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特別な日の独り言。

やはり、1月17日は私にとって特別な日。
阪神淡路大震災が起きた日。午前5時46分。今年もこの日を生きている。

1995年。この年以降、数年間、生ける屍のようだった。教員になる夢を諦めて非常勤講師を辞めて転職して淡々と働いた。なんで生きているのかわからなくなってしまった。夢を諦めたからではなく、生きている意味が、もう根本的にわからなくなってしまったのだった。

神戸の街のように、私の中で何かが、ガラガラと音を立てて崩れてしまった。そして、ずっと見て見ぬふりをして心に抱えていた荷物が露わになったのだった。
生きていることがいたたまれない。息をすることさえ後ろめたかった。
友人が亡くなったせいでもあった。陰鬱な日々が始まるきっかけだろうと思う。
なんで死ぬのが私ではなかったのか。何かの手違いではないのか。そんな思いを抱くようになった。

少しずつ神戸の街は復興し始め,2年,3年と経っていった。でも、彼女が住んでいたところだけは更地のまんまだった。そこだけ時間が止まったままだった。せめて周りと同じように、家かマンションが建設中になっていれば、気持ちも前向きになっていたかもしれない。時間が動き始めた、私も前を向いて歩かねばと。

なかなか動き出さなかったけれど。
Google ストリートビューを見た。家が建っていた。時間が経ったのだと思った。

彼女は永遠に25歳のままだけど。

ねえ、あれから自分の心を復興させるのに、相当な時間がかかったんだ。こんなにも自分を陰鬱にさせるものは何なのか分からなかったから。心の何かが崩れてしまっただけじゃなくて、いろんなものが出てきたんだよ。発掘現場みたいにね。自分で隠しておきながら、何だったのか思い出せないものがたくさんあって困ったよ。2年くらいかかった。思い出すたび苦しくなって。でもがんばったんだよ、自分を生かすためにね。

時間は止まっていなくて、私は今日も生きているんだよ。

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