ヒトリボシ (3)
「頼りになる、優しい息子が居たらなぁ」
と健一が病気してから何回も思う。
女だけでは甘く見られる。
順子は元々、力仕事もし、庭の木の枝を払うのも梯子を掛けて一人で鋸で切ってきた。
鋸や鋏を持って木に登っている女姓等、順子は見たことがない。大抵、男性か植木屋に頼んで剪定しているが、植木屋に頼む程の庭でもないので、自分でしてきた。
ある時、健一が珍しく家に居て、剪定を頼んだことがある。
枝や葉が下に落ちても大丈夫なようにシートを広げたり、梯子の準備をするのは順子。
お膳立てが全て整ったところで、健一は渡された剪定鋏でチョッキンチョッキン切るだけ。
後片付けも順子。
そして、片付けが済んだ頃から、
「もういい」
と言うのに、庭を掃き始める。
「もういいから」
「もう終わり」
と何度言っても、止めようとしない。
万事がこの調子。仕事も他の人が、
「そろそろ終わろうか」
と言う頃から更にエンジンが掛かり始める。
「切り上げる」ことが出来ない。
しつこく、しつこく掃いて、やっと止めたかと思うと、今度は、
「どや! 俺がやったら、こんな綺麗になった」
と調子に乗り捲る。
その夜、植木屋に払うであろう剪定代で焼き肉屋に行き、二人で労をねぎらった。
「なあ、上手に切ったやろ。植木屋になったら良かった。今からでもなろうかなぁ」
何回も自慢し、健一は上機嫌だった。
しかし、その木も今では伸びに伸び、順子が手が届く所までは切れても、上の方はボウボウ。樹形がすっかり変わってしまっている。
電球を付け替える。重い物を持つ。
その度にギックリ腰に気を付けなければならず、情けなく感じる。
そして、嫌いな虫も自分で退治するしかない。
「息子は理数系の大学ですが、家では電球一つ取り替えません」
「息子は嫁さんの方に行って、何の役にも立たないよ」
「息子は虫が大の苦手で」
息子を持つ親御さんは言った。
順子もそんな息子は要らない。
欲しいのは「ここぞ!」と言う時、母親に代わって、
「僕がやるから、任せとき。」
としっかり対応してくれる頼もしい息子。
※
今までやらねばならないことをやってきた。やりたくもないのに。
人生で自分で選んだことと言えば、唯一、結婚相手。
その選択が正しかったのかどうかは兎も角、自分の人生を振り返って、親の言う通り、姉を見習って生きる以外選択肢がなかった順子が「結婚は縁」とは言うものの、結婚相手の健一は自分の意志で選んだ。
自分で選んだからには受け入れ難い現状でも受け入れるしかない。
けれど、これからやっと二人で「スローライフ」を送れると思っていた矢先、健一は介護が必要となり、在宅介護の生活となった。
思い返せば、今まで期待を持たされては、ガッカリさせられるの繰り返し。
家事、育児を妻一人に任せっきり。
一緒にいる時間は少なくても、妻や娘達のその時々の気持ちにせめて寄り添うことはできたはずなのに……
将に妻や娘に「介護保険」を払ってこなかった健一。
自分のしたいように暮らしてきた健一を全面介助する在宅介護は順子にとって毎日、血ヘドを吐くような苦行。
「妻の私が介護するのが一番」
と思いながらも、
「なんで私が?」
「なんでこんな時だけ?」
と言う思いがこみ上げてくる。
「私が望んでいたのはこんな生活ではない」
「いつも一緒にいたかった♪ 隣で笑ってたかった♪」
そう、「プリンセスプリンセス」の「М」の冒頭の歌詞。今まで何回心の中で口ずさんだことか……
やっと一緒に居れるようになっても、今の健一では……
「これで満足しろと言うのか?」
「悪魔か!」
沸々と今更口に出す必要もなかった昔の舅、姑との嫌な記憶までが蘇ってき、健一の枕元でグチグチ溢れ出し、吐き出した分、後味が悪い。
また、健一の世話をしながら、旅行先での光景が目に浮かぶ。不思議とこれはいつも同じ場面。
「退職したら、働いている時には行けなかった気候の良い春の桜や秋の紅葉の景色も見られる」
と言う期待が心の中で大きく膨らんでいただけに、
「あぁーー せめてあの時に戻りたい」
「あの呑気な自分にもう一度戻りたい」
と何度も何度も思う。
そして、
「在宅介護は私だけでなく、家に居ることに慣れていない健一にとっても苦痛なのでは?」
「私より職場の同僚に看てもらう方が健一にとっては良いのでは?」
こんな思いも常に頭の中をグルグルし、順子は上司に職場で健一の介護をお願いできないか、頼んでみた。そして、上司に会議で順子の意向を職場の同僚に伝えた貰ったものの、誰からも何の意見も返答もなかったらしい。
綺麗ごとなんかで介護はできない。
お見舞いに飛んで来てくれた同僚達も手を握ったり、涙を流したり、口では色々言えても、日々、健一の面倒を看ることは他人が手や口を出せることではなく、家族の領域で家族と言っても娘達にさえ頼みにくく、順子になる。
「ワンオペ子育て」からの「ワンオペ介護」。
子育ては祖父母や周りがいくらでも手を出したが、介護にはない。
結局、ケアマネージャーや訪問看護師、訪問リハビリにお願いしたり、デイサービスやショートステイを利用することになる。
介護サービスの利用も全て順子に掛かっている。
健一は今、順子の掌の上にいる。
※
海や山、遊園地やプール、映画、外食、ショッピング、国内だけでなく、海外旅行へと娘達が喜びそうな所へは娘達が小さな頃からどこへでも連れて行った。
そんなまるでカルガモのヒナのようにいつも順子が連れ回っていた二人の娘が順子の元から巣立って行った。
小百合は大学に入ると留学し、仕事に就いてからも転勤が何度もあり、その度、順子は断腸の思いで送り出した。
今も仕事で家から遠く離れて暮らしていた小百合が父親の病気で、家から仕事に通えるように職場に頼み、家に戻ってきた。
久しぶりに一緒に暮らせるようになり、順子も喜んだが、健一も順子が話し掛けるより、小百合が声を掛ける方がずっと顔をほころばせ、嬉しそうに反応を示した。
しかし、喜んだのも束の間。介護で全く余裕のない母親と通勤に時間が掛かり、休みも不定休の娘、生活スタイルが合わず、別々に暮らしたことも原因か、以前のように折り合い付けて生活することができない。
そんな生活を続けるうちに順子はイライラが募り、仕事で疲れている小百合に、
「気が利かん」
やら、
「手が掛かる」
「そのやり方は違う」
等と心無い言葉を一杯吐いてしまう。自分でも言わないように、と思っていながらも言ってしまい、母と娘の関係はしんどくなる一方。
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