。
結婚したとき、子どもは2人は産もうと決めていた。一人っ子は、愛情を一身に受けて育つかもしれないけれど、親の終活に一人で付き合わなければならない、これがつらい。まあうちの親は、かなり特殊というかなんというか、子に苦労させることをへとも思ってないというか、そういう人なので、まあ、私が大変なだけなのかもしれない。

できれば男女産み分けたいと思っていた。どうせ育てるならどっちも育ててみたいなあと。今は同性で良かったなと思う。

疾風怒濤の思春期、喧嘩したり、やることなすことに噛みついたり、この子たち、いったいどうなるんだろうと、かんなり心配したけれど、それは通過しなければいけない道であったのかな。今はお互いがお互いの良き理解者で、あの頃が嘘のように穏やかな関係だ。
もう私にはよく分からない関係性。羨ましくもある。

妹が高3のとき、緊急事態宣言で休校になり、授業が進められなくなった。姉は、いついつまでに〇〇を終わらせておくこと、問題集のここをやる、この参考書が良いという具合に、妹の受験の羅針盤となった。だから、妹は、緊急事態宣言終了後に授業が始まっても、落ち着いて学校生活を送ることができた。

縁の下の力持ち。当時、姉はそんな感じだった。

2人は小さいときからライバルでもあった。2歳違いというのは、そうなりがちなのかな。姉ができることは私にだってできるといわんばかりに「あたちもやる!」と妹。
自転車の補助輪を取るのも、ひらがなを覚えるのも、足し算引き算やるのも、地図を覚えるのも、中学の部活も。やれやれ、なぜ姉の後追いばかりするのか、独自の道を行けよと思ったものだった。
負けず嫌いの妹が唯一、白旗を上げたのがピアノを弾くことだった。姉が習っていたから自分もやり始めたのだ。中学を卒業するまで続けたけれど、姉のように柔らかいタッチでエレガントに指を走らせることはできなかった。
妹は、姉が嫉妬するほどスポーツ万能。幼稚園から高3まで毎年運動会のリレーの選手に選抜されるほどの瞬足で、ときにごぼう抜きをして会場を沸かせていた彼女だった。それが鍵盤の上では指が走らない、いや走れなかった。姉がエレガントに弾きこなす「幻想即興曲」を「わけわかんない」と横目で見ていた、そんな話を京都でパフェを食べながらしていたらしい。「私はもう弾かない、ピアノは嫌い」って言っていたという。

姉は今もピアノが大好きだ。大学の食堂に置いてあるアップライトピアノをしょっちゅう弾いているという。
帰省するたび、私が好きな「アラベスク第1番」をよく弾いてくれる。夢見るように優雅に柔らかく。

ちょっと音が狂っているようだ。
次の帰省までには調律しておこうか。

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