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東日本大震災の記憶

12年経つのか。
上の子は小4、下の子は小2だった。午後2時46分だから、帰りの会をしていた。小5の子たちは、体育館で卒業式の準備をしていた。脚立の上で飾り付けをしていた子もいたそうだけど、幸いなことに怪我をした子はいなかった。
当時は戸建てタイプの公務員宿舎に住んでいた。築40年近い家の2階。壊れるかもしれないと思いながら、足を踏ん張って,倒れてこようとする本棚を押さえていた。
阪神大震災のときのことを思い出して、「またかよ」と舌打ちをした。揺れは阪神大震災のときの方が強かった。何故なら当時は公団住宅の7階に住んでいたからだ。あのときは何でもかんでもが倒れて壊れた。それを思い出して「あー、食器棚、絶望的……」と思いながら轟音と凄まじい揺れに耐えていた。下から「パリーン!」という音が聞こえた。一方で「これでは死なないな」とも思っていた。もう一押し揺れが足りない。だからこの家は壊れない。だから私は死なないのだと。
揺れが収まってから急いで下に降りていき,キッチンへ。小鉢が一つ,床の上で壊れていた。それ以外は無傷だった。拍子抜け。「まじかー,よかったー」とほっと胸をなでおろす。扉もない食器棚。置く向きが奇跡的によかったのだろう。食器棚の下に5kgの米を入れていたのも良かったのかもしれない。
リビングの壁際に置いてあったアップライトピアノ。壁から120cmくらい動いていた。戻すのが大変だった。
東日本大震災の被害は,小鉢が一個壊れただけで済んだのだった。

子どもたちを小学校に迎えに行く。正門の前は広場のようになっていて,親たちはそこに集まっていた。子どもたちが出てくるのを待っていた。何度か大きな余震が来る。
低学年と高学年で集まる場所が違っていた。正門近くに集合した次女を拾って,校庭に集合している4年生のところに行く。普段,小生意気な態度で小生意気な口をきく女の子がワンワン泣いていた。よほど怖かったのだろう。「もうすぐお母さん来るよ」と声をかける。泣き止みたいけど,興奮気味でできないらしく,頷きながら「んがあああぁぁぁあああぁぁ~」と,怪獣のように泣いていた。対照的に冷静なうちの長女。とにかく教室から急いで何も持たずに避難しなければいけないという状況の中,教室の後ろにあるランドセルを置いてある棚のところに行き,コートを引っ張り出して,それを着て校庭にいた。「だって寒いじゃん」いやまあね,そうなんだけどさ。ええんかい!

下の子の教室では黒板が落下した。違う学年の教室でも黒板が落ちたという。怖かったよね。

まあ,みんな,あの子もこの子も無事でよかったよ。



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