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本当はポジティブ?

日々、強迫性障害に立ち向かっていると、少しずつ少しずつ強迫観念に勝てるようになってきます。いつも、生活や行動対しての不安があるのに、それも忘れられる時間が増えてきます。

そうなれば喜ぶべきことなのですが、現在の私の場合、空いた思考のスペースにほかの悩みや不安が出しゃばってくるので、自分のどん底さに呆れるというか、しんどいです。

離婚のことで、妻(この文字も書きたくないです。思い出しちゃうので)や家族を思い出してしまうのが、とにかくキツイ(PTSD的)。思い出して過去の後悔につながるとますます辛い。

強迫観念の方が、最悪強迫行為をすることで対処(ダメだけど)できるからまだマシ?か。

いずれにせよキツイ。

悲嘆や喪失体験よるストレスは時間が解決する、と言われながら数ヶ月。思い出さないようにしてるだけでぜんぜん解決、受け入れできていないのがわかる。

写真などひとりで見たら相当ヤバい(こう書いてるだけでヤバい)。

それに加えて、立ちはだかる数々の現実問題。

強迫観念が無くても、今後のこと、お金の問題、離婚調停のこと、仕事、物の整理、手続き、通院等々の現実的な問題。

強迫観念が減ると、自分の置かれた現実を見せつけられます。

これもマジでシンドイ。

もう、今までの考え方では対応できない。考え方をまったく変えないと対応できない。

じつはすでにこの考え方もダメだよね。

「○○じゃなきゃダメ」
 ではなく
「○○だったらいいんだ」
へのシフト。

「だったらさ、今までの考え方を変えてみればいいんだよ!(笑)」くらいに今までにない自分の考え方にチェンジしないと厳しい(と、また元の捉え方に戻ってる自分)。

そんな風に考えられたら苦労しないよ、と言わずにやってみよう!
(と無理やり文を終わらせる)。

でも、今現在だけ見たら、雨風しのげる家もあるし、暖かいベッドもある。車もまだあるし、仕事ができる体も健在。
これは事実。

いいとこ見ていくしかないですよね。

この状況でネガティブな考え方ばかりに引っ張られるくせに、今日もこうして生活してる時点で、どれだけポジティブなんだよオレ。


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